ミゲルの豹変

 エリクと長話をしていたら、すっかり遅くなってしまった。

 十時を回った時計をたまに気にしつつ、キリハは裏口から宮殿へと入る。



 終業後の行動は基本的に自由だし門限もないのだが、これまでの孤児院生活のせいか、遅くまで外出することに慣れていない。

 誰にとがめられるわけでもないが、キリハは無意識の内に息と足音をひそめて歩いていた。



「おかえり。」



 裏口の廊下を抜けて正面入り口のホールに出たところで、ふと誰かに声をかけられた。

 予想外だったこともあり、キリハは大袈裟なほどに肩を震わせてきょろきょろと辺りを見回した。



「なんだ、ミゲルか……」



 ホールの窓際に据えられた一人がけのソファーに座っていたミゲルを発見し、キリハはほっと胸をなで下ろす。



「悪い、驚かせたか。」

「うん。ちょっとね。」



 くすりと微笑み、キリハはミゲルの方へと歩みを進めた。



「どうしたの?」

「ちょっと、キー坊に話があってな。」



 ミゲルの言葉を聞き、キリハは軽く目を見開く。



「もしかして、ずっと待ってたの? メール送ってくれれば、すぐに帰ったのに……」



「あー、気にするな。ルカにお前の居場所を訊いたら、どうせエリクに呼び出されたんだろうって言われてな。この時間に帰ってくるのは想定済みだ。おれが邪魔する必要はないと判断しただけだよ。待ってたっていっても、せいぜい十分くらいだしな。」



「そうなんだ。話って何? 結構長くなるの?」



 単刀直入に本題に入る。

 するとミゲルは頭を動かさないまま、目だけで周囲の様子をうかがい始めた。



「あんま長話をするつもりはねぇけど……ここじゃ、誰に聞かれてるか分かったもんじゃねぇな。」



 ミゲルの表情は険しい。

 おそらく、他人に聞かれるのは都合がよくないのだろう。



「俺の部屋に行く?」



 提案すると、ミゲルは素直に頷いた。



「悪いな。じゃあ、ちょっと邪魔させてもらうわ。」

「うん。」



 特に不都合があるわけでもないので、キリハは快く答えて歩き始める。

 ミゲルが後ろからついてきているのを確認し、ホールの隅にあるエレベーターへと向かった。

 十五階まで並んだボタンの中から、自分の部屋がある十四階を選んでボタンを押す。



「疲れてるところ、すまねぇな。」



 動き出したエレベーターの中で、ミゲルがそう口を開いた。



「別に疲れてないし、気にしてないよ。なんか、さっきから謝ってばかりだね。」



 キリハが軽く笑うと、ミゲルは苦笑いをする。



「そうか? まあ今回に関しては、キー坊には謝らねぇといけないことがいっぱいあるからな。大会のこととか、面倒事に巻き込んじまっただろ?」



「あれは、ディア兄ちゃんが勝手にやったことじゃん。なんでミゲルが謝るの?」



 冗談めかして言ったつもりだったのだが、ミゲルは何故か表情を曇らせたままだった。



「……やっぱ、なんか笑えない事情があるんだ? 話って、ディア兄ちゃんのことでしょ?」



 意を決して訊いてみる。

 昼間のこともあったので、話の内容はなんとなく想像がついていた。



 ディアラントは普段の性格がああなので、自分はいつも流されてしまうが、こうしてミゲルがディアラント抜きに話を持ちかけてくるくらいだ。

 本当は、笑って済ますレベルではない何かがあるのだろう。



 昼に見た、狩人かりゅうどのようなディアラントの瞳。

 思い出そうと思えば、あの時感じた寒気も鮮明によみがえってくる。



「多分俺も、意味が分からないからって他人事にしてちゃまずいんだよね。」



 頭がいいとか悪いとか関係なく、これはきっとそういう問題なのだ。



「そうだとおれは思う。ディアははぐらかす気満々だったが、竜騎士として宮殿にいる以上、キー坊には知る権利があるだろう。だから、これはおれの勝手なお節介だ。嫌なら、話すのをやめとくぜ?」



「ここまで来といて? 無理無理。俺、知りたがりだもん。」



 キリハが明るく言ったところで、エレベーターが十四階に到着した。

 照明が落ちた暗い廊下を、他の人々へ気遣ってできるだけ静かに移動する。



 そうして一直線に自分の部屋まで向かったキリハが、ドアを開けたところで……



「キー坊。」



 ふと、後ろから呼び止められる。

 それにキリハが振り返ると、そこではミゲルがじっとドアを凝視していた。



「お前、部屋に鍵かけてないのか?」



「え…? うん。なんか、ルカにも鍵かけろって言われたんだけど、特に大事なものも置いてないし、レイミアでは鍵かけてなかったから、どうしても忘れちゃうんだよね。」



 ここにいる人々のことは信用しているし、これまでに部屋を荒らされたこともない。

 自分としては、鍵をかけることの必要性がいまいちピンとこないのだ。



 しかし。



「……悪いな、キー坊。先に謝っとくぞ。」

「え? どういう――― わっ!?」



 ミゲルが血相を変えて部屋の中へと押し入っていったので、キリハは驚いて思わず身を引いてしまった。

 茫然として立ち尽くしていると、部屋の中から物が床に落ちるような騒がしい音が聞こえてくる。



「えっ!? 何事!?」



 予想外の物音に、キリハは大慌てで部屋へと入った。

 廊下を抜けてリビングに入ると、そこにはこれまた想定外の光景が。



 部屋中が、まるで空き巣に入られたかのように荒れていたのだ。



 机などの引き出しは床に放り出され、その中身が見事にぶちまけられている。

 電化製品が繋がっていたコンセントからはコードが一つ残らず外され、壁にかかっていた時計なども外されていた。



「ミ、ミゲル!?」



 相も変わらず空気を揺らす騒音を追って、キリハは寝室を覗き込む。

 そこでは、この惨状を生み出した本人であるミゲルが、狂ったように部屋の中を荒らしまくっているところだった。



「何して―――」



 訊ねようとしたキリハだったが、ミゲルはそんなキリハを制するように手のひらを突きつけた。

 キリハがそれに口をつぐんだところで、ゆっくりとその手を自分の口元に持っていき、そこで人差し指を立てる。



 どうやら、黙っていろということらしい。



 結局キリハは、ミゲルの言うとおりに口を引き結んだまま、自分の部屋が悲惨な状態になっていく様を見守るしかなかった。


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