笑顔の裏に潜む危険

 しばらくして、一通り全ての部屋を物色し終えたミゲルが、溜め息をつきながらリビングに戻ってきた。

 ミゲルはダイニングテーブルに座るキリハの向かいに腰かけると、持っていた布の包みをテーブルの真ん中に置く。



 ゆっくりと開かれた布の中には、小指の先ほどの大きさの機械が二つと、見覚えのないコンセントタップが一つ。



 ミゲルはキリハが中身を見たことを確認すると、またそれらを布に包んでビニール袋の中に放り込んだ。

 そしてそれを玄関の戸棚の上に置いて、リビングのドアを閉めてから戻ってくる。



「――― よし。もうしゃべっていいぞ。」

「……はあ。」



 ようやくミゲルからその言葉が出て、キリハは思わずつめていた息を吐き出した。



「さっきのやつ、何?」



 ミゲルが見せてきたものは、どれも自分の記憶にはないものだった。

 あんなもの、いつの間に自分の部屋にあったのだろうか。



「盗聴器だよ。」



 ミゲルが忌々しげに言う。



「と……盗聴器?」



 思わぬ単語に、キリハは目を丸くする。

 対するミゲルは、この状況に激しい苛立ちを覚えているようだった。



「……ったく。大会の開催が決まって一週間でこれか…。だからおれは、キー坊には全部話した方がいいって言ったんだ。」



 その顔にめいいっぱいの嫌悪の色を浮かべ、ミゲルはキリハをまっすぐに見つめる。



「いいか、キー坊。よく聞け。」



 重々しく告げられ、キリハは固唾を飲む。



「今から少なくとも、大会が終わるまでは身の周りに警戒しとけ。ちゃんと部屋の鍵もかけるようにしろ。忘れそうなら、上に頼んでオートロック式のドアにしてもらうから、そこは素直に言ってくれ。」



「えっと……」



「多分あれ以外にも、盗聴器が仕掛けられてるはずだ。明日にでも、ちゃんとした捜査を頼んでおく。今日回収したやつも一応提出して解析はしてもらうが、多分見つかることは想定済みだろうから、あれで足はつかないだろうな。」



「待って…。全然ついていけないんだけど……」



 キリハは正直な心境を伝える。



 どうして自分の部屋に、盗聴器なんかが仕掛けられていたのか。

 身の周りに気をつけろとは、一体どういうことなのか。



 現状すら正確に把握できない状態では、ミゲルの忠告も意味が分からないままだ。



「そうだな。悪い、説明を飛ばしすぎてるな。」



 ミゲルは目を閉じて額に手をやる。

 それで、混乱しているのは自分だけではなくミゲルも同じなのだと知った。





「この時期になると、国防軍のやからは全力でディアを潰しにかかるんだよ。」





 ミゲルが発した言葉の内容は、自分が想像していたものからはかけ離れ過ぎていた。

 その言葉は、これまで見てきたディアラントと彼を慕う人々の姿からは、到底想像できるものではなかったからだ。



 言葉も出ない様子のキリハに、ミゲルは同情的な表情をする。



「急にこんなことを言われても、ピンとこねぇよな。でも、事実なんだよ。おれらと国防軍は同じ軍人だけど、同じじゃない。あくまでも別もんだと思った方がいい。キー坊はあんまり人を疑うことをしねぇから、先に言っておく。国防軍の奴らに下手に気を許すな。すぐに足元をかっさらわれるぞ。」



「えっ…と……なんで……」



 それだけを絞り出すので精一杯だった。



 知りたいことは山ほどある。

 しかし何から訊けばいいのか分からず、そんな曖昧あいまいな訊ね方しかできなかった。



「そこまで詳しくは話せないが、奴らはこれ以上ディアに大会で優勝されちゃ困るんだ。だが、ディアの実力はあのとおりだ。正面から挑んでも、到底敵いやしない。だから、少しでも弱みを握ろうとする。ああいう手段に出てもな。」



 ミゲルの視線が動き、リビングの先に続く廊下を見据える。



「ディアは自分の心配をしてほしくなかったみたいだが……ここまでくるとそういう問題じゃないのは、さすがに分かるな?」



 ミゲルに訊かれ、キリハはこくりと首を縦に振った。



「キー坊。お前がディアの愛弟子だっていう情報は、もう向こうに流れてる。卑劣な手段に出る奴らが、いつお前を狙うかは分からねえ。現時点で盗聴器を仕込まれてるってことは、すでにお前は奴らのターゲットになってるってことだ。それは忘れんな。一応念を入れて、ルカたちにもそれとなく事情は伝えるつもりでいるが、とにかくお前は油断するな。」



「……分かった。」



「ターニャ様から特別許可が下りてて、大会までの間はドラゴン部隊から、毎日ローテーションでレイミヤに警備隊を出すことになってる。今年は、中央区にも警備隊を出した方がいいかもな……」



「そこまでしなきゃ、だめなんだ……」



 ミゲルの警戒ぶりに、背筋が震えた。



 よくないことが起こっているとは察していた。

 でもまさか、これほどまでの警戒を要するレベルだったなんて。



 ディアラントを中心に回る世界は、あの温かさの裏にこんな危険も抱えていたのだと。

 そう実感せざるを得ない。



「怖がらせてるよな。でも、事実だから受け止めてもらうしかねぇんだ。これまでにレイミヤに、何かしらの被害が及んだことはない。警備は念のためって感じだ。でも……」



 そっと伏せられるミゲルの瞳に宿るのは、自分で告げた〝念のため〟という言葉を真っ向から否定するような険しい光。



「正直、今年や来年はどうなるか分からない。あいつらはディアを突き落とすためなら、関係ない人たちまで巻き込むような奴らだ。世の中には、そういう奴らも腐るほどいるんだよ。」



 突きつけられたのは、直視するには痛いほどの現実。



「………」



 蒼白な顔でキリハは視線を落とす。

 視界にはテーブルとそこに置かれた自分の両手があって、意識とは関係なく自分の手が震えているのが分かった。



 怖がらせているとミゲルが言ったのは、これに気付いていたからなのだろうか。

 知ってよかったと思う反面、知りたくなかったと感情が訴えてくる。



 許されるなら、今すぐにでもレイミヤに帰りたい。

 ルカたちにも中央区に戻ってほしい。



 自分が危険にさらされるのは構わない。

 自分の身くらい、自分で守れる自信はあるから。



 しかし、レイミヤや中央区の人々は違う。



 自分の見ていない所で、自分が守れない所で、誰かが襲われるかもしれない。

 そう思うと、たまらなく怖くなった。



「大丈夫だ。」



 震えるキリハの頭を、ミゲルが大きな手でなでた。



「レイミヤのことも、中央区のことも心配するな。おれたちがちゃんと守ってやる。それと、なんでこんなことになってるのかって思うかもしれねぇが、これは国防軍の方が勝手に絡んできてるだけだ。ディアだって被害者なんだよ。ディアは何も悪いことはしちゃいねえ。それは、おれたちドラゴン部隊の全員が保証する。だから……」



 ミゲルはそこで、にかっと明るい笑顔をたたえた。



「キー坊はキー坊らしく、前を向いててくれよ? おれだって、お前を不安にさせるためだけに、こうして話してるわけじゃねえんだから。」



 事情を知っていれば、いくらでも対策は取れるだろうと。

 ミゲルはそう言った。



「………」



 ミゲルに優しく見つめられたキリハは、机の上で両手を握る。



 怖いものは怖い。

 でも、ミゲルたちの言葉に嘘はないことは分かる。



 彼らの人間性も強さも、十分信用に値するものだ。

 ミゲルを筆頭に、ドラゴン殲滅部隊の人々は己の発言に最後まで責任を持つ。



「俺にできることは、周りを警戒することと自分を守ること、なんだよね?」



 キリハは瞳にしっかりとした光を宿して、ミゲルの双眸を見つめ返した。



 自分はそこまで頭はよくないので、今のミゲルの話だけでは、全ての事情を察することはできない。

 頭の中には数えきれないくらいの〝なんで?〟が浮かんでいるし、自分が何をすれば最善なのかも分からない。



 きっと、今の自分にできることはミゲルたちを――― ディアラントを信じることだけなのだ。



「そうだ。他のことは任せろ。」



 信じてもいいんだよね?



 そんな自分の心の声を感じ取ったのだろう。

 ミゲルは力強く頷いてくれた。



 疑うのは自分らしくない。

 自分は自分の見てきたものを信じるだけだ。

 だから。



「分かった。ありがとう、教えてくれて。」



 キリハは素直な気持ちで、ミゲルにそう答えた。


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