科学的観点

 キリハはぐっと奥歯を噛むと、オークスに向かって腕を差し出した。



「分かった。いいよ。」

「……いい子だ。」



 オークスは満足そうに笑みを深め、キリハの腕を取った。



 こちらの気が変わらないうちにと言わんばかりに、手早く採血の準備をするオークス。

 そんなオークスを見つめながら、やはり心は不安に揺れる。



「安心せい。」



 表情を曇らせるキリハの不安を知ってか知らずか、オークスが口を開いた。



「サンプルを取るといっても、生活に支障をきたすレベルまでは取らない。それに実験の協力者には、いつでも協力を辞退する権利が保障されておる。嫌になったら、いつでも言いなさい。」



「う、うん……」



「それに、僕は嘘をつかない。よくも悪くも、真実だけを告げよう。それを受けた君が、どうなるかは保証しないけどね。」



「………っ」



 キリハは目を見開く。



 よくも悪くも、真実だけを。

 オークスの言葉に、驚くほどほっとした自分がいた。



 オークスにとって自分は、貴重とはいえ単なる研究対象。

 それ以上でもそれ以下でもないから、自分が傷つこうがどうなろうが、彼自身には関係ないと言いたいのだろう。





 ――― だけど、だから余計な遠慮をせずに、真実だけを言える。





 他の人に話を聞いても教えてもらえないかもしれないし、彼らの口から語られる言葉が、絶対的に正しいとは限らない。

 善意や悪意から、嘘をつかれる可能性だってある。



 今さらながらに、そのことに思い至った。



「………」



 キリハは、オークスをまじまじと見つめる。



 本人を目の前にして、真実を受けた相手がどうなるかは保証しないと言い切ったくらいだ。

 ドラゴンのことを知るのに、彼以上に信用できる人間はいないかもしれない。



 根拠はないが、直感的にそう思えた。



「ありがとう。」



 そう伝えると、オークスは何故かひどく驚いた顔をした。



「……なるほど。やっぱり君の思考回路は、普通のそれとは大きく違うみたいだ。この状況で、そんな言葉が出るとはね。どうりで、あいつもあの子も気にかけるわけだ。」



「あいつ…? あの子…?」

「さて、誰かね~。」



 オークスはすっとぼけたような声で言い、次に柔らかく表情をなごませた。



「足元をすくわれないように、せいぜい気をつけるんだね。まあ、君は君なりの処世術をすでに身につけてそうだから、ある意味心配無用かもしれないけど。」



「………?」



 彼の言っていることが、全然分からない。

 キリハが首をひねっていると……



「――― さて…」



 採血道具を片づけたオークスが、一瞬で真顔になった。



「さっき科学的には、ドラゴンが絶対的に危険だと証明されてないと言ったね。しかしだからといって、絶対的に安全だという証明がなされているわけでもない。」



 唐突に語り始めるオークス。



「そもそもドラゴン研究に関しては、論文すらあまり出回っていないのが現状でね。世界的に見れば、うちみたいに変にドラゴンを敵視している国も、逆にドラゴンと友好的な関係を保っている国も希少なんだ。互いの領域に踏み込まず、踏み込まれず。それが世界の大多数だ。ドラゴン研究は当然、ドラゴンとの距離感が近い国で盛んに行われている。ルルア、カザラルード、ピャンリンあたりがその筆頭だね。」



「遠いね……」



 素直に感じたことを一言。

 今挙げられた国は、どこもセレニアからはかなりの距離がある。



「そのとおり。まあ、ああいう国が近くにあったなら、セレニアも少しは違った未来を歩んでいたのかもしれんな。」



「………」



「そんな世間話は置いといて…。そんな状況なもんで、ドラゴンに関する論文を取り寄せるのは大変なんだ。今だって、まだこんなもんしか集まっていない。」



 そう言って何かを引き寄せたオークスの手には、辞典かと思えるような厚みを持った書類がある。



「そ、それでこんなもんなの…?」

「少なくとも、この倍は欲しいところだよ。取り寄せ困難な論文ばかりで、溜め息が出る。」



 当然のように言って書類をめくり、彼はとあるいちページで手を止めた。

 そこにあったのは、全身に重たげな鎖を巻かれて拘束されているドラゴンの写真だ。



「ドラゴンに肯定的な国でさえ、こういう対応を取らざるを得ない場合がほとんどだ。絶対的ではないとはいえ、やはり危険な生き物であることには変わらない。それは、最初に言っておくよ。」



 言葉を失うキリハに構わず、オークスは次々と書類をめくっていく。



「偶発性脳機能障害。研究者間では、ドラゴンに特異的なこの疾患をそう呼んでいる。ここ二十年くらいでようやく解明への動きが出始めたばかりで、まだメカニズムがほとんど分かっていない病気だ。何がきっかけで、この病気を発症するのかも謎。何かしらのホルモン異常で脳に障害が起こるとも言われているし、脳のどこかに変容が起こることが原因だとも考えられている。この辺りの原因がはっきりせんのは、サンプルの絶対的な少なさが背景にある。」



 言いながら、オークスが机に置いてあったリモコンを取り上げた。

 彼がそのスイッチを押すと、これまで自分たちが討伐してきたドラゴンたちの写真が、大きなモニターに表示される。



「君も知っているだろうが、正常なドラゴンならともかく、壊れたドラゴンは手がつけられん。それに、ドラゴンの生息数からかんがみると、この疾患の発症率はそこまで高くないんだ。セレニアに、壊れたドラゴンがこんなにも眠っているのが異常なくらいに。」



「え…? そうなの?」



 それは意外な事実だ。

 目を丸くするキリハに、オークスは深く頷く。



「うむ。というか、ドラゴンが頻繁に壊れるようなら、リュドルフリアの封印が解ける前から、この国は普通にドラゴンに襲われていたと思わんかね?」



「あ…」



 言われてみれば、そうかもしれない。

 理性をなくしたドラゴンは、人間に関わらないようにしようと考えることもできないのだから。



 今さらそのことに思い至るなんて、どんなアホだろう。

 自分で自分のことをそう思ったけど、オークスは自分の察しの悪さに何も言わなかった。



「そう考えると、この疾患は生体異常の他に、何らかの環境的要素が関わってくるのかもしれん。あるいは、セレニアに生息するドラゴンに、この疾患を特異的に誘発する遺伝子的な特徴があるのかもしれんな。」



「………?」



「……すまん。この辺りでまとめようか。」



 キリハが会話の内容を理解しきれずに眉を寄せていると、オークスは苦笑いをしてそう言った。



「ドラゴンが危ないのかと言えば、答えはイエス。ドラゴンが簡単に壊れてしまうのかと言えば、世界的な答えはノー。セレニアに限定しても、許容範囲でノーと言えるだろう。そして壊れてしまった場合、殺さずして助ける方法は、今のところ見つかっていない。」



「……そっか。」



 その結論を聞いたキリハは、覇気のない声で呟く。



 半分落胆、半分安心という、なんとも複雑な気分だった。



 絶対的ではないとはいえ、ドラゴンは危険なのだということ。

 そして、壊れてしまったドラゴンは殺すしかないこと。



 覚悟はしていたが、こうして躊躇ためらいなく断言されると、やはり少なからずショックは受ける。



 ただ、オークスが嘘をついていないことは分かる。

 だからこれは、受け入れなければならない現実なのだ。



 でも、ドラゴンが簡単に壊れる生き物ではないと分かったことは大きい。

 そして、壊れたドラゴンを殺すしかないと言われたことは、ある意味において救いでもあった。



『楽にしてあげることしか、僕たちにはできないんだ。』



 あの時のフールの言葉と《焔乱舞》の存在を、今はまだ疑わないでいられる。

 どんなに苦しくても、その苦しさを受け入れながら剣を振ることができる。



 そう思えるだけで、胸のつかえが少しだけ取れた気がした。



「あとは、一般人がドラゴンを否定する理由だったか。この辺りに関しては科学的というよりは、歴史的、思想的な側面が強いだろう。僕からは公平かつ専門的な話はできないから、いい奴を紹介してやる。」



「分かった。本当にありがとう。」



 改めて礼を言うと、オークスはいやいやと手を振った。



「見返りはもらったから、礼には及ばんよ。内線でアポイントを取っておくから、このパンフレットの場所に行きなさい。あいつも君が相手となれば、二つ返事で時間を空けるだろう。」



 キリハにとあるページを開いたパンフレットを投げながら、オークスは机の奥に埋もれていた電話を掘り返すと、受話器を取ってどこかに電話をする。



「…………へ?」



 渡されたパンフレットに目を落としたキリハは、きょとんと目をまたたかせた。

 そこにあったのは、とある人物の写真とその経歴、その所在地を示した案内図だ。



 自分の想定には全くなかった人物。

 その人の名前が、パンフレットの中に無機質に記されていた。


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