送り出された先は―――



 本当に、ここに来てよかったのだろうか……





 大きなドアを前に、キリハはしばし立ち尽くしていた。



『ほらな? やっぱりご機嫌だ。準備して待ってるから、今すぐにでも来いとさ。電話の相手は僕だっていうのに、気色悪い声で…。ほら、さっさと行ってきなさい。』



 そう言われてオークスに送り出されたものの、ドアをノックすることができないまま、かれこれ十分以上の時間が過ぎている。



 確かに情報を得るのに、彼以上の適任はいないと思う。

 だが、果たして自分は彼に会っていいのだろうか。





 彼は、師匠であるディアラントが、自分に関わらせたくないと断言していた要注意人物なのだけど……





 ドアの前で一人うなっていると、とうとう内側からドアが開かれてしまった。



「いつまでそうしておるんじゃ。待ちくたびれて、迎えに来てしまったではないか。」

「あっ…」



 突然のことに、虚を突かれて固まるキリハ。

 そんなキリハの後ろに回り、情報部総司令長であるケンゼルは、その肩に優しく手を置いた。



「ほらほら、早く入りなさい。中でのんびり、お茶でも飲もうじゃないか。」

「えっ…? えっと、その……」



 ぐいぐいと室内に押し込まれ、キリハは戸惑いの声をあげる。



 ふと、甘いにおいが鼻をくすぐったのはその時。

 その匂いに誘われて部屋の中を見渡したキリハは、これまた予想していなかった光景に言葉を失ってしまった。



 研究部から情報部まで移動するのに、そこまで時間はかかっていないはずなのだが、どんな早業を使ったのだろう。



 応接用のテーブルには、豪華な焼き菓子がずらりと並べられていた。

 他にもちょっとした軽食や紅茶など、とても二人では食べきれない量がテーブルいっぱいに詰め込まれている。



(うわぁ、大歓迎だ……)



 さすがに自分でも分かるウェルカムモードに、胸中はますます複雑になる。



 相手が相手なだけに、純粋に好かれているだけだと思えないのが複雑というか、なんというか……



「さあさ、座って座って。」



 ケンゼルはキリハをソファーに座らせ、自らも向かいに腰かけた。

 そしてティーポットに手を伸ばすと、慣れた手つきでお茶をれ始める。



「とりあえず、ゆっくりお茶でも飲んで、体から力を抜きなさい。ただでさえ今は、肩身が狭いじゃろう。少しくらい羽根を伸ばしても、誰も怒りゃせんよ。ほれ。」



 柔らかく湯気を立てるティーカップを差し出され、キリハはおずおずとそれを受け取った。

 時間をかけて温かい紅茶を飲み込むと、自然と肩から力が抜けていくような気になる。



「落ち着いたかね?」

「うん。えっと……ありがとう、ございます。」



 ぺこりと頭を下げると、途端にケンゼルは首を左右に振った。



「だめじゃ、だめじゃ! 慣れない敬語なんか使わんでいい。というか、そんな他人行儀をされると、わしは寂しいぞい。」



「え…? でも……」



「いいんじゃよ。なんならわしのことは、本当のおじいちゃんとでも思ってくれていいんじゃぞー? ただ、うるさそうだから、ディアラントには内緒にしといてくれな?」



 猫なで声で、ケンゼルはそんなことを言ってくる。



 以前にディアラントと一緒に会った時と、寸分の違いもないその態度。

 ディアラントの警戒ぶりは頭にあったが、それでも緊張が緩んでしまい、思わず口から笑い声が漏れてしまった。



「あははっ。ありがとう。なんか、一気に気が抜けた。」



 ここは素直に、彼から感じ取れる好意に甘えてしまおう。

 そう思って手近にあった菓子を取って口に放り込むと、ケンゼルは微笑ましそうに目を細めた。



「うむうむ。子供は素直が一番じゃ。わしの孫にも、キリハの十分の一くらいでもいいから、この素直さがあればのぅ……」



「……嫌われてるの?」



「嫌われてる、か…。もしかしたら、そうかもしれんのう。それか、怖いのかもしれんな。」



 ケンゼルの目に、わずかな寂しさが揺れる。



「権力を持つと命を狙われることも、自分の身内が危険な目に遭うこともある。全て未然に防いだとはいえ、あの子もけば立った空気くらいは感じたこともあるじゃろう。なるべく、関わりたくないのかもしれんな。」



「………」



「じゃがわしは、知ることがいけなかったとは思っとらんよ。」



 一瞬で寂しさを引っ込めたケンゼルは、その顔に笑みすらたたえて告げた。



「人間、何も知らないままでは、進むことも戻ることもできん。知るべき人間のところには、自ずと情報が集まるもんじゃ。間違っちゃいけないのは、その情報たちとの付き合い方じゃよ。」



「付き合い方?」



 疑問に思って訊き返すと、ケンゼルは鷹揚おうような動作で頷いた。



「知ることは、時として自分の身も滅ぼしかねない。得た情報を自分の益とするか否かは、自分次第じゃ。だから、別にいいんじゃよ。」



 小首を傾げるキリハに、にこやかに笑いかけるケンゼル。



「知りたいと思うなら、使えるものはどんどん使いなさい。わしに会いに来るのも大歓迎じゃよ。……ディアラントやジョーが、それをよく思わなくてもな。」



「―――っ!!」



 キリハは目を見開いて、息をつまらせることしかできなかった。



 さすがは、ディアラントが警戒していた相手だ。

 こちらの複雑な心境は、全てお見通しということらしい。



「キリハが知りたいのは、なんで皆がドラゴンをそこまで嫌うのか、じゃったな。どうする? 話を聞いていくか? 今ならまだ、ちょっと一緒にお茶をしただけだと言えるぞい?」



 ケンゼルにそう訊かれ、少しだけ躊躇ためらう自分がいた。

 だが、その躊躇いはすぐに消える。



「うん。聞きたい。あの子たちを助けるためには、目を逸らしちゃいけないと思うんだ。」



 悩みながらもケンゼルの元を訪れたのは、目の前の問題から逃げてはいけないと思ったから。

 今さら、怖気おじけづいて逃げるなんてことはしたくない。



 キリハがはっきりとそう答えると、ケンゼルは嬉しそうに笑みを深めた。



「うんうん。若いうちは、これくらいがちょうどいいもんじゃ。まあ、そんなに気にすることもないぞ。今回話すことは、別に知ったところで問題になることはないからの。」



 くすくすと肩を震わせながらそう前置いて、ケンゼルは静かに話し始めるのだった。


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