ターニャの信念

「あの……ありがとう。助けてくれて。」



 国防管理部から宮殿本部へと移ったところで、キリハは前を行くターニャとフールに礼を述べた。



 どうせ、会議が早まったというのは嘘だろう。

 さすがの自分でも、そのくらいのことは聞かずとも分かった。



「いいのですよ。元はといえば、私たちが油断していたことが原因ですから。」

「そうそう。もっとひどいことになる前でよかったよ。」



 フールに言われ、キリハは思わず《焔乱舞》のつかを握った。



 フールの言うとおりだ。

 あそこでフールが乱入してこなかったら、今頃会議室は真っ赤に汚れていたことだろう。





「本当に……――― キリハが怪我する前でよかった。」





 穏やかな声が耳朶じだを打ち、キリハはハッとして顔を上げる。



「……なんで、分かるの?」



 気付けば、そんな言葉がぽろりと口から零れ落ちていた。



「そりゃ分かるよ。」



 フールは微笑む。



「キリハは絶対に、剣で人を黙らせることはしない。自分の実力を分かっているからこそ、それを笠に着ることはしないよ。レイミヤもディアも守るためには、自分が使い物にならなくなればいい。そう思ったんでしょ?」



 大正解である。

 キリハは目を丸くする。



 何故分かるのだろう。

 自分だって、ついさっき自分の思考の行き着く先に気付いたばかりだというのに。



 完全に衝動的な思いだった。



 自分がどの道を選択しても、誰かが傷つく展開はけられない。

 そう理解した瞬間、やいばの向く先には自分しかいなかった。



 おそらくあのまま剣を抜いていれば、下手すれば自分の左腕を切り落とすくらいはしていたかもしれない。

 今になってよくよく考えてみれば、随分と怖い行為に出ようとしていたものだ。



「実はあの時、中の話を盗み聞きするのに夢中になってて、空気が変わったのに気付くのが少し遅れてさー。やばって思って、慌てて飛び込んだんだよね。いやぁ、間に合ってよかった。」



「うん、ありがとう。もうちょっとで、またみんなに迷惑かけちゃうところだったよ。」



 本当によかった。

 心の底からそう思った。



 ようやく背中の怪我の影響がなくなったというのに、また皆に心労をかけるような展開は望ましくない。



「そういえば、なんで俺があそこにいるって分かったの?」



 国防軍の連中に囲まれた時、不運なことに周囲には誰もいなかった。

 フールとターニャはおそらく執務室にいただろうから、こんな風に駆けつけてくることなどできなかったと思うのだが……



「ルカさんには、感謝しないといけませんね。」



 キリハの疑問に答えたのはターニャだ。



「ルカが?」



 キリハが訊ねると、ターニャの言葉を肯定するようにフールが何度も首を縦に振った。



「キリハ、自分の部屋に戻ろうとして、階段の踊り場で捕まったんでしょ? その時ルカがたまたま、共用のバルコニーにいたんだよ。で、キリハが国防管理部まで連れていかれるのを確認してから、僕たちに電話で教えてくれたんだ。『なんか、いつもと違うところに連れていかれてるけど、ほっといていいのか?』って。」



「見てたなら助けてよ……」



 第一に浮かんだ感想はこれだった。

 しかし。



「いやいや。ルカの判断は正しいよ。」



 フールはルカを擁護ようご

 その意味が分からず、キリハは懐疑的に首を傾げる。



「ルカがあえてキリハを見送ってくれたおかげで、僕もターニャも現場を押さえることができたし、総督部のみんなに直接釘を刺すことができた。牽制はそれなりに状況が整ってないと、効果をなさないからね。」



 そういうものなのだろうか。

 キリハは頭を悩ませる。



 大会の開催が決定してからというもの、なんだか宮殿が異空間になってしまったみたいだ。



 周りに気を許すなと言われるし、国防軍の人々はころころと態度を変えてくるし、目の前に金は積まれるし。

 こんな風に生活していて、一体何が楽しいのだろうか。



「いいのですよ。」



 キリハが理解に苦しんでいることを察したらしいターニャが、その顔にはかなげな笑みをたたえた。



「これは宮殿の闇であり、国の汚点でもあるのです。本当ならキリハさんが知る必要も、巻き込まれる必要もなかったこと。無理に理解しようとしなくてもいいのですよ。」



「うん……」



 キリハは曖昧あいまいに呟いて視線を落とす。



 そうは言われても、今さら部外者へと引き返せるような立場ではないと思う。

 それに、ターニャが言う宮殿の闇とやらにディアラントが巻き込まれているとなれば、自分だって黙ってはいられない。



「まあまあ!」



 うなるキリハの肩を、フールが何度も叩いた。



「とりあえず、レイミヤのことは気にしないで強気に出ちゃっていいからね。」

「あっ……」



 フールの言葉でレイミヤのことを思い出し、キリハは落としていた視線を上げた。



「ありがとね。ばあちゃんたちのこと、かばってくれて。」

「かばうも何も、あれはただの事実ですよ。」



 その断定的なターニャの口調に、キリハはきょとんとして目をしばたたかせる。

 ターニャは淡々と続けた。



「レイミヤがこの国の農耕に絶大な影響力を持っているのは、本当のことです。レイミヤからの農作物の供給に支障が出るだけで、国内生産にも輸出業にも多大な被害が出ます。現に今、ドラゴン出現によるレイミヤへの被害が影響して、野菜の価格が高騰しているんですよ。」



「へ、へぇ……」



「それにあなたを竜騎士として迎えに行った際に、レイミヤを模範都市として推薦すると言ったことを覚えていますか?」



「うん。」



「あの申請も、もうひと頑張りで正式に可決される見込みです。そうしたら、いくら総督部でもレイミヤに手は出せなくなるでしょう。国から正式に推薦された町を、国の中枢である国防軍が害するわけにはいきませんからね。」



「そ、そうなんだ……」



 まさかレイミヤにそこまでの重要性があるとは思っていなかったので、キリハは少し戸惑いながら、そうとだけ返した。



「そうなんだよ。だから、レイミヤのことは心配しないで大丈夫。ディアもそれを知ってるから、あそこまで強気なんだ。総督部の奴ら、前にディアのこともこうやって脅したことがあったんだけど、ディアはああ見えてずる賢いからねー。レイミヤの価値を事細かに説明した後で、できるならやってみろって煽ってくれちゃって。あの後、総督部を抑え込むのに苦労したんだから。」



 フールが苦笑いを含んだ声で語る。

 そこで、ふと疑問に思った。



「じゃあ、レイミヤを守ってくれてるのは、ディア兄ちゃんのため…?」

「いいえ。」



 間髪入れずに返ってきたのは、ターニャからの否定。



「私は神官です。特定の誰かに肩入れすることはしません。レイミヤに毎年ドラゴン殲滅部隊から警備隊が出ているのは、あくまでも部隊の人々の嘆願によるもの。私はそれに許可を与えたに過ぎません。ディアラントさんがそれだけの人望を集めているのは、あくまでも彼自身の実力です。」



 レイミヤの件について、ターニャはきっぱりと自身の介入を否定した。



「過去にレイミヤの件で総督部を治めたのも、今回レイミヤが模範都市として可決されるのも、審査と最終決定権は第三組織に委ねています。そういう平等な視線が求められる場において、私は神官としての権力を押しつけようとは思いません。権力の押しつけは統治ではなく、ただの独裁ですからね。」



 よどみなく答え、ターニャは最後に目元をなごませた。



 神官としての、国民を平等に扱おうという信念。

 自分が治める国に対する愛情。



 この時のターニャから感じられたのは、そんなものだった。


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