殺さないといけないの?

「―――っ」



 迫り来るドラゴンの爪を得意の剣さばきで受け流すも、その余波をもろに食らってしまった。



 その余波で飛ばされそうになるのを、全力で踏ん張ってとどまる。

 足と地面の間の摩擦で、土煙が高く上がる。



 口元を袖で覆い土煙から自身をかばって、キリハは眉根を寄せた。



 もう、どれくらい戦っているのかは分からなくなってしまった。

 この長時間に渡る戦いで、ドラゴンはかなり弱って、動きもどんどんにぶくなっている。



 だがその消耗は、こちら側にも言えることだった。



 キリハは周囲を見回す。



 ルカたちもミゲルたちも必死に頑張ってはいるが、そろそろ体力が限界に近づいている。

 このまま戦い続けたとして、ドラゴンと自分たちのどちらが先に力尽きるか分からないというのが現状だった。



(ひどい……)



 周辺は怪我をした人々の血と、それを遥かに上回る量のドラゴンの血が飛び散って、悲惨な光景と化していた。



 ドラゴンに重傷となる攻撃を数回与えている自分の体も血まみれで、どれが自分の流した血で、どれがドラゴンから受けた返り血なのか判断がつかない。

 できるだけサーシャやカレンはそういう汚れからかばっているつもりだが、やはり彼女たちも多少は血に汚れていた。



 倒さなければいけない。

 皆を守るために。



 分かってはいるのに、こうして血に汚れた自分の姿を顧みると、なんだか殺伐とした気分になってくるようだった。

 覚悟していなかった方向から、精神がじわじわと汚染されていくような。



「ねえ…」



 キリハはドラゴンを見据えながら、無線の先にいるターニャたちに問いかける。





「どうしても、殺さないといけないの?」





 本当に、殺す以外の道がないのだろうか。



 疲弊した体。

 汗で滲んだ真っ赤な視界。

 自身の荒い呼吸に満たされた聴覚。



 それらに意識を傾けると、自分の心がきしんだ悲鳴をあげているのが分かってしまう。



 どっちかを選んで、どっちかを切り捨てるなんてことはしたくない。

 そう願うのに、自分がしていることは一体なんだろう。



 このままこのドラゴンを殺してしまっては、自分の中で何かが壊れてしまうかもしれない。

 剣を持つ手が、今さらながらに震えた。



「……ごめんね。つらいことをさせてるよね。でも、これしか方法はないんだよ。」



 右耳から流れてくるフールの声は、とても悲しそうで切なそうだった。



「その子はもう、〝壊れちゃってる〟んだ。」

「壊れてる?」



「そう。今は説明してる時間はないけど、その子を生きたまま救うことはできないんだよ。楽にしてあげることしか、僕たちにはできないんだ。」



 楽にしてあげる。

 悲痛なフールの声が、すうっと脳内に染み込んでいくようだった。



(楽にしてあげるしか……)



 心の中で反芻はんすうしながら、キリハはドラゴンを見上げた。



 休む間もなく攻撃を受け、絶えず血を流すドラゴンはとても苦しそうだ。

 今ここで攻撃をやめたとしても、このドラゴンの苦しみを長引かせるだけなのかもしれない。



「そっか…。このままだと、苦しいだけなんだね。」



 フールが何を根拠に、このドラゴンのことを〝壊れている〟と表現したのかは分からない。

 しかし、楽にすることしか自分たちにはできないのだと、その事実はなんとなく分かる気がした。



 手の震えが、自然と止まる。



 キリハは剣を握り直し、それをすっとドラゴンへ向けた。



 殺すことしかできないのは、とても悲しいこと。

 でもこの苦しみから解放してあげないと、このドラゴンも救われないのだ。



「もういいよ。……もう、ゆっくり眠ろう?」



 囁くようにドラゴンへ語りかけた、その瞬間―――



「―――っ」



 がくんと膝から力が抜けて、キリハはその場に膝をついた。



「キリハッ!?」



 後ろに控えていたサーシャが、悲鳴をあげて駆け寄ってくる。



「あ……つ……」



 キリハは自分の肩を抱いてうずくまった。



 全身が焼けるように熱い。

 視界が、血とは明らかに違う色で真っ赤に染まる。

 ぐらぐらと揺さぶられる頭の中に、甲高い耳鳴りが響く。



「くそ……こんな、時に…っ」



 まだだ。

 まだだめだ。



 戦いたくないと思う人を戦いから離れさせるために、自分が腹をくくると決めたではないか。

 《焔乱舞》に自身を認めさせると決めたのに、その自分が誰よりも先に膝を折るわけにはいかないのに。



「キリハ…? どうしたの!?」



 フールの困惑した声が耳朶じだを叩く。

 現実から遠ざかりそうになる意識を繋ぎ止めるために、キリハはその声に必死にすがりついた。



「分かん……ない。すごい、耳鳴り、が……」

「耳鳴り…?」



 フールが呟き、ハッと息を飲む気配が伝わってくる。



「ったく、今は……こんなことしてる場合じゃないのに……」

「だめだよ、キリハ!」



 体の異常を無理矢理に押し込めて立ち上がろうとしたキリハを、必死な声のフールが制止する。





「キリハ、拒んじゃだめだ! 受け入れて……――― ほむらの声に、耳を傾けて!!」





 フールの言葉に同調するように、耳鳴りがその存在感を増す。



(焔、の…?)



 フールの言葉に引っかかりを覚え、体の異常を拒むことを忘れた瞬間、視界がぐるりと回って闇に包まれた。


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