判断不能の事態

「はあっ!?」



 キリハの訴えに、ディアラントを始めとして、その場にいる全員が瞠目した。

 その目がにわかには信じられないと語っていたが、キリハは頑としてその場から引かなかった。



 このドラゴンたちは、壊れていない。

 それは、自分の中では疑いようもない事実だった。



 《焔乱舞》は、壊れたドラゴンにとっての裁きであり、救いでもある。

 そんな《焔乱舞》が動かないということは、《焔乱舞》にとってこのドラゴンたちが、裁く対象ではないということだ。



 それに、このドラゴンたちは闇雲に暴れたりしない。

 彼らが今までのように壊れたドラゴンだったなら、この辺りはすでに破壊されまくっていただろう。



 剣も構えずにこんなに近づいているのだから、本当ならこの程度の怪我じゃ済まなかったはずだ。

 今だって自分が背を向けているのにもかかわらず、小さいドラゴンはあれ以上の攻撃を仕掛けてこない。



 極めつけは、自分を静かに見下ろしていた、大きいドラゴンの穏やかな瞳。

 それが、このドラゴンたちが壊れていないという何よりの確証だった。



「壊れてないって……キリハ、気をつけろ!」

「!?」



 ディアラントが見ている先を追って、キリハは目を見開く。



 大きいドラゴンが、ゆっくりと立ち上がろうとしていたのだ。

 その巨体が動くと周辺の木々がきしんだ音を立て、折れた枝が雨のように降ってくる。



 ドラゴンはまっすぐにキリハを見下ろし、次に長い首を曲げてキリハに頭を近づけてきた。



「キリハ!!」

「大丈夫だから!」



 キリハは駆けつけようとしたディアラントを止める。



 本当は少し怖い。

 でもここで自分が逃げたら、自分が安全圏に入った瞬間に、ディアラントたちは彼らを攻撃してしまうだろう。



 逃げてはいけない。

 このドラゴンが、本当に壊れていないのだと証明するためには。



 もどかしいほどゆっくりと、しかし確実に近づいてくるドラゴンの頭。

 それを、キリハは腹をくくって待ち受けた。



 ドラゴンはキリハの首元で動きを止めると、動物がそうするように鼻を震わせた。

 おそらく、においをいでいるのだろう。



 ドラゴンは何かを確かめるかのように、キリハの全身をくまなく嗅ぎ回った。

 次にキリハの腰に下がる《焔乱舞》を、つんつんと鼻頭でつつく。

 最後にキリハの顔の前で頭を止めた彼は、キリハの目を真正面から見つめる。





 そして――― キリハの頬に、自分の頭をそっとすり寄せた。





「……え…?」



 予想外のドラゴンの行動に、キリハもその後ろの面々も、目をしばたたかせて固まるしかなかった。



 本来なら、ドラゴンは見境なく破壊行為をしないらしい。

 以前、何かの折にサーシャから聞いた言葉を思い出す。



 もしもその言葉が、本当なのだとしたら―――



「………っ」



 キリハはつばを飲み込み、意を決して手を動かした。



 壊れ物を扱うように、ドラゴンの鼻辺りに両手でそっと触れる。

 初めて触れたドラゴンの肌は固くて冷たかったが、鼻から漏れる呼気は、確かにこのドラゴンが生きていることを訴えかけてくるように温かかった。



 優しげに目を閉じたドラゴンは少し頭を動かして、キリハの右手の血をぺろりと舐めた。



 まるで、怪我をさせてすまなかったと謝られているような気分。

 その丁寧な仕草に気が抜けて、キリハは微笑んでドラゴンの鼻に自分の額をつけた。



「大丈夫。」



 伝わっているかは分からないが、優しくそう言ってやる。



 ふとその時、小さいドラゴンがまた低いうなり声をあげた。

 多分だが、仲間が人間に近づいていることを、自分なりに心配しているのだろう。



 しかし次の瞬間、大きいドラゴンは鋭い眼光を瞳に込めると、キリハではなく小さいドラゴンに向かって一喝した。



 えられた小さいドラゴンは怯んだように体を震わせると、翼と尻尾をぺたんと下げて、弱々しい鳴き声を発した。

 先ほどまでの人間への警戒は一変し、今は大きいドラゴンに怯えているようだ。



 その後、ドラゴンたちは何やら会話をするような仕草を見せた。



 初めは少し抗議的な鳴き声と態度の小さいドラゴンだったが、だんだんとその鳴き声から覇気がなくなっていき、最後にはしゅんとうなだれてしまう。

 その様子はまるで、親に叱られて落ち込む子供のようだ。



 小さいドラゴンはその姿勢のまま歩き出し、自らキリハのすぐ近くまで寄ってきた。

 彼はすっかり落ち込んだ様子でキリハの前に頭を下げると、自分がつけた傷をいたわるように何度も舐める。



(そっか……)



 このドラゴンがどうしてあそこまで自分たちを警戒していたのかが分かって、キリハは左手でその子の頭をなでた。



「ごめんね、急に攻撃したりして。もう大丈夫だよ。もう、痛い思いはさせないから。」



 少しでも恐怖がやわらぐように、キリハは優しく語りかける。



 不思議なことに、そんな自分の気持ちが伝わったのかもしれない。

 何度もなでているうちに、やがて小さいドラゴンも警戒心を解いて、甘えるように頭をすり寄せてくるようになった。



「えーっと…。ジョー先輩。」



 目の前に広がる世にも奇妙な光景に戸惑いつつ、ディアラントが後衛ラインを守っていたジョーを振り返った。



「すみません。これ、オレじゃもう判断できないです。申し訳ないですけど、応援を呼んでもらってもいいですかね?」

「……そのようだね。」



 ディアラントの言葉に、ジョーも同じく戸惑った表情で頷く。



 壊れていないドラゴンの出現。



 それに、キリハ以外の誰もが動揺を隠せずにいた。


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