その行為の意味

 自分は逃げない。

 逃げたら何も変わらない。



 変えるのだ。

 どうしようもなく変わりようがない未来だって、全てのチャンスを掴み取って変えてやる。





 思い込みや常識なんて―――全部壊してやる。





 キリハは全速力で廊下を走る。

 階段を駆け下り、目指す場所はただ一つ。



 セキュリティカードをかざしてから、ドアの鍵が開くまでのわずかな時間。

 それすらももどかしくて、ドアの鍵が外れる音を聞くと同時に、もつれるようにその奥へと飛び込む。





「お願い……力を貸して!!」





 辿り着いたその先で、キリハはすがるように訴えた。



「都合がいいって分かってる。さっきのことがあったのに、なんで協力しなくちゃいけないんだって思ってるよね。でもこのままじゃ、俺の大切な人たちが危ないんだ! もう時間がない。お願い、俺を助けて…っ」



 一息に叫んで、キリハはぐっと両手を握った。

 そして毅然きぜんとした態度で顔を上げ、目の前のドラゴンたちを見つめる。



 自分は何を言っているのだろう。

 心の片隅で、もう一人の自分がそんなことを思っている。



 でも、この非常事態を切り抜けられる可能性と希望があるとすれば、彼らの存在以外はありえないと思ったのだ。



 それに、馬鹿げたことをしていると思う自分を遥かにしのいで、この行動が正しいと信じている自分がいた。





「俺は、人もドラゴンも信じたい。」





 ドラゴンたちに向けて、真摯しんしな想いを伝える。



 くるる……



 小さなドラゴンが、指示をあおぐように頭上を見上げる。

 その視線の先にいた大きなドラゴンは、穏やかなアイスブルーの双眸で、じっとこちらを見つめていた。



 少しの間を置いてから、彼はうめくように低い鳴き声をあげる。

 そして……





 ――――――はぁ……





 と、なんだか人間くさい溜め息を吐いた。



「え?」



 想像の斜め上を突き抜けていったドラゴンの反応に、キリハは思わず口をあんぐりと開けた。



 なんだろう。

 今の数秒で、あのドラゴンが一気に身近な存在になったような感じがする。



 目をしばたたかせるキリハの前で、彼はゆっくりと体を動かした。

 太い腕を上げた彼は、反対側の腕の鱗の間に器用に爪を差し込む。



 次の瞬間、彼は躊躇ちゅうちょなく爪に力を入れて腕を引いた。

 その爪は鱗の下にある皮膚を切り裂いたらしく、あっという間に鱗の隙間から血が流れてくる。



「ちょっと!? 何してるの!?」



 唐突な自傷行為に頭がついていかず、キリハは目を白黒させてドラゴンたちの傍に駆け寄った。



 すると、自らを傷つけたドラゴンがキリハに向かってずいっと腕を突き出した。



「………?」



 目の前に血が滴る爪先を差し出され、キリハはその意味を問うようにドラゴンを見上げる。

 そんなキリハに、彼は何かを促すようにあごをしゃくるだけだ。



 こんな状況で、自分に何をしろと……



 反射的にそう思ったが、それと同時にはたと思い至る。



 ユアンとリュドルフリアは、互いの血を交わすことで意志疎通を可能とした。





 ならば、このドラゴンがこんな行為に出た意味は―――





「……いいの?」



 おそるおそる訊ねる。



 彼はこちらを湖面のように静かな瞳で見据え、やがてゆっくりと首を縦に振った。

 それを見届けてから、キリハはそっとドラゴンの爪先に両手を差し出した。



 その爪先から滴る血が落ちて、両手に生温かい血だまりを作る。

 キリハが血を受け取ったことを確認し、ドラゴンは自分の腕を引いた。



「………」



 キリハは自分の両手にたまった血を、どこか神妙な面持ちで見つめる。



 これを受け入れたら、何かが変わるのだろうか。

 ドラゴンたちが何を考えて、人間に対して何を感じているのかが分かるのだろうか。



 そして、あの悲しい戦いの真相を知ることができるのだろうか。



 知りたい。

 彼らの気持ちを。

 ユアンやリュドルフリアの願いを。



 自分のことを伝えたいのと同じくらい、彼らのことを知っていたい。

 ならば、迷うことはないはずだ。



 キリハは意を決して、両手を口元に持っていく。

 そして、両手にたまっていた血を一気に飲み干した。



 途端に口の中に広がっていく鉄の味と、鼻を突き抜ける独特のにおい。



「うっ…」



 気合いでそれを燕下えんげし、キリハは盛大に咳き込んだ。



「ううっ、分かってたけどまっずい! うううぅぅ……」



 飲み込んでもなお口の中に強烈に残る後味に、キリハは思い切り顔を歪める。





「ちょっと…。―――私の声、聞こえてるの?」





 澄んだ綺麗な声が頭に響いたのは、その時のことだった。


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