これが、自分なりの答え

「キリハ!!」



 甲高い声が、鼓膜を通して頭を揺さぶってくる。

 ゆっくりと目を開くと、枕元からこちらを覗き込んでくるフールの顔があった。



「………フール?」



 呼びかけると、フールが目に見えてほっとしたように息を吐いた。

 その後ろで。



「奇跡だ……」



 そうざわめいている声が聞こえる。



(奇跡……)



 聞こえてきた言葉を心の中で反芻はんすうしつつ、記憶をさかのぼる。



 自分の身に何が起こったのか。

 そして、自分が今までどんな世界にいたのか。



「そっかぁ…。あれが、いわゆる生死の境ってやつか……」



 それは、自然に零れた感想だった。

 だが、それを聞いた途端にフールの口調が激変する。



「ちょっと! 縁起でもないこと言わないでよ!」

「いや…。そんなこと言われてもなぁ……」



 動揺のあまりか、フールの声は完全に裏返っていた。

 そんなフールに苦笑いをしながら、キリハは左手を動かして柔らかいフールの頭をなでる。



「聞こえたよ、フールの声。ありがとう、呼び戻してくれて。」



 あの時フールの声が聞こえなかったら、自分は自分のことすら思い出せないまま、真っ暗な闇の中へ落ちていくしかなかったのだろう。



 守ることも、謝ることもできないまま。



 フールが何度も首を振る。



「違うよ。君を本当の意味で連れ戻したのはほむらだよ。僕はそこに便乗して呼びかけただけだ。」



 言われて気付く。

 自分の右手が、固いものを握っていることに。



 存在に気付いた瞬間、それは手の中で暴れ出して、懐かしくも感じる独特の感覚を訴えてくる。

 その感触を全身で噛み締め、力が入りにくい手でしっかりとそれを握り直す。



(……ありがとう。)



 心の中で礼を言うと、手の中の《焔乱舞》は、こちらの意思に応えるように震えた。



「……そういえば、みんなは?」



 意識を周囲に向けたところで、フール以外に親しい人々がいないことに気付く。



 自惚うぬぼれではないと思うが、サーシャやミゲルくらいは、大慌てですっ飛んできそうなのに。



「今はみんな、ライド地方にいるよ。またドラゴンが出たんだ。」

「そっか……」



 納得すると同時に、皆が自分よりも任務を優先してくれていることに安心した。

 そして、そんな気持ちはしっかりとフールに伝わっていたらしい。



「キリハ。みんな、君のことを心配しながら戦いに向かってるんだからね。自分がいなくても平気とか思ってたら怒るよ。」



 きっちりと釘を刺されてしまい、もはや笑うしかない。



「ちゃんとみんなにも謝るって。ところで、今回のドラゴンは大きいの?」



 現状把握のために訊ねる。



「……最大級だよ。多分、ストー町のドラゴンと並ぶと思う。」



 迷う素振りを見せながらも、フールは嘘をつかずにありのままを教えてくれた。



「それって、焔なしで大丈夫なの?」

「現実的には、かなり厳しいと思う。でも、やるしかない。みんなそう覚悟してるよ。」

「そっか……」



 全身から力を抜き、キリハはベッドに身を沈める。



「………」



 納得はしている。

 皆の覚悟も受け止めている。

 今の自分の状況も理解している。



 でも、我慢できない。



「よっと。」



 素直に寝ていようという判断を瞬時に覆し、キリハは全身に力を入れて上半身を起こした。



「おおっと……」



 しかし、長いこと昏睡状態だった体だ。

 思うよう動くはずもなく、キリハの体は大きく横に傾いでしまった。



「危ない!」



 ベッドから落ちそうになったキリハを、医者の一人がすぐに支える。



「あ、ありがとう…。うっわ、体がすっごく重い。」



 どこか暢気のんきな様子でそんな感想を漏らすキリハに、フールの懐疑的な視線が注がれた。



「キリハ…。一応訊くけど、何するつもり?」



 言葉の内容と口調から、フールがこちらの考えをすでに見抜いていることを知る。



「だって、一人で寝てるなんて無理だし。」

「今のキリハが行っても、足手まといなのに?」



 ずばりと指摘されてしまった。

 しかしキリハは特に不快感を表すこともなく、ただ静かに頷くだけだった。



「分かってるよ。だから、前線に出るような無茶はしない。でも、後ろから焔を見せびらかすだけでも、十分威嚇にはなるでしょ。いざとなったら、後ろから炎を飛ばせばいいわけだし。」



 《焔乱舞》の炎は、なにも前線だけで活躍するものではない。

 使いようによっては、後方から皆を支援することも可能だろう。



 そういう使い方をしたことがないというのが、一つの懸念点ではあるけど……



 やんわりと制止されるのを完全に無視して、キリハは床に足を下ろして立ち上がる。

 初めは重心を保つのにかなり苦労したが、少し努力するとなんとか歩けるくらいにはなった。



「キリハ…?」



 どこか間の抜けた声が耳朶じだを打つ。

 頭を巡らせると、フールがベッドの上からこちらを見上げていた。



 付き合いも長くなると、このぬいぐるみの顔からも感情を読み取れるようになるものだ。

 珍しく茫然としているフールに、少しの面白さと新鮮さが湧いてくる。



「周りがどんなでも、俺のやりたいことは変わらないんだよね。」



 キリハは微笑わらう。

 それは、見るのは随分と久しい、無理のない穏やかな笑みだった。



「守りたいものを守っていきたい。そう思ったから、焔とも背負うって約束した。俺がそうしたかっただけなんだから、最初から周りの目なんか気にする必要もなかったんだよね。うじうじ悩んで怯えてるより、いっそ開き直ってぶっ壊しちゃった方が楽だし、俺らしいや。気付くのが遅くてごめんね。」



 たとえ何かが崩壊しても、それは同時に何かの誕生でもある。

 今なら、フールの言葉を素直に受け入れられる。



 向き合っていこう。

 自分を選んでくれた《焔乱舞》とも、自分を支えてくれる皆とも。



 受け入れていこう。

 いい変化も悪い変化も、どんなことでも。



 そして、一緒に変わっていこう。

 共に歩んでいくために。



 それがこの剣を取ったことに対する、自分なりの責任の果たし方だ。



「さてと。のんびりしてる時間もないし、早く行こうよ。あーあ、みんなにこっぴどく怒られるんだろうなー。帰ったら、みんなにご飯おごろうっと。」



〝帰ったら〟



 当然のようにキリハの口から生み出される、魔法の言葉。

 目の前にあるのは、本当に元通りのキリハの姿だ。



「……さすが、焔が無理に連れ戻すだけのことはあるね。」



 フールはぽつりと呟く。

 そして。



「おかえり、キリハ。」



 そっと、その背に言ってやるのだった。


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