それって、おかしいことなの?

 それからおよそ十五分後。

 キリハは人気ひとけのないビルの間を、小走りで移動していた。



 さっき相手をした六人は、今頃体力を限界まで削られてへばっていることだろう。

 移動中も何度か不意討ちに遭ったが、それなりに相手をして逃げている。



「……ん?」



 その時あるものを見つけ、キリハは首を傾げた。



 ビルと植木の間。

 そこに隠れて座っている小さな姿があったのだ。



 足音を立てないように近づき、それが誰か分かると、キリハは気配を消すのをやめた。



「サーシャ?」



 縮こまってうずくまっている頭に小さく呼びかける。



「!!」



 弾かれたように頭を上げるサーシャ。

 その顔は心底驚いているようで、そして怯えているようにも見えた。



「だ、大丈夫だって! 攻撃したりしないから。」



 そこまで驚かすつもりもなかったので、キリハは予想以上の彼女の反応に慌てた。



「あ……ご、ごめんなさい。」



 震える声で謝ってきたサーシャは、すぐに視線を下へと向けてしまう。



 こちらに攻撃の意思がないことを示すために、キリハは右手の剣をさやにしまった。



 サーシャは、先ほどターニャから渡されたレイピアを鞘にしまったままだ。

 そして何より、膝を抱えるその姿から、彼女に戦意がないことは明らかだった。



「どうしたの? どこか調子でも悪い?」



 しゃがんでサーシャと目線を合わせ、そっと肩に手を置く。

 できるだけ彼女を刺激しないように訊ねると、しばらくしてから微かに震える彼女の唇が薄く開いた。



「ごめんなさい。その……怖くて……」

「怖い?」



 聞き返すと、サーシャはこくりと頷いた。



「今までは、まだ映像だったから我慢できたの。でも、こうやって実際に人と戦うってなると、訓練だって分かってても……動けなくて……」

「うん。」



 キリハは優しく相づちを打つ。



「訓練だから、もちろん怪我もしないと思うの。でも……もしもって思ったら、怖くてたまらない。訓練にかこつけて、誰かが本気で剣を向けてきたらどうしようって。だって………私たちは、竜使いだから……」



 気持ちを吐露する内に、サーシャの震えは全身に及ぶ。

 そんな彼女の震えを感じながら、キリハはただ黙して続きを待った。



「でも私は……誰も傷つけたくない。たとえ誰かが剣を向けてきたとしても、私はそれに立ち向かえない。自分が傷つくより、他人を傷つけることの方がずっと怖いの。だから、何もできない。怖くて怖くて……ただ、こうやって隠れてるしかないの。ごめんなさい……」



 震えは大きくなる一方で全く収まらない。



 きっと訓練が始まってから、彼女は一人でこうやって恐怖に耐えていたのだ。

 誰にも見つからないように、細心の注意を払いながら。



 怖いから。

 理由はそれだけ。



 だけど……





「それって、おかしいことなの?」





 サーシャの心情を十分に理解した上で、キリハはそう訊ねた。



 サーシャは目を大きくして顔を上げる。

 と、その表情が一気に青ざめた。



「キリハ…っ」



 それ以上の言葉が継げないサーシャに頷き、キリハはさりげなく手をかけていた剣の柄を握って、それを抜き払った。

 すばやく繰り出されたキリハの剣が、背後から降り下ろされようとしていた大剣を弾き飛ばす。



 飛んでいった自分の剣を茫然と見送る男性のことは放っておき、キリハはサーシャに向き直った。



「戦いが怖いのも、人を傷つけることが怖いのも、当たり前のことじゃん。多分、怖くない人なんていないよ。特に、サーシャは女の子なんだからさ。竜騎士にならなければ、こんなことする必要もなかったわけだし。本当なら、こういうことは覚悟ができてる奴がやればいいんだと思うよ。」



 しゃべっている間にも、ぞろぞろと人が集まってくる気配がする。

 そんな状況でも、キリハは言葉をつむぐことをやめなかった。



「それでも、そんな当たり前のことでサーシャが責任感じちゃうなら、一緒に戦おうよ。仲間なんだから、そのくらい甘えたってバチは当たらないって。」



 キリハは穏やかに微笑みかけ、次にくるりと体を半回転させた。



「もー、今大事なとこなんだけど? 他を当たろうよ。」



 おどけた声で言って、キリハは肩をすくめた。

 急に面と向かって剣を構えたキリハに、集まっていた男性たちはそれぞれ距離を置いて臨戦体勢に入る。



「仕方ないなぁ……」



 キリハは剣を一振りして自然体で下ろす。

 そして、やにわにサーシャに体を向けた。



「ちょっとごめんね。」

「え? ……きゃあっ!」



 サーシャが悲鳴をあげる。

 それも無理はない。



 キリハはサーシャに向き直るなりその腰に手を回し、華奢きゃしゃな体を左肩に担ぎ上げたのだ。



「ひとまず、ここは逃げようか。ごめん。一緒に戦おうって言っときながら、俺と一緒にいるとどんどん狙われちゃうんだよね。」



 キリハは駆け出し、サーシャを抱えたまま剣を振るって男性たちの包囲網をいとも簡単に抜け出した。



「キ、キリハ! 私走れるから…っ」

「大丈夫、大丈夫。」



 彼らをぐんぐんと引き離しながら、キリハは止まる素振りもサーシャを下ろす素振りも見せずに明るく笑う。



「女の子の一人や二人くらい、かばいながら戦えないとね。まあ、これもディア兄ちゃんの教えなんだけどさ。とりあえず人がいない所で、この訓練をどう切り抜けるか相談しようよ。それとも、俺じゃサーシャの怖さをやわらげてあげられないかな?」



 まるで、遠足にでも行くような軽い口調。

 今が訓練中だと感じさせないようなキリハに、サーシャは少しだけ虚を突かれた顔をする。



 紙のように白かった頬に徐々に赤みが差していき、そして―――



「ううん、キリハとなら大丈夫! あははっ、すごく速いね。なんか、楽しくなってきちゃった!」



 初めて大きな声で笑ったサーシャは、今までで一番生き生きとした顔をしていた。


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