初めて知る自分の一面

「―――っ」



 音にならない声で。

 空気を一切震わせない悲鳴をあげて。



 キリハは、涙を流さないまま慟哭どうこくする。



 感じたのは確かな怒り。

 身を焦がしたのは強烈な敵意。



 ドラゴンではなく、人間をほふるために暴れた炎。

 その炎の中に、無慈悲で圧倒的な力をふるおうとした自分がいた。

 全てを焼き尽くそうと思った自分が、確かにいたのだ。



 知らなかった。

 こんな自分がいたなんて。



 そして怖かった。

 こんな苛烈な一面を持っていた自分のことを、信じられなくなりそうで。



「大丈夫だ、キリハ。」



 両手で顔を覆って声を殺して震えるキリハを抱き締め、ディアラントは力強く語りかける。



「大丈夫。お前は、ここにいていいんだ。それに、何度も言っただろ。両親の代わりにはなれないかもしれないけど、オレのことは家族だと思っていいって。一人で我慢するな。……頼むから…っ」



 ディアラントの言葉が、優しく胸に響く。



 きっと彼は、誰よりも自分のことを理解してくれている。

 だからこんな風に、自分が欲しがっている言葉をくれる。



「大丈夫。生きてりゃ、誰だってキレることはあるんだ。なっちまったもんは仕方ない。これからを考えよう。前を向こう。」



 流れ行く毎日の中で、絶対に忘れまいと、どこかで必死にすがりついていた両親の面影がよみがえる。

 ディアラントの言葉が、今は亡き父の言葉と重なる。



 そうだ。

 そのとおりだ。



 起こってしまったことは取り消せない。

 どんなに現実逃避をしたって、その現実が歪むわけじゃない。



 現実はただ、あるがままの姿でそこにあるだけ。



「………っ」



 キリハはそっと目を閉じる。



 荒れ狂う衝動的な思い。

 それと真正面から向き合う。



 あれが、本気の怒りというものなのだ。

 理性なんて簡単に麻痺させて、問答無用で自分の心を飲み込んだ真っ赤な熱。



 あれが怒り。

 あれが衝動。



 自分の中にも確かに存在する、黒い苛烈な一面。

 それでも、目を背けちゃいけない自分自身の姿。



 足元で、何かが震えている。



 きっと、《焔乱舞》も怒っているのだろう。

 理不尽な決めつけで同胞を傷つけようとした人間に、自分と同じように怒りを覚えたのだ。





 それは《焔乱舞》に込められた炎が―――リュドルフリアの心が、今も生きている証拠。





 生きていれば、誰だって怒ることはある。

 ディアラントはそう言ってくれた。

 それが真実だと、自分も知っている。



 大丈夫。

 向き合える。

 受け入れられる。





 ―――前に進める。





「大丈夫……大丈夫……」



 自分に言い聞かせるように呟くと、ディアラントが大袈裟なほどに震えるのが分かった。

 キリハは唇を噛み、ディアラントを見上げる。



「大丈夫。もう大丈夫だよ。ありがとう、ディア兄ちゃん。」



 ほんの少し笑って、キリハはディアラントにそう告げた。



「本当に大丈夫か?」



 ディアラントの声はまだ硬い。



「まだちょっとつらいけど……でも、大丈夫。」



 素直に言うと、しばらく何かを見定めるように険しい表情をしていたディアラントが、やっと息を吐いて力を抜いた。



「なら……いいんだ。でも、きつくなったらすぐに言え。マジで心臓に悪いから。」

「ごめん……」



 しゅんとうなだれるキリハ。



「馬鹿、ちげーよ。」



 ディアラントは憤然とした様子で言うと、キリハの額を軽く弾いた。



「お前が暴走することが心臓に悪いんじゃない。お前がそうやって、つらいこと溜め込むのが心臓に悪いんだ。覚えてないかもしれないけど、お前には前科があるんだからな?」



「………?」



 ディアラントの言葉の意味を掴みあぐね、キリハは不思議そうに首を傾げる。

 すると、ディアラントはさらに溜め息をついて眉根を押さえた。



「いや……なんでもない。ただ、これだけは徹底してくれ。しんどくなったら、とにかくオレに言うこと。オレに言いにくかったら、ミゲル先輩とかルカ君でもいいから。」



「う、うん…。分かった…?」



 とりあえず頷いてみたものの、ディアラントが何をそんなに心配しているのかは、いまいち分からないままだった。



「よろしい。」



 ディアラントはそう告げると、キリハから手を離して肩を落とした。



 さすがに疲れたのだろう。

 心なしか、顔色が青いように見えた。



「……なあ。」



 しばしの沈黙を経て、ディアラントが再び口を開いた。





「キリハは、この先どうしたい?」





 投げかけられた問いは、今まで問われてきたこととは比べ物にならないほど重く聞こえた。



「白状するとな……オレは、ジョー先輩がいつかあんな行動に出るだろうことは知ってた。」



 床を適当に眺めながら、ディアラントは訥々とつとつと語る。



「前に言われたんだ。『僕は間違いなくキリハ君を傷つけるから、その時はキリハ君のことをよろしく。』ってな。だから、もし今回のことでお前がジョー先輩を責めるなら、こうなるって知っててジョー先輩を止めなかったオレも同罪だ。」



「………」



 胸がざわめくのを感じながら、キリハは黙してディアラントの言葉を待った。



 ここで怒るのは簡単だ。

 でも、この場で求められているものはそんな単純なことじゃない。

 それだけは、すぐに理解できた。



「今回は、オレがみんなに答えを示してやるべきじゃないと思った。だからオレは、黙ることを選んだ。ジョー先輩のことも、あえて止めなかった。いや、止めるべきじゃないと思った。ジョー先輩がジョー先輩なりにキリハを心配してることは知ってたし、ぶっちゃけあの時点では、ジョー先輩が誰よりもしっかりした考えを持ってたしな。それに、キリハにとってもいい勉強になると思ったんだ。」



 ディアラントはそこで、まっすぐにキリハの目を見つめる。



「よく分かっただろ? 必ずしもオレが、キリハの味方につくとは限らないってことも。どんなに強く訴えても、全部が全部上手くいくわけじゃないってことも。……自分が、今まで守られてたんだってことも。」



「うん。」



 キリハはしっかりと頷いた。



「それでもキリハは、あのドラゴンたちを守るか?」



 静かに訊ねられる。



「他人と違うことを貫くには、それ相応の責任が伴う。周りにそれを認めさせるなら、生半可な努力じゃ足りないんだ。味方だった人を敵に回せるだけの覚悟が必要だし……時にはジョー先輩みたいに、あえて誰かを傷つけることも必要になるかもしれない。オレは……」



 ふと途切れるディアラントの言葉。





「オレは……それで…………人を殺した。」





 きつく目を閉じたディアラントの口から漏れたのは、悲痛な響きを伴った、囁くような独白。

 その告白に、驚きすぎて息を飲むことすらできなかった。


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