師匠の相棒

 太陽の下に出た瞬間、四方八方から襲いくる騒音レベルの歓声。

 思わず耳を塞ぎたくなったが、なんとか顔をしかめる程度で不快感を抑える。



「よう。しけた顔してんな。もうちょっと、出てくるのを渋るかと思ったぜ?」



 盛り上がる観客たちを見ないように地面を見つめていると、前方から親しげに声をかけられる。



「そりゃあ、大会が始まってから、一度も本気を出せてないからね。鬱憤うっぷんも溜まるって。」



 顔を上げ、キリハは目の前に立つミゲルに苦笑を向けた。



 Bブロックの決勝戦。

 自分の対戦相手はミゲルだ。



「まさか、ミゲルまで手抜きはしないよね?」



 冗談めかして訊ねる。



「そういう交渉はあったぜ?」



 こちらの口調に合わせるように、ミゲルもまた軽い口調で裏工作があったことを認めた。



「もちろん、追い返してやったけどな。」



 にかっと笑うミゲル。



「自慢じゃねぇが、おれはディアの右腕兼相棒なもんで。おれの人生をぶち壊してくれた恩人を裏切る予定は、どこにもねぇよ。」



「それでドラゴン部隊に飛ばされたんだ?」



 言ってやるとミゲルは一瞬固まり、すぐに事情を察した顔をした。



「ははぁ…? ジョーの奴がしゃべりやがったな。」

「当たり。」



 いつもどおりのミゲルの様子に、キリハは肩の力を抜いて体勢を整えることにした。



「じゃあ悪いけど、ちょっと憂さ晴らしに付き合ってよ。」



 あえて剣は抜かず、キリハは半身でミゲルにすごみを帯びた視線を向ける。



「おう。どっからでもかかってこい。……って、仕掛けるのはおれの方だけどな。」

「あはは、確かに。」



 互いに笑い合ったところで、試合開始を予告する低いブザー音が鳴り響いた。



 それで、双方から笑顔が消える。

 一瞬の内に五感を切り替え、互いの姿しか見えなくなるレベルまで集中力を高める。



 そして。



 甲高い試合開始の合図と共に、ミゲルの足が地から浮く。

 これまでの対戦相手たちとは格段に違う身のこなしと、そのスピード。



 容赦なしに迫るミゲルに対し、一向に剣を抜かないキリハ。

 その異様な様子に、観客たちが動揺して固唾かたずを飲む。



 微かに悲鳴も飛び交う中、じっとミゲルを見つめていたキリハは……



 ――― にっ



 わずかに口の端を上げた。



 最大限の速度を出しながらも、最小限の動きで繰り出されるミゲルの初撃。

 そのタイミングを完全に見切っていたキリハは、目にも止まらぬ速さで剣を抜いてミゲルのそれを受けた。



 それと同時にミゲルの体に沿うように身を回転させながら彼の背後に回り、スキップするような軽い足取りで彼から距離を置く。



「さすがはキー坊だな。おれも、ギリギリまで踏ん張ったつもりなんだが。」



 特に悔しげというわけでもなく、ミゲルはからりと笑って再び剣を構える。

 そんなミゲルに、キリハも楽しそうな笑い声をあげながら彼との距離を調整した。



「えへへ。半分は勘だったけどね。」

「正確すぎんぞ。その勘!」



 おしゃべりもほどほどに、ミゲルは先ほどとは違って、細かなフェイントをかけながら次々と剣を繰り出してくる。



 すごく柔軟な剣だ。

 抱いた感想はそれだった。



 ミゲルの動きには決まった型がない。



 こちらの動作、自分の力の入り具合、風向きなどの微かな環境の変化。

 それらに合わせて、彼の動きはころころと変わる。

 まばたき一つの間に動きの方向性が変わることもしばしばだ。



 どうりで去年の本決勝まで進んだわけだ。

 これは、さすがの流風剣でもそう簡単にはぎょしきれない。



「お前……ディアとは全然違う剣筋してんな。ちょっと、研究が足りなかったか…っ」



 計算外だったのか、ミゲルの表情に少しの険しさが混じった。



「へえー。それに気付いたのは、フール以外ではミゲルが初めてかも! ってか、俺のこと研究してたんだ?」

「そりゃ、あのディアの愛弟子だからな。そう簡単には負けたくねぇし、それなりに見させてもらってたぜ。」



 ミゲルの攻撃を圧巻の早さでさばいていたキリハは、右下から迫ったミゲルの剣を真正面から受け、その反動を利用して大きく背後に跳躍した。



「まったく、ムカつくくらい涼しい顔してんな。こうなるんだったら、普段からもっと手合わせしとくんだったぜ。」

「それはお互い様じゃないの。」



 汗を拭うミゲルに、キリハは無邪気に笑って肩をすくめてみせる。



 普段は味方として共に剣を振っているので、こうして敵に回った時の動きは熟知していない。

 それはミゲルだけではなく、こちらも同じ条件だ。



「天才に育てられた天才と一緒にするなっての。」



 言葉を交わしながらも、ミゲルとキリハは互いの一挙一動に細心の注意を払う。



 さて。

 憂さ晴らしと言ったのだから、ここは自分も全力で楽しまないと損だ。



 キリハは剣を下ろしたまま羽のように一歩、二歩と歩みを進めた。

 そして次の瞬間、ミゲルのそれを遥かに上回るスピードで一気に彼との距離を詰める。



「!!」



 驚きながらも、ミゲルはすぐに迎撃体勢を整える。



 彼の半歩前で足を止め、あえて攻撃を加えずに右前へと跳躍。

 背後にすかさず迫ってきた剣を見ないまま受け流しつつ、ころりと地面を転がって着地すると、曲げた膝を思いきり伸ばして下からミゲルの懐を狙いにいく。



 その攻撃は、間一髪のところでミゲルの剣に受け止められてしまったが、そこには深くこだわらない。

 つばり合いに持ち込まれる前に素早く身を翻し、ミゲルの力を自分の後ろへと逃がす。



「……ったく。お前は猿か!?」



 華麗に宙で一回転してみせたキリハに、さすがに仰天した様子のミゲルが声を裏返した。



「正直、すばしっこさならディア兄ちゃんより上だと思ってる。」



 楽しそうに笑うキリハは、ディアラントを彷彿とさせるようなおどけた口調でそんなことを言う。



 怪我で二ヶ月ほど動けなかったせいで、これでも以前と比べると、少し動きがにぶくなってしまっているのだ。

 なんとかここまで体力を戻したものの、まだまだ自分が納得できる動きはできていないのが現状である。



「敵に回るとめんどくせぇな……」



 ぼやくミゲル。



 彼はおそらく、これからの動きに悩んでいるのだろう。



 自分ばかりが攻めては、受けを得意とする流風剣の流れに巻き込まれることになりかねない。

 しかしだからといって、こちらに攻めさせるのも対処に限界があることは、今の流れで十分に知ったはずだ。



 ミゲルが思うところがなんとなく伝わってきて、キリハは嬉しそうに目元をなごませた。



 彼が深く考えているということは、それだけ本気で自分と戦ってくれている何よりの証拠だ。

 これまで受けてきたミゲルの剣にも一切の手加減はなかったし、本気だからこそああやってぼやくのだ。



 キリハは右足を一歩前へ踏み出す。



 さっきは少しミゲルを追い込む目的で動いたのだが、あの動きはミゲルにさばかれてしまうことが分かった。

 柔軟なミゲルには、特に苦手とする攻撃の方向もないようだ。



 大事なのは、攻撃と防御のバランス。

 ミゲルの攻撃を受け流しつつ、彼をこちらの流れに乗せていると勘付かれない程度に、自分からも攻撃をしなければならない。

 それも攻守のリズムを切り替えるタイミングを誤れば、彼をこちらの流れから逃がす要因になってしまう。



 ミゲルと目を合わせた一拍の間に行われる駆け引き。

 結果的に勢いよく走り出したミゲルの攻撃を、キリハは自然体で待ち受けた。



 剣が触れ合い、そして一瞬で離れていく。



 互いの間に、もう会話はない。

 それぞれが互いの動きの身に集中し、その先を読んで先手を打とうと身を躍らせる。



 永遠にも、刹那にも思える時間。

 その中でキリハは少しずつ、それでも確実に流れを引き寄せていた。



 そして。



(――― 掴んだ。)



 ミゲルの剣を流した瞬間に得られたのは、確かな手応え。

 キリハはその手応えが訴えるままに腕をひらめかせた。



 直後、時間が静止する。



「―――――………」



 キリハもミゲルも、一切動かない。



 ミゲルの顎を伝っていく汗が、その首元の剣に落ちる。

 ゆっくりと顔を上げてミゲルと目を合わせたキリハは、にっこりと笑った。





「……はは、降参。」





 少しでも動けばその首が切れてしまう状況で、ミゲルはくすりと微笑んで両手を挙げる。

 それを受けて鳴った試合終了と告げるブザー音と共に、それまでしんと静まり返っていた会場が、大音量の拍手喝采に包まれた。



「ありがとう、ミゲル。」



 キリハはそのままの体勢でミゲルに礼を言い、静かにその首から剣を離した。



「おかげで、すっきりした。」



 ミゲルが本気で相手をしてくれたおかげで、ただ剣だけに没頭できる時間を過ごすことができた。

 今までの不愉快な気分が、濃密で充実したこの時間で一気に昇華されたようだ。



「あーあ。やっぱ、ディアが太鼓判すだけあってつえぇな。」



 悔しそうな様子のミゲルは、さっきまで剣が当たっていた首筋をさすっている。



 怪我はさせなかったとはいえ、彼の動きを完全に封じるために限界まで剣を食い込ませたので、もしかしたら少し痛むのかもしれない。



「ごめん、痛かった?」



 少し気になったので近寄って首を覗き込もうとすると、突然伸びてきたミゲルの大きな手に、思い切り髪の毛を掻き回された。



「よせって。そういうのは、裏に引っ込んでからにしろ。」



 どこか気恥ずかしそうに、ミゲルはぐるりと会場内を見渡す。



「ほら。すっげぇ盛り上がりようだ。さっさと引っ込まないと、収集つかなくなる。」



 観客席はなかば混乱状態で、興奮のあまりにフェンスに飛びかかっている人々の姿も見える。

 慌てて駆けつけた警備員が観客を落ち着けようと声を荒げているが、制止の声に耳を貸す者はほとんどいない。



 これはミゲルの言うとおり、自分たちが早々に退散しないとまずそうだ。



「おら、行くぞ。」

「うん。」



 ミゲルに肩を叩かれ、キリハもそれに頷く。

 会場に響く歓声は、キリハたちが去ってからもしばらくは消えることがなかった。


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