変わりたくなかったのは―――
結局、足はここに向いてしまう……
真っ白な病室に一人
身
様々な機械に繋がれたその姿は、まるで自分の意思で動くことを禁じられた操り人形だ。
ルカはそっと手を伸ばし、キリハの腕を取ってみる。
ただでさえ小柄な体格で細かった腕が、今では全然違う意味で細い。
いくら点滴で必要最低限の栄養を取り入れているとはいえ、それは体力や筋力までは維持してくれない。
触れれば分かるこの変化が、二ヶ月という短くも長い時間の経過を訴えていた。
「なんで……」
ルカは奥歯を食い縛る。
胸の中が、どす黒いもので満たされていく気分だ。
「なんで、オレのことなんてかばったんだよ……」
ずっと頭の大半を占めていた思いが、ぽろりと零れ落ちてしまう。
その瞬間。
「なんで、だあ? そんなのに、理由なんかあるかよ。」
いやにはっきりとした声が、背後から聞こえてきた。
「―――っ!?」
一人であることに気を抜いていたルカは、慌てて首を巡らせる。
いつの間に病室に入ってきていたのか、そこにはミゲルが怒りを滲ませた表情で立っていた。
「キー坊は、助ける人間を選り好みできるほど頭は回らねぇよ。そもそも、とっさに誰かを助けるのに、理由なんてあるわけないだろう。あそこにいたのが赤の他人だったとしても、キー坊はかばっただろうさ。今回は、それがたまたまお前だっただけだ。」
言いながら、ミゲルはルカの隣に並ぶ。
「こうなるのが、自分だったらよかったと思うのか?」
ミゲルがキリハを見下ろして問うと、ルカが大きく肩を震わせた。
そんなルカの反応には目も向けず、ミゲルは
「ま、確かにお前がこうなってたら、おれたちもここまでは参らなかっただろうな。最重要の《焔乱舞》とキー坊は無事なんだし、出ても仕方ない犠牲だったんだって、割り切るのも早かったかもしれん。」
「………」
「でもな、きっと竜騎士隊のみんなは、今と同じくらい苦しんだと思うぞ。キー坊なんか、無自覚のくせに自分の戦闘能力へのプライドが高いからな。あの状況でお前を助けられなかったとなれば、絶対に自分を責めただろうよ。」
「………っ」
ルカはぐっと唇を引き結び、床を睨んで黙り込んでいる。
ミゲルはくすりと微笑んで肩をすくめた。
「やれやれ…。おれに指摘されるのは不愉快か? 仕方ねぇよな。俺はお前の嫌いな、〝竜使いじゃない人間〟だもんな。」
「………」
「でもよ―――」
「!?」
突然視界が大きく揺れて、ルカは瞠目してまばたきを繰り返す。
目の前にあったのは、燃え盛るような怒りを
「今だけは言わせてもらうぞ。さっきの言葉を、キー坊に直接言ってみろ。殴るどころじゃ済まさねぇからな。」
ルカの胸ぐらを掴む両手に力を込め、ミゲルはルカのことを鋭い眼光で射抜いた。
「お前は……キー坊が助けたお前は、そんなに価値のない人間なのか!? キー坊は認めてたぞ。不器用でも、ひねくれてても、自分にも他人にも嘘をつかない筋の通った人間だって……そう笑ってたんだぞ!? そうやって、ありのままの自分を認めてくれる人が、お前にだってちゃんといるだろうが!!」
激情で震える両手とそのあまりの剣幕に、ルカは返す言葉もなく息を飲む。
一気に色んな事が起こって、脳内の処理が追いつかない。
ミゲルに怒声を浴びせられているこの状況も、偶然とはいえ知ってしまったキリハの自分に対する思いも、混乱する頭ではいまいち現実のものとして認知できなかった。
ルカが呆けている間にも、ミゲルの言葉は続く。
「意地を張るのも、卑屈になるのも自由だけどよ。自分で納得して、自分で選んで今のお前がいるんだろう? だったら、自分で自分を否定するんじゃねぇよ。自分で自分を認めてやれねぇっていうんなら、認められるようにいくらでも変わっていけばいいんだ。誰もそんなことで、お前を責めたりしねぇんだからよ。」
そこまで告げたミゲルの瞳に、また違う感情が揺れる。
「助けられたって……少しでもそう思うなら………お前を助けたことを、キー坊に後悔させるんじゃねぇぞ。こいつに……そんな悲しいことを思わせるな。」
最後の一言は、まるで懇願のような悲痛さを帯びていた。
ミゲルが服を掴んでいた手を離し、爪先立ちになっていたルカは数歩よろけてしまう。
いくらでも変わっていけば……
助けられたと、少しでもそう思うなら……
夢見心地な脳裏に、ミゲルの言葉が反響している。
茫然としたまま無意識に顔を上げると、じっとこちらを見つめているミゲルと目が合った。
「………っ」
それでようやく、今までの出来事が現実のものとして心の中に染み込んできた。
今まで敵視し続けてきたからこそ、嫌っていた分周囲を見つめ続けてきたからこそ分かる。
今のミゲルの視線は、竜使いではなく自分という個人に向けられている。
これまで向けられたことがないまっすぐな視線が、痛いほどに肌を刺激してくるようだった。
『差別を差別で返したって何も解決しない。ただ、自分を
キリハと初めて会った日に言われた言葉が、鮮やかによみがえる。
これまで、竜使い以外の人間と馴れ合う必要はないと思ってきた。
理不尽に差別を押しつけてくるのは向こうなのだ。
絶対的な非は向こうにあるのだから、互いに敵対するのは至極当然のことではないか。
しかし、中央区の外で育ってきたキリハは、それをきっぱりと否定した。
今目の前にあるのは、そんなキリハがもたらした変化。
今までは変えられなくても、これからは変えられるのだと、全てを受け入れながらも前を向いていたキリハが生み出したものなのだ。
変わっていくことを、誰も責めたりはしない。
それはきっと正しい。
自らの愚かさを認めて自分たちへの態度を改めたミゲルのことを、都合がいいとは思いつつも、決して責めようとは思わない自分がいるからだ。
ならば、自分自身は?
ずっと理不尽だと思ってきて、そのくせキリハと出会ってからの変化が気に食わなくて。
いつの間にかキリハに影響されている自分に、いつも苛立ってばかりで。
現状に不満をもっていたのに――― 変わりたくなかったのは、自分の方?
「オ、オレは……」
ピ――――――――ッ
「!?」
突然室内に響いたのは、鼓膜を突き破るような甲高い警告音。
ルカとミゲル、二人の体が大きく
嫌というほど聞いてきた、ドラゴン出現警報だ。
しかし、ここに響く音はそれだけではなかった。
おそるおそるといった様子で、ルカとミゲルの視線が動く。
もう一つの、警告音の発信源へ。
けたたましい音を上げているのは、キリハの生体情報を示すモニターだ。
硬直する二人が見つめる中、モニターに映し出されていた数値が一気に下がった。
「すみません! 下がってください!!」
状況を把握するよりも先に、背後から体を引かれる。
あっという間にキリハを多くの医師と看護師が取り囲み、それぞれが焦りを滲ませた声音で、
「しっかりしろ!!」
肩を思い切り叩かれる。
それにルカがのろのろと顔を上げると、ルカの肩を叩いたミゲルはさらにその肩を強く揺らした。
「今はキー坊を信じるしかねえ。おれたちは、おれたちの仕事をするぞ!!」
ぐいっと腕を引かれ、その勢いを借りてルカは走り出す。
前を走るミゲルの背中を追いかけながらも、意識は
ただ体だけが、義務に従って動いているだけだった。
病室の喧騒が、徐々に遠ざかっていく―――
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