重たい沈黙

「あらぁ…。これはこれは……」



 責任者クラスの応援が欲しい。

 ディアラントからのそんな応援要請によりロッカ森林へと訪れたフールは、そこで待っていた光景にそう呟くしかなかった。



 陣営を崩さず、未だに警戒態勢を保っているディアラントたち。

 その視線の向こうでは……



「あははははっ! くすぐったいって! ちょっと待ってよー!!」



 地面に押し倒されて大笑いしているキリハと、まるでじゃれつくように頭をすり寄せて、キリハの頬を舐めてまくっているドラゴンの姿。

 彼らから少し離れた先では、キリハにじゃれつくドラゴンより遥かに大きなドラゴンが、微笑ましそうにその光景を眺めていた。



「なるほどねぇ…。僕が呼ばれた理由が、よく分かったよ。」

「すまん。」



 苦笑いで言うフールに、ディアラントは参ったと言わんばかりに肩を落とした。



「キリハ以外の奴が近づこうとすると、そっちの小さい方が途端に威嚇してくるもんだから、下手に動けないんだよ。こっちとしては、早くキリハの手当てをしたいんだけどさ……」



「キリハ、怪我してるの?」

「右手をちょっと引っ掻かれた。本人は忘れてそうだけど。」



「……なるほど、ね。」



 フールの声のトーンがすっと落ちる。

 彼は何かを悟った様子でキリハたちを見つめ、やがて静かに宙を滑ってキリハたちへと近寄った。



「!!」



 フールの気配をいち早く察知した小さいドラゴンが、キリハの頬を舐めていた体勢のまま警戒態勢に入る。



「フール……」



 ドラゴンの態度の変化でフールの存在に気付いたキリハは、ゆっくりと上半身を起こすと、ドラゴンの背を優しくなでた。



「大丈夫。こいつは怖くないよ。」



 口ではそう言いながらも、キリハはさりげなくドラゴンを背後にかばっている。

 そんなキリハに、フールはまた苦笑するしかなかった。



「さすが、ほむらに選ばれただけはあるよね。仲良くなるのが早いんだから。」



「フール、この子たち……」

「………」



 眉を下げるキリハに、フールは何も答えなかった。

 キリハの後ろでうなっているドラゴンを見つめ、次にその背後に座っているもう一匹のドラゴンに目を移す。



「君…」



 微かに息を飲む気配。





「君――― もしかして、眷竜けんりゅうかい?」





 呟くように訊ねたフールに、問われたドラゴンの方も驚いたように目を見開いた。



 しばしの間続いた、フールとドラゴンの見つめ合い。

 それは、ドラゴンの方が動き出したことで終わりを告げた。



 彼は目を閉じると、フールに向かってうやうやしくこうべを垂れたのだ。



 騒然とするその場の空気。

 誰もがフールに驚きと困惑の視線を向ける。

 そんな中。



「――― うん。」



 フールは納得したように頷いた。



「この子たちが壊れてないのは、本当みたいだね。」



 そう言ったフールは、表情をやわらげた。



「僕たちは、君たちにこれ以上の危害を加えない。」



 小さいドラゴンに向かって、フールはそう語りかける。



「だから、他のみんなが動いても怒らないでくれるかな? 君もキリハも、怪我をしてるでしょ? その手当てをしたいだけなんだ。」



 優しく告げるフールだったが、ドラゴンがその言葉を聞き入れる素振りはない。

 すると、今度はキリハが動いた。



「俺からもお願い。 みんな優しい人だから、大丈夫だよ。ね?」



 何度もその背をなで、キリハは真摯しんしに訴える。



 途端に態度を変えたドラゴンが、不安げに鳴きながらキリハを見つめる。

 それにキリハが再度「大丈夫だから。」と告げて頷くと、ドラゴンは翼を下ろして、その場にぺたんと座った。



「ありがとね、キリハ。」



 フールは微かに笑い、次いで背後のディアラントを振り返った。



「もう大丈夫だよ。」

「総員、武器を下ろせ!」



 ディアラントが両手で大きなバツ印を作りながら大声を張る。

 それでようやく緊張の糸が切れ、その場の誰もが肩の力を抜いて大きな溜め息をついた。



 ひとまず、一つの山は越えられたようだ。



「ありがとう。お願いを聞いてくれて。」



 キリハが笑ってドラゴンの首を抱き締めてやると、ドラゴンはどこか嬉しそうに鳴いて、キリハの頭に自分のそれを寄せた。



「それにしても、よくこの子たちが壊れてないって分かったね?」



 いつもどおりの口調に戻ったフールが、意外そうな雰囲気でキリハに訊ねた。



「焔が全然動かなかったんだ。それに……」



 キリハは顔を上げ、遥か頭上にあるもう一匹のドラゴンを見やる。



「あのドラゴンの目、すっごく優しかったから。」



 自分の中の決定打はそれだった。



 自分を見下ろしたアイスブルーの瞳には一切の敵意がなくて、そしてとても穏やかだった。



 自分たちと戦うつもりはないのだ、と。

 言葉はなくとも、そんな気持ちが伝わってくるような気がしたのだ。



「キリハ!」



 ふとディアラントに呼ばれた。

 それに顔を上げると、何やら箱らしいものが飛んでくる。



「おっと。」



 両手でそれを受け取って中身を確認する。

 中に入っていたのは、ガーゼや包帯といった救急道具だ。



「オレたちは近寄れないっぽいから、自分で手当てしてくれ。」

「あ……忘れてた。ありがとう、ディア兄ちゃん。」



 ディアラントに礼を言い、キリハは救急箱の中から脱脂綿を取り上げて傷の手当てを始めた。



「ほー、器用なもんだね。」

「ま、レイミヤじゃ怪我なんてよくあることだし、俺がみんなの手当てをすることもざらだったからねー。」



 手慣れた手つきで包帯を巻きながら、キリハはフールの言葉にそう答える。



「なるほど。……さて、これからどうするかなぁ。」



 悩むような仕草を見せるフールに、後ろのディアラントが硬い表情でドラゴンたちを見上げた。



「どうするも何も、肝心の焔が動かないんじゃな……」



 ディアラントの言葉に含まれるのは、何やら深刻そうな響き。

 思わず、包帯を巻く手が止まった。



 ディアラントだけじゃない。

 ルカたち竜騎士隊も、ジョーたちドラゴン殲滅部隊もそう。



 皆の顔には、とても穏やかとは言いがたい表情がたたえられている。

 ドラゴンたちに危害を加えないと宣言したフールでさえ、壊れていないドラゴンの出現に戸惑っているようだった。



 この状況は、皆にとって喜ばしいものではないのだと。

 そのことが、痛いほどに伝わってくる。



「ねえ、フール……」



 気まずげな空気を肌で感じ取って、不安に駆り立てられたキリハは、おそるおそる口を開いた。



「この子たち、どうするの?」



 訊ねると、フールが露骨に返答に窮する。



「助けてあげられないの?」

「………」

「………っ」



 黙したままのフールに、心はより一層不安に煽られる。



「だ、だって…。フール、あの時に言ったじゃん。壊れたドラゴンは、楽にしてやることでしか救えないって。それって、壊れてないなら、他に救いようがあるってことでしょ? 違うの?」



「………」

「フール…?」



「…………ごめんね。」



 フールは囁くように告げて、ゆっくりと目を閉じた。



「僕からは、この子たちを生かすとも殺すとも言えないんだ。もちろん、必ずしも処分するってわけじゃないよ。でも………この子たちへの対処が決まるまでには、相当時間がかかると思う。」



「なんで……」

「それだけ、人とドラゴンの間に生まれてしまった溝は深いってことさ。」



 まるで突き放すようなフールの口調。

 だが、その言葉を否定する者はこの場にいない。



 ここにいる人々の表情と雰囲気。

 それらが作り出す空気の重さ。



 この場を支配するぎこちなさは、あまりにも如実に、フールの言葉の正しさを物語っていた。


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