違和感と異変

「おっはよー!!」



 勢いよくドアを開く。

 すると、すでに室内にいた人々の視線が一気にこちらに集まり、すぐに気まずげに逸れていった。



 そんな微妙な空気の中……



「うるせぇな…。なんだ、朝っぱらから騒がしい。」



 呆れた様子のルカが、そっけない言葉を投げてくる。



「えへへ。昨日、色々といいことがあったもんね。」



 笑って言い、キリハはいつものようにルカの隣にすとんと座る。

 そして。



「昨日はありがと。」



 小さく語りかけた。

 次の瞬間。



「!?」



 ルカがぎょっとした顔でこちらを凝視する。



「えへ、聞いちゃった。エリクさんから。」



 ぺろりと舌を出すキリハ。



 実は、昨日エリクを宮殿まで呼んだのは、他でもないルカなのだそうだ。



『あの子は周りを嫌っている分、その周りをよく見ている子だからね。今誰がどんな状況で、その状況をよくするのはどんな人なのか、もしくは悪化させるのはどんな人なのか。それを、誰よりも敏感に見抜くことができる子なんだよ。きっとルカは、今のキリハ君には僕が必要だって判断したんだろうね。』



 不器用なルカなりの優しさを、どうか知っていてほしい。

 エリクは自慢げにそう語った。



「………、………っ」



 目を白黒させていたルカは、キリハの一言で大方の事情を察したらしく、額に片手を当てて息をついた。



「……あの馬鹿兄貴が。」



 ほんのりと顔を赤らめて悪態をつくルカに対して、これ以上言葉を連ねるのも可哀想かと思い、キリハは口を閉じることにする。



「こそこそとするもんじゃないわねぇ。全部ばれちゃってるじゃない。」



 面白おかしそうにカレンが笑う。

 すると、ルカはさらにうなだれてしまった。



「あ、そうだ。二人もありがとね。」



 キリハはルカの奥に座るカレンとサーシャにも笑顔を向ける。



「へ? あたしたち、何かしたっけ?」

「うん。この前、地下まで毛布を持ってきてくれたんでしょ? 全然気付かなくってごめんね?」



「……あー、あのことね。」

「ちょっ、ちょっと…っ」



 納得の表情を浮かべるカレンの隣で、サーシャが顔を真っ赤にして立ち上がった。



「ルカ君! キリハには内緒って約束だったのに!」

「仕方ねぇだろ!? 話の流れ的に、言うしかない状況になっちまったんだから!!」



 眉を下げて抗議するサーシャに、ルカも負けない勢いで言い返す。



 本当はルカの照れ隠しが原因なのだが、今は言わないでおいた方がいいだろう。

 久しぶりに賑やかなやり取りを見ることができて、胸の中にちょっとしさ嬉しさが込み上げてくる。



 ちょうどその時。



「こーらー? そろそろ、会議が始まっちゃうよ?」



 幼子おさなごを諭すような口調の柔らかい声が、サーシャたちを遮った。



「……ちっ。」



 ルカは小さく舌を打ってそっぽを向く。

 ところが、立ち上がっていたサーシャはそうもいかないようだった。



 我に返った彼女は辺りをぐるりと見回して、周囲の視線が自分に集まっていると気付くと、その場でプチパニックを起こしてしまう。



「ああああのっ、す、すみません! ええっと!?」

「あー、落ち着いて。別に、誰も怒ったりしてないから。」



「でも! あの、その、ううぅ……」

「とにかく、座ろうか?」



「は、はい……」



 しゅんとして席につくサーシャに、ジョーはくすくすと笑い声を零した。



「ふふ、元気なのはいいことだよ。あんまり気にしないでね。」

「あ…。ジョー、待って。」



 自分の席に向かおうとしたジョーを、キリハが呼び止める。



「何?」

「えっと……昨日はごめん。あと、ありがとう。」



 そう告げると、ほんの少しだけ周囲がざわつくのが分かった。



 今の自分とジョーは、真っ向から対立している状況だ。

 そんな自分たちの間に、何があったのか。



 口には出さないが、こちらの様子をうかがう皆がそう思っているだろうことは、想像にかたくなかった。



「……別に。」



 ジョーが口を開く。



「礼には及ばないよ。僕は、大したことはしてないからね。」



 優しく微笑み、ジョーは席に戻っていく。



「………」



 キリハは黙って、その背を見送ることしかできなかった。



 なんだろう、この気持ちは。

 もやもやとした何かが、全身に広がっていく。



 ジョーの柔らかな笑顔。

 いつもと変わらないはずのその笑顔に、どうしようもなく拒絶されたような気がするのは何故なのだろう。



 どこにも確証がない嫌な予感。

 その嫌な予感は、この後すぐに現実のものとなる。





「ほいっと。じゃあ、次回のドラゴン出現に向けての打ち合わせをするぞー。色々と複雑な気持ちはあるだろうが、今は切り替えてくれな。」





 普段と全く変わらない口調のディアラントの言葉から始まった会議。



 様々な分析から割り出されたドラゴンの出現予想地区は、セレニア西部のカイラルド川の河口付近。



 出現時間は早ければ今夜。

 遅くとも、明日中とされている。



 この予測に先立って、アイロス率いる先遣隊が現地におもむき、周辺住民の避難と状況整理を行っている。



 ディアラントやミゲル、ジョーの声が静かな会議室に響いては消える。



 今がどういう状況なのかは、彼ら自身がよくわきまえているのだろう。

 最近は対立しているとは思えない空気で、会議は順調に進んでいった。



 そんなトップの姿勢に引っ張られ、他の人々もいつもどおりの団結力を示して、話し合いに集中していく。



 このまま、今だけは平和な時間が過ぎていくのだと思われた。





 ―――………、………





「………?」



 ふと感じた違和感。

 始めは気のせいかと思った。





 ―――ヤダ……





「………っ」



 違う。





 ―――コワイ、ヤダヤダ……





「―――っ」



 これは、気のせいなんかじゃない。





 ――――――ヤダ!!





「―――っ」



 突然立ち上がったキリハに、会議室の全員の視線が集中する。



「どうした…?」



 ディアラントが戸惑ってキリハに声をかけるも、キリハにその声は届いていなかった。

 キリハは蒼白な顔で両耳に手を当てる。



 頭の中から声が消えない。



 これは、言うまでもなく―――



「俺……行かなきゃ…っ」

「え? ……あっ、おい!!」



 慌てたディアラントが声を荒げた頃には、キリハは席から飛び出して会議室を出ようと駆け出していた。



「………っ」



 会議室から廊下に飛び出したところで、後ろから手を掴まれる。

 背後を振り返ると、そこにはジョーが無表情で立っていた。



「どこに行くの?」

「離して…っ」



 とにかく、急がなくてはいけない。

 そんな危機感に急かされているキリハは、ジョーの手を振り払おうと必死だ。



 しかし。



「どこに行くの。」



 ジョーは機械的にそう問うだけで、掴んだ腕を離そうとしない。

 キリハがその手を振り払おうともがくほど、ジョーの手にも力がこもる。



「つっ…」



 追い込まれた心は、あっという間に限界を迎える。



「離せよ!!」



 叫んだ瞬間。





 ――――ゴオッ





 腰に下げていた《焔乱舞》から炎が噴き出して、キリハとジョーの間に立ちはだかった。



「―――っ!?」



 驚いたジョーがさっと手を離す。



「―――……」



 驚いたのはジョーだけではなく、キリハも同じ。



 ―――だが、今ほどの好機はない。



 キリハはぐっと奥歯を噛むと、脱兎のごとくその場を走り出した。


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