ディアラントのお願い

「キス!?」



 ディアラントからこっそりと事情説明を受けたカレンは、思わずその単語を繰り返していた。



「そうなんだよー…。それでキリハはパンクしちゃうし、ノア様はやる気満々だし、もう収集つかなくて……」



「あー、なるほど……」



 それでキリハが、あんなことになっていたのか。

 すっきり納得だ。



「あの場でみんなに説明してたら時間がかかりそうだったから、とりあえず、すぐに話を飲み込んでくれそうなカレンちゃんにだけ話しておくよ。ルカ君やサーシャちゃんに話すかは、君に任せるね。ただ……もし話すなら、できればキリハのいない所で話してほしいかな。ほら、一応あんなにぶい子の中でも、デリケートな問題だと思うからさ。」



「まあ、確かにね。ってか、その……」



 ディアラントの話にうんうんと頷いていたカレンは、そこでふと声をひそめて彼に顔を近づけた。



「あそこまで抜け殻みたいになっちゃうって……その………ようは、初めて……だったのよね?」



 躊躇ためらいがちなカレンの質問に、ディアラントは嘆かわしげに顔を覆った。



「十中八九、そうだと思う。ドラマじゃあるまいし、こんな初めてあんまりだろ……」

「まあ、散々愛嬌振りまいてきた結果かしらね。」



「うう…。うちの子が無自覚天然ボーイですみません。」

「どうやったら、あんな風に育つのよ。」



「分かんない。みんなで過保護に溺愛しすぎちゃったせいかなぁ…? ま、それは置いといて。」



 一旦話を区切ったディアラントは、自分の顔の前で両手を合わせると、カレンに頭を下げた。



「ごめん。一緒にいる間だけで構わないからさ、キリハのことを見ててやってくれないかな? あのまんまだと、何もない所で足を滑らせて顔面強打とか、アホみたいなことをやらかしそうだから。」



「確かに、それは大いにありえるわね。」



 カレンは今朝のキリハの様子を思い浮かべる。



 改めて思い返してみると、よくあの状態で無事にカフェテリアまで来られたものだ。



「とりあえず、今日はノア様も一日中出かけるみたいだから、キリハとは会わないはず。さすがに今日を乗り切れば、キリハも多少は落ち着けると思うから。今日だけお願い!」



「そう言うお師匠さんは?」



「オレは丸一日、あの人のお相手ですよ…。あんなキリハを残してオレだけ引っ張っていくとか、あの人確信犯だろ、絶対ー。……って、やべっ! もう時間がない!!」



 腕時計を見たディアラントが、慌てて息をつまらせた。



「ってなわけで、頼めるかな? ルカ君は興味ないって言うのが目に見えてるし、サーシャちゃんは卒倒しそうだし、こんなこと、カレンちゃんにしか頼めなくてー……」



「え…? なんでサーシャが倒れるの?」



「え? サーシャちゃんって、キリハのことが好きなんじゃないの?」



 さも当然のことのように言うディアラント。



 サーシャの気持ちについて、はっきりと本人からそうと聞いているのは自分だけ。

 だが、きょとんとしているディアラントの瞳には、自身の発言を疑っている色は皆無。



 サーシャがキリハを好きだということは、彼の中で疑いようのない事実なのだろう。



「……さすがね。いつから気付いてたの?」

「初対面の時から、かな。本音は、サーシャちゃんがキリハを落としてくれる方がありがたいんだけど……」



「やめてあげて。あの子には、ハードル高すぎるから。」

「ですよねー……」



 元からあてにしていなかったのか、ディアラントは特に落ち込んだ風でもなく、小さく肩を落とすだけだった。



「とりあえず、状況は分かったわ。見ておくだけでいいんでしょ?」

「引き受けてくれる!?」



 カレンが言うと、ディアラントの表情がパッと輝いた。



「どのみち、一緒にいるでしょうからね。それと、個人的にはちょっと面白そう。」



「んー…。それに関しては複雑だけど、でもありがとう!! これで心置きなく、ここを離れられる。じゃ、キリハのことよろしく!」



「はーい。」



 カレンがひらひらと手を振ると、ディアラントもそれに応えて手を振り、次の瞬間には猛ダッシュで長い廊下を駆けていった。


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