大きな一歩

「え…?」



 キリハは、茫然とドラゴンを見上げる。



 そこにはこちらの様子をうかがうアイスブルーの両目。

 これが、このドラゴンの声。



「お…」



 唇が震える。





「女の子……だったんだ、ね……」





 我ながら、間抜けな第一声だと思った。



「…………あんた……」



 彼―――もとい、彼女の声に呆れたような響きが滲んだ。



「もっと他に、言うことがあんでしょうよ。何、そのとんちんかんな感想。ちょっと、ユアンに似てるわ。」



 そう言った彼女は、伸びをするように首を天井へと向けた。



「んー…。やっと、まともに話せるわぁ。やっぱ、一方的に言葉が分かるってのも、気持ち悪いもんね。」

「一方的って……ずっと、俺の言葉は分かってたの?」



「あら? 初めて会った時に、あんたの血をもらったでしょうよ。」

「………………あっ!」



 そういえば、そんなことがあった。



「本当は、同じ轍なんて踏むべきじゃないと思ってたんだけどね…。成り行きとはいえ、中途半端にロイリアの言葉が分かるようになってたみたいだし、そろそろ私も折れる頃よね。」



「ロイリア…?」

「ぼくだよ!」

「わぁっ!?」



 突然横から飛びかかられ、なすすべもなく床に押し倒された。



「キリハ、ぼくの声も分かる!?」

「う、うん……」



「お話できる!?」

「そ、そうだね……」



「やったぁー!! ぼく、キリハ大好き!!」

「わわわわっ!? ちょっと待って! ストップ!」



 さっきまで静かだったはずの小さなドラゴンに顔を舐められまくりで、全く現実に追いつけない頭が大混乱に陥る。



「ロイリア!」



 厳しい一喝が響き、ロイリアの体があっという間に自分から離れていった。



「ごめんね。この子、人間でいえばまだまだ子供だから。好きなものに飛びつく癖が直らなくて。」



 謝ってくる彼女に首を掴まれ、ロイリアはそこからのがれようと身をよじった。



「やーだー!!」

「やだじゃないの! 後でやりなさい。今は、遊んでる場合じゃないの。」



「!!」



 彼女の一言で、一気に我に返るキリハ。



「そうだ! あの……」

「分かってるわよ。」



 こちらが何かを言う前に、彼女は全てを悟ったような目を向けてくる。



「二方向に、同胞の気配がするわ。両方とも、まともな精神は保ってないわね。で、人間だけじゃどうしようもないから、片方を牽制してほしいってところかしら?」



「……うん。」



 見事に言い当てられ、キリハはぎこちなく頷いた。



「勝算はあるの?」



 冷静に問われる。



「確実とは言えないけど……」



 キリハはズボンのポケットに手を突っ込み、そこにあったものを取り出した。



「これを試してみる。少しでも動きを止められれば、ほむらを使うタイミングも作れるはずだから。」



 そこで揺れるのは、試験管に入った赤黒い液体。



「そう。分かったわ。」



 彼女は静かに頷いた。



「じゃ、私が先に行ってそれなりにやり合っとくから、あんたはロイリアに乗って来なさい。私じゃ、あんたを振り落としちゃうわ。」



「それって……協力してくれるの!?」



 こんなにすんなりと協力してもらえるとは思っていなかったので、一瞬何を言われたのか分からなかった。



「仕方ないでしょ。同胞の不始末くらい、どうにかするわよ。」



 彼女はなんでもないことのように告げ、ふとその目元をなごませた。





「私の名前はレティシアよ。覚える気があるなら、覚えときなさい。」





 それは確かに、彼女たちとの間に絆が生まれた瞬間。



「うん! ありがとう、レティシア!!」



 こんな夢みたいなことが起こるなんて。

 でも、これは間違いなく現実。



 じわじわとそれを実感して、どうしようもなく胸が熱くなった。



「素直な子ね。」



 レティシアはくすりと笑う。



「じゃ、この鎖を取ってくれる? 別に無理やり壊してもいいんだけど、そしたらここが崩れちゃいそうなのよね。」



「あ…。そっちの鍵は持ってない……」



 すっかり抜けていた。

 ポケットに入っているのは、ここから外に繋がる扉を開けるためのカードキーだけだ。



「大丈夫よ。」



 レティシアはさらりと告げた。



「それを使いなさい。」



 示されたのは、腰に下がる剣。



ほむらを…? でも、焔でそんなことができるの?」



 純粋な疑問。



 こんなところで《焔乱舞》を使ったら、鎖どころか宮殿中が燃えてしまわないだろうか。



「できるわよ。あんたなら、多分。どうせ今までは、焔に振り回されてばっかだったんでしょ。」

「うっ…。シミュレーションでは、他の人に比べれば使いこなせてたと思うんだけど……」



「そういうことじゃないんだけどね。まあいいわ。とりあえず、それを抜きなさい。」

「………」



 レティシアの意図がいまいち分からないまま、キリハは言われたとおりに《焔乱舞》を抜いた。



「目を閉じて、集中して。」



 まぶたを閉じて、視界を闇に閉ざす。



「ゆっくりと呼吸して、焔の鼓動を意識して。」



 聞こえるのはレティシアの声だけ。

 感じるのは自分の鼓動と、それとは異なる《焔乱舞》の鼓動。



「自分がしたいことを思い描いて。強く願えば、その思いが焔に伝わっていくから。」



 ああ……

 なんだか、とても心地よい気分だ。



 今、自分がやりたいことは?



 レティシアたちを解放したい。

 彼女たちと同じものを感じたい。





 彼女たちと―――共に、同じ未来を見て歩みたい。





「焔があんたに応えようとしてるのを感じる?」



 レティシアの声が、脳髄にまで染み渡っていく。



 本当だ。

 まるで自分の意志に応えるように、《焔乱舞》が震えている。



 今はこれまでみたいに、《焔乱舞》の癖を受け入れようとしているわけじゃない。

 だけど、今以上に《焔乱舞》を受け入れられていると感じたことがあっただろうか。





 まるで自然と、《焔乱舞》と身も心も一体になっていくような……





「あとは、自分が思うように焔を掲げて―――降り下ろす!」

「!!」



 右腕が勝手に動いて、《焔乱舞》がレティシアを戒める鎖に突き立った。



 《焔乱舞》の周囲で、小さく炎が舞う。

 炎はピンポイントで鎖の周辺だけに渦巻き、あっという間に鎖を溶かし切ってしまった。



「す、すごい…っ」



 想像を超えるその光景に、キリハは目をまんまるにする。



 まさか、《焔乱舞》にこんな使い道があったなんて。

 理屈はともかく、これなら彼女たちを自由にしてあげられる。



 たった一回で要領を得たキリハは、次々に鎖を切っていく。



「………っ」



 その様子に、レティシアが息を飲んでいたとはつゆ知らずに。


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