第5章 背負う約束

〝眠らせてあげない〟



「キリハが!?」





 ミゲルから個人回線を通して入れられた一報に、フールは思わず声を張り上げていた。



「ええ。私は医療に詳しくないので分かりませんが、医療チームがあれだけ焦ってたのを見ると……危ないかもしれません。」



 周りに聞かれないようにしているのだろう。

 ミゲルの声は、マイクでぎりぎり拾えるくらいにひそめられている。



 それ以上の言葉をなくすフールの隣で、ターニャが落ち着いた表情のまま呟いた。



「医療チームからの報告は、まだ来ていませんね。それだけ、事態がひっ迫しているのかもしれません。……分かりました。報告ありがとうございます。ミゲルさんは、現場の統括に戻ってください。」



「はい。」



 ミゲルの静かな返事を最後に、無線が個人回線から全体回線に切り替わる。



「…………ごめん。ターニャ。」



 室内に飛び交う無線のやり取りに耳を傾けていたターニャの耳朶じだを、微かに震える声が打った。

 ターニャが振り向くと、その先ではフールが深くうつむいている。



「ここ、しばらく任せてもいい?」

「ええ、問題ありませ―――」

「―――っ」



 ターニャの言葉を聞き終えるよりも前に、フールは執務室を飛び出していた。



 ドラゴンが出現している今、宮殿本部内に人の姿はあまり見られない。

 そんな宮殿の中を、フールは驚くべきスピードで駆け抜けていく。



 目指す場所は一つ。



「キリハ!!」



 半開きの扉をくぐって、キリハの病室へ飛び込むフール。

 フールを出迎えたのは、何人もの医師たちに囲まれたキリハの姿だった。



「―――っ!!」



 無意識に、呼吸が止まる。



 ベッドに横たわるキリハの顔からは、わずかに残っていたはずの生気すらも消えていた。

 青白いその顔色は、冷たい死を容易に想像させる。



 この先に待っているものが何であるか。



 キリハを見た刹那に、フールが察するくらいだ。

 数多くの生死を見つめ続けてきた医療チームの面々の中には、すでに諦めの表情を浮かべている者もいた。





「――― ほむら。」





 気付けば、フールはその名を呼んでいた。



 きっと、キリハは助からない。

 助けられない。



 



「焔をキリハに持たせて!!」



 フールの叫び声が病室中に響く。

 それで初めてフールの存在に気づいたらしく、医療チームの人々が揃って大きく肩を揺らした。



「フ……フール様……」

「いいから、早く焔をキリハに!」



「え? いや、しかし……」

「早くっ!!」



 ただならぬフールの気迫に押され、看護師の一人が病室の隅に立てかけてあった《焔乱舞》のさやに触れて、それを持ち上げる。

 そしてそのつかを、キリハの細い手にそっと握らせた。



 フールはベッドに着地し、《焔乱舞》を握るキリハの手に自分の両手を乗せる。



「……させない。」



 フールがぼそりと呟くと、キリハの手の中で、《焔乱舞》がちりちりと小さな炎を上げた。



「君に全てを背負わせるのは間違ってるよ。分かってる。でもね……」



 これまで見てきた現実は覆せない。



 キリハが倒れてからの二ヶ月。



 どれだけの人が気に病んで、己を責めていただろう。

 どれだけの人が悲しみに暮れて、涙を流していただろう。



〝竜使いも、そうじゃない人も関係なく〟



 普通なら理想論と切り捨てられるようなこの言葉も、キリハは――― キリハだけは、確実に現実のものとしていた。



 今あるのは、キリハが下を向かずに、純粋に皆を信じて向かい合った結果なのだ。

 皆がキリハと関わることで変化し、自然と前を向いていた。

 これは、キリハにしか成しえなかったこと。



 どんな面から考えても、キリハをここで死なせるわけにはいかない。

 たとえそれで、キリハに重い責任を押しつけることになったとしても。



「今はまだ、眠らせてあげない。いい加減、戻ってきてもらわないと困るよ!!」



 フールはぐっと両手に力を込め、意識を集中させた。


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