静かにぶつかる視線

「サ……サーシャ!?」



 瞬く間に逃げていったサーシャをとっさに追いかけることができず、キリハが素っ頓狂な声をあげる。



 そんなキリハたちの様子をうかがいながら……



「…………ふぅ……」



 停められた車の隙間に潜んでいたディアラントは、細く息を吐き出した。



 よし。

 ひとまず、デカい山は越えた。



「あれ、追いかけた方がいいのかな…?」



 キリハは困った様子で、サーシャが消えていった通路の向こうを覗き込んでいる。



 もちろん、この好機を見のがすわけにはいかない。

 ディアラントは気配を殺して車の間を移動し、別の出入口から上へと向かう階段に身を滑り込ませた。



「焦った……本気で焦ったわ……」



 ぼやきながら、ディアラントは手元に目を落とす。



「んんーっ!!」



 そこでは、抵抗しても意味がないのに暴れるぬいぐるみが一匹。



 とりあえず、こいつを解放するのはもう少し後だ。



 そう判断したディアラントは、万が一にもキリハと鉢合わせないよう、慎重に周囲の気配を探りながら階段を上がった。



 念には念を入れて空いている会議室を探し、その中に入ってきっちりと鍵をかける。



「………」



 もう一度、周囲に人がいないことを確認。



 そこまでして安堵を得たディアラントは、これまで一切の身動きを封じていたフールを離してやった。



「なっがい!」



 解放されるや否や、フールは渾身の蹴りをディアラントの顔へとお見舞いする。



「もおぉ、いいところだったのに!」



「いいところ、じゃないわ!! 割とガチで見ちゃいけないやつだっただろうが! あー、焦ったぁ…。お前と隠れてた所が一緒で、マジでよかったぁ……」



 うなだれたディアラントは髪の毛を掻き回す。



 心臓に悪い時間だった。

 よほど緊張していたらしく、今さらながらに心臓がばくばくと大きく音を立てている。



 サーシャがキリハに抱きついた瞬間、背筋がものすごい勢いで凍った。



 空気を読んで去っていった他の連中に紛れられればよかったのだが、何せ隠れている場所が悪い。

 しかもそれを見たフールが目を輝かせるものだから、さらに厄介だった。



 フールを説得しようと試みるも、その序盤でサーシャが泣き始めてしまい、仕方なく実力行使でフールの身動きを封じて、空気に溶けるしかなかったわけだ。



「何さー。その、まるで僕が何かやらかすって言い方ー。」

「十中八九、お前一人だったらちょっかい出しに行ってただろうがよ。」

「ま、まあ…。それはそうかもしれないけどぉ……」



 ほら見ろ、言わんこっちゃない。

 ディアラントは大きく溜め息をつく。



「だってー。あれで、サーシャの気持ちが正確に伝わったと思う?」



「あの会話の流れで、平然とルカ君やオレの名前を出すあたり、伝わってないだろうな。」



「ほらぁー」



「ほらぁー、じゃない。それは、部外者が口出すことじゃないだろう。―――サーシャちゃんの恋心を認識することが、キリハをこっちに繋ぎ留める要因になるかもしれなくてもな。」



 ぐっと声のトーンを落とすディアラント。

 フールはやはり不満そうだ。



「ちぇー。じゃあ、ディアはなんであんなとこに隠れてたのさ。キリハと話すタイミングを図ってたんじゃないのー?」



「ちげーよ。」



 ディアラントは即で否定する。



「キリハと話すつもりなら、堂々と真正面から行ってるわ。あれは単に、うちの隊員たちがどんなことを言うのかを聞きたかっただけだ。オレには直接言えない不安とかがあるだろうって思ってさ。今後のフォローのために、ちょいとみんなの本音を知りたかったの。」



「キリハのことは?」



「今回オレは、キリハが結論を出すまでは、キリハとあの件について話すつもりはない。」



「そりゃまたなんで?」



 当然といえば、当然の疑問だろう。

 ディアラントは特に渋らず、自身の胸中を語った。



「キリハは、よくも悪くも無自覚だからさ。追い詰められた状態にならないと、あいつ自身が自分の欲に気付けないと思うんだ。だから悪いけど、この件については一人で踏ん張ってほしい。オレが言いたいことなら、ルカ君が代わりに伝えてくれてるっぽいしな。ちゃんと、自分のことも考えるって言ってただろ? オレは、それを邪魔したくないんだ。」



 ディアラントは頭上を仰ぎ、静かに目を閉じた。



 色々と特殊な環境で育ったせいなのか、キリハは昔から、与えられたもので満足するような子供だった。



 他人のために無茶をすることは多々あるのだが、自分のことに関してはかなり無頓着だ。



 皆がそう望んでいるし、自分も嫌じゃないからこれでいい。

 それが、キリハの基本的な思考回路。



 孤児院で働いていたのも子供たちから強く望まれたからだし、今ここにいるのも、《焔乱舞》に選ばれたからという理由が大きいだろう。



 そんなキリハの性格をよく知っているからこそ、以前レティシアたちの命は自分が背負いたいと言われた時は、チャンスだと思った。



 精神的にかなり追い詰められていた状況だったが故に、とっさに出た言葉だったのだろうと思う。





 それでもあの時―――キリハは確かに、自分の強い意志で選択をした。





 いつもは〝ディア兄ちゃんが言うならそれでいい〟と言うキリハが、〝ディア兄ちゃんにも任せられない〟と断言して、自分の意志を優先させたのだ。



 そして、自分の意志で道を選び取ったからこそ、現状に不満を抱いて、気持ちをくすぶらせている今のキリハがいる。



 ここに来て、キリハは確実に成長する兆しを見せているのだ。



 そこに飛び込んできた今回の一件。

 完全に予想外の大事件だったが、キリハを見守る人間として、これ以上に素晴らしい機会はない。



 この大きな人生の岐路を、どうか自分の足で乗り越えてほしい。



 他人とも自分とも向き合って、腐るほど悩んで、キリハが自分で言っていたように、胸を張れる答えを出してほしいと思うのだ。



「まあ、やっぱり心配だし、突き放しちまうことに少し不安はあるけど……」



 ディアラントは呟き、ふと表情を緩めた。





「オレは、キリハを信じてるから。」





 今の自分には、ただ見守るという選択しかできないけれど。



 それでも、今まさに自分の足で成長しようとしているキリハを、最後まで見つめていたい。

 そして、キリハが強く望んで出した答えなら、どんなものでも受け入れるつもりだ。



 それが今回の一件に対する、自分の本当の想い。

 自分はきっと、この選択を後悔しないだろう。



 だって、あのキリハが散々迷った果てに、自分の意志で掴み取った答えなら、どんなものだろうと自分は嬉しく思える。

 そんな自信があるのだ。



「ふーん。やっぱり、お兄ちゃんだねぇ~。」



 フールはむくれたようにぼやき、机の上でごろごろと転がっている。



「オレを説得できなさそうで残念か?」



 ちょっとした意地悪心で訊いてやる。

 すると、フールはこちらの予想から外れた答えを寄越してきた。



「多少はね。でも、最初からつけ入る隙のない君なんて、ちょっとやそっとで動かせると思ってないよ。」



「へぇ…。じゃ、キリハにちょっかい出すのを邪魔されて、気に食わないって感じか?」



「どっちかっていうと、そっちかなぁ…。まあ、これも縁がなかったってことで、これ以上突っ込むのはやめておくよ。」



「あら、意外に大人な対応ですこと。」



 ディアラントは目を丸くする。



 これは純粋に意外だった。

 そして意外だからこそ、ちょっとばかり怪しくもあるわけで。



「さて、何を企んでるのかね~?」



 フールの体をつんつんとつつく。



「企むって何さ。僕がそんなキャラに見えるの?」

「見えるから訊いてるんだけど? 自分ではめた人間を前に、よくしらばっくれられるな?」



 ディアラントがにやりと口の端を吊り上げると、フールはまた面白くなさそうな息を吐いた。



「……今回は何もしてないよ。仕込む暇なんてなかったもん。」

「それにしちゃ、随分余裕だねぇ?」



「もう、疑ったって何も出ないよ。信用ないなぁ。今回は単純に、僕があれこれ動くまでもないってだけさ。」



 フールはディアラントの指を邪険そうに振り払った。

 そしてむくりと起き上がり、彼は断言する。



「他のみんなは慌ててるけど、どうせキリハはこっちに残るよ。最悪、一度はルルアに行くかもしれないけど、キリハのことだから飛んで帰ってくる。次にドラゴンが出た時には、さすがにキリハも気付くんじゃない? ディアだって、本当は分かってるくせに。」



 その口から零れる声が、愛らしい少年のものから、落ち着き払った青年のものへと変わる。



 予言めいた口調で告げられた言葉に、ディアラントは苦虫でも噛み潰したかのように渋い顔をするしかなかった。



「だから余計に、キリハにはルルアに行ってもらいたいとも思うんだけどな。」

「………」



 瞬間的にぶつかる二人の視線。

 そこに、穏やかならぬ火花が散った。


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