魔境からの介入

「キリハ君……だったかな? 少しいいかい?」



 キリハがその男性に声をかけられたのは、開会式も終わって、選手たちがそれぞれの競技場に移動した後。

 誰もいなくなった特別控え室でのことだった。



「そうだけど……誰?」



 キリハは眉をひそめて首を傾げる。



 無駄にカメラに囲まれたくなかったら、試合が始まってしばらく経ってから出てこい。

 ミゲルにそう言われてたので、こうして一人で特別控え室にこもっていたわけだが、こんな客が来るとは聞いていなかった。



 そもそも、ここには自分が知らない人間など入ってこないはずだけど……



「国防軍参謀局第一部隊隊長、並びに国防軍総督部序列第二位のランドルフという。君とは一度、国防管理部の会議室で会っていると思うが。」



「!!」



 キリハは大きく目を見開き、次に威嚇態勢でランドルフを睨んだ。



「ああ、そんなに身構えないでくれ。私から君に近づいたりはしない。」

「だったら、さっさと出てってよ。」



 総督部と聞いただけで気分が悪い。

 しかもあの時あの部屋にいたということは、彼はあの下衆げすどもの仲間ということではないか。

 話を聞く気もない。



「はあ…。君の警戒は仕方ない。だから、話も手短に終わらせるよ。ジョーもちゃんと、話を通しておいてくれればいいものを。」

「……え?」



 何を言われても拒否するつもりでいたキリハは、思わず肩を震わせた。



 今ランドルフは、ジョーの名前を出さなかったか?



 身を固くするキリハが見つめる中、ランドルフはポケットから、折り畳まれた一枚の紙を取り出した。



「毎年、ジョーに渡していたんだけどね。今年はジョーがディアラントと同じブロックになってしまったから、代わりに君に託そうと思ってここに来たんだ。何せ、他の所は盗聴器だらけで、話どころではないからね。」



 一言も発しないキリハには構わず、ランドルフは手に持つ紙片をひらひらと掲げる。



「これをミゲルに渡しなさい。多分ミゲルなら、ジョーから何かしら聞いているだろう。ディアラントの試合の時間まで、まだ余裕がある。」



「嫌だって言ったら?」



 うなるような声で訊ねるキリハ。



 ジョーやミゲルの名前を出されたところで、怪しいものは怪しい。

 すぐに信用しろと言う方が無理だ。



 ランドルフは静かに目を閉じ、持っていた紙片を机に置いた。



「判断は君次第だ。これがミゲルの手に渡らなかったら――― その時は、ディアラントが死ぬかもしれないだけだ。」



「!?」



「じゃあ、確かに託したからね。お師匠さんを守りたいなら、騙されたと思ってこれをミゲルに渡してごらん。」



 ランドルフはそう言って、あっさりと部屋から去っていった。



 キリハはしばしその場にたたずみ、意を決して机の上に乗る紙片を取り上げた。



 中を開くと、そこにはいくつもの数字とアルファベットが並んでいる。

 何も知らない自分には意味の分からない暗号だが、分かる人間には通じるのかもしれない。



「………」



 キリハはじっと紙面を見つめた。



 託されたのは、この紙が一枚だけ。

 この前のように、薬ではない。



 でも、本当に信じてもいいのだろうか?



 特に悪質な交渉などを持ちかけてこなかったとはいえ、彼もまたジェラルドと同じく、総督部の人間だ。

 これが罠である可能性は十分に高い。



 やはり、彼の言葉に従うのは気が引けるが……



『その時は、ディアラントが死ぬかもしれないだけだ。』



 頭の中に警鐘を鳴らすのは、ランドルフが告げたこの言葉。



 迷っている時間がないなら―――



 キリハは紙片をポケットに突っ込み、特別控室のドアを開いて廊下へと飛び出した。


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