劇場版貞子
胡楪天地
劇場版貞子(仮題)
午前2時37分。その時間はこの世とこの世ならざる世が繋がる丑三つ時。間の境界が最も薄れる時刻である。
駅地下、閉店後のカフェ。
「あっごめ~ん。貞子ちゃん」
青い髪を振り乱して、着ている真っ白な布一枚をひらめかせながら、彼女は店内に入ってきた。
「雪ちゃん、遅―」
「ねぇ、いいニュースと悪いニュースがあるんだけどどっち先がいい?」
「じゃあ、悪いニュース」
すると、雪はどこについているのかポケットからスマホを取り出した。
「じゃ~ん、7分遅刻です」
「知ってる」
「次はいいニュースね」
そのままスマホを操作して、スクショを見せてきた。スマホの向うに見える青白い顔は走ったせいか、いつもよりほんのり紅潮していた。
「実は私ブルベでした」
まぁ、だろうね。雪女だからね。
駅地下もこんな時間では誰一人いない。奥行きのある暗闇にそっと溜息を漏らす。
「あれ、どうしたの貞子ちゃん。今日は一段と暗いね」
「ちょっと、最近の若者のテレビ離れを憂いてたところ」
「えっそんなオッサンのコメンテーターみたいなことで悩んでたの」
雪ちゃんは口に手を当てて驚いてみせる。
本当にいるんだ。その驚き方の人。
「こっちは結構深刻なの。テレビなきゃ、どっから出ればいいの」
「……井戸?」
「そうじゃない」
というか、そもそも貞子の良さは井戸から出てくるとこじゃなくて、まんま“幽霊”がテレビから出てくるとこにこの近代的幽霊という良さ、衝撃があるのであって。
「ああ、もうこれじゃ、ただの幽霊だよ」
「そうだよ」
「うっさい」
飲みかけのカップを潰して、乱暴に店のドアを開ける。
「待って、貞子ちゃん」
「何」
暗闇の中で雪ちゃんの薄笑いが微かに見える距離に立つ。
「私、いいこと思いついたの」
そう言って、雪ちゃんは私にスマホの画面を向けた。
数日後、同場所。
動画の下には、再生回数0の文字がある。
「やっぱ、ダメか~」
雪ちゃんはそう言って、ココアを一気に吸う。
「そもそも、YouTubeで良かったのかな。コメントとか流れないし」
「まぁ、時代は流れるから」
悲しい話だ。幽霊も月日の流れには勝てないのだ。
「そもそもどんな動画投稿してたの?」
「普通に呪いの動画だけど」
雪ちゃんはその返答におでこを抑える。
「もう、こうなったらやるしかないよ。一旦、幽霊ってことは忘れて、時代の波に乗るんだよ」
「幽霊を忘れる?」
「ついてきて、貞子ちゃん」
雪ちゃんはココアを持って、店を出る。私もすぐに、結露のついたカップを捨てる。
足早に歩く雪ちゃんは高架下で止まった。「YouTubeと言えば、YouTuber。YouTuberといえばドッキリ企画」
腕を広げて、私を見つめる。
「貞子ちゃんは今から、ドッキリ系YouTuberです」
「まさか、ここで驚かすとかいわないよね」
「勿論、津々浦々の絶叫ポイントで一般人を驚かします」
それはただの幽霊だ。
「でも、雪ちゃん。私白兵戦は得意じゃないんだけど」
「文句言わない。忘れられてもいいの?」
ゾッと体に悪寒が走る。あの井戸を思い出す。
「やるよ」
私もまっすぐ見つめ返した。
それから半年後。
私達は地上から100m以上も離れたバーにいた。
私がバーに入った時、雪ちゃんは一人で夜景を見ていた。
「あ、貞子ちゃん」
「ごめんごめん、雪ちゃん。編集が長引いちゃって」
雪ちゃんの前のグラスにはカクテルが薄く残っている。
「この前の坑道のやつ?」
「そうそう」
雪ちゃんは焦点を私にゆっくり合わせる。
「その撮影の時、私もちょっと冷気を吹いたら、アイツラ『この扇風機以外と効くな』だって」
「あの首に巻いてたやつ?」
「そう」
「それはご愁傷さま」
「雪女には辛い季節だよ」
雪ちゃんは残ったカクテルを一気に呷る。
「おかわり」
「同じのを」
小さく流れるジャズの音を聞きながら、私も夜景を眺める。
「貞子ちゃん。そろそろ良いんじゃない?」
「ん?」
疑問に近い何かで返したことを、カクテルを飲んで誤魔化す。
「これは貞子ちゃんが決めることだけど、あのビデオを公開する時」
あのビデオ。その一言で表せるのは一つしかない。見た人を殺す呪いのビデオのことだ。
雪ちゃんはまた、私に焦点を合わせる。
「でも、最近は再生回数の伸びもいいし、まだ上がると思うんだよね」
「そっか」
今のは世間話なのか、それとも告白なのか。私には分からなかった。でも、雪ちゃんは呆気なくその話を終わらせた。
私が雪ちゃんのカクテルに浮かぶチェリーを見ている間に。
再生回数は鰻登りだ。各地の心霊スポットに隠れて、いきなり人を驚かす企画はかなり受けている。金の盾も届き、私達のチャンネルはトップYouTuberの仲間入りを果たした。
そして、貞子の名は全国に轟いていた。
この時間でも都会は明るい。昔よりと高い建物で、速い乗り物で、人は成長し続けている。まるでなにかに急かされているように。
私達は何も変わっていないのに、ただそれだけで置いていかれる。
カクテルが少し波立つ。
「私は部屋に戻るよ」
「うん」
長い廊下を歩く。敷き詰められた絨毯は一歩ずつ私の足を包む。アスファルトのように跳ね返さないし、泥のように沈み込んだりしない。ちょうどよく自重を誤魔化してくれる。
部屋に戻ったら映画でも見よう。何かしら今後の糧になるかもしれない。そして、出来たらぐっすり眠りたい。
エレベーターの前に立つ。扉が開き、乗り込む。私しかいない箱の中で、微かな浮遊感を味わう。
最初は小さな違和感だった。浮遊感に混じった小さな揺れ。それが、一気に立っていられないほどに大きくなる。
「地震っ」
電気が消える。何かに掴まれることは無く、とりあえずしゃがみ込む。
揺れが収まり、暗闇に取り残されたことに気付く。
場所を予測して、非常ボタンに手を伸ばす。
ガクンッ
物音が聞こえると同時に私の腕は空をきる。
下半身からとてつもない浮遊感に襲われて、為す術もなく重力の手から離れる。
ありえない。
とうの昔の悪夢がフラッシュバックする。
残酷にも足は床から離れ、拠り所のないまま一気に落下した。
多分血は出てる。骨は折れてはない。意識が戻ったときには、壊れた箱の中にいた。どこの部品か分からない、大人一人分くらいの鉄骨が目の前に傾いたまま刺さっている。
今ほど幽霊の類であることに感謝したことはない。並外れて頑丈な体に、こんな状況でも視界が保てる。
エレベーターが落ちる。詳しくは知らないが、ちゃんとした維持は為されてきたはずだ。ということは、あの地震は遥かに予測を超えるものだったのだろう。
自分も大概だが、外も同じく大混乱だろう。
さっきと同じように、ダメ元で非常用ボタンに手を伸ばす。
あったが、何の反応も示さない。
スマホを出す。しかし、何度やっても電源が付かない。
「こわ…れた」
冷静すぎるほどに自分の状況が理解できる。
壊れたエレベーターに取り残され、助けは呼べず、周りはそれどころじゃない。エレベーターが壊れていることに気付く人だって何人いるか。
いや、いない。
冷静?
そんな訳ない。でも、どうしたらいいか分からない。ただ恐怖が、あの日から空いた心の隙間に浸食する。
壊れたラジオのようにブツブツと烏の声が聞こえる。
「ここは、どこなの」
見上げると、見えないはずの空が見える。私が井戸に落とされたあの日と同じ空が。そして、徐々に黒い影が空を覆う。
井戸が塞がれる。
「やめて、やめて、やめて、やめて、いやだ、もういやだ、ひとりにしないで」
いつしか周りの剥き出しの機械も、井戸の煉瓦へと変わっていた。光のない暗闇で、手に触れるのは苔むした壁。両手を伸ばすことが出来ないほど狭い井戸。微かに湿り気のある床。なにもかもあの日のままの悪夢。それが現実。
いつしか変わったと思い込んでいた。あの過去を捨てたと思い込んでいた。
じゃあ、何で今ここに居るの。
いや、ずっと心はここにあったんだ。
体だけ離れて、心を置き去りにして、気づかないように逃げて、逃げ切れると本気で思っていた。
膝を抱えて、眠るように顔を伏せる。
井戸は深く深く重い。
暗い。
寒い。
体が勝手に震える。
心臓の音がやけに大きく聞こえて、光が差した。
光?
「んっりゃあ!」
天井が外れる。変なかけ声であいつは現れる。スマホのライトをこっちに向けて。
「雪ちゃん、遅いよ」
涙とか油とかでぐしゃぐしゃになった顔が、口角を上げる。
「ごめん、でもちゃんと来たよ」
「ありがとう」
ありがとう。
「私雪女だから力強いんだよね、山育ちだし」
「そんなの……知らないよ」
「ふふっ」
「あははっ」
久しぶりに二人で笑った気がする。
雪ちゃんは降りて、隣に座った。
「じゃあ、行こうよ。貞子ちゃん」
「どこに?」
「どっかに」
私は地下にいたらしい。雪ちゃんにおんぶしてもらって地上に出ると、惨憺たる状況だった。
いろんな建物は崩れ、車は乗り捨てられ、中にはぶつかってるのもあった。立ち並ぶ店もぐしゃぐしゃになっていて、ゴミが散乱してた。
人は誰もいなかった。
半年後
「貞子ちゃん、動画もう撮らないの?」
「ん~、撮らない」
「そっか」
私の返事の意味を悟ってるのか、何も考えていないのか。
呑気な顔で、ホットココアを飲んでいる。
「それに、スマホからは出れないじゃん。サイズ的に」
「確かに、あ!いいこと思いついた」
雪ちゃんの思い付きは大抵ろくなことじゃない。
「何?」
「次は映画化だよ!そしたら、スクリーンから出放題。人気作は地上波放送待ったなし!」
やっぱり。
「やらない。もう普通の幽霊としてやってくの」
「タイトルも考えたんだよ」
きらきらした目でこっちを見る。
「じゃあ、それだけ聞いてはあげる」
ホットココアを一気にに飲み干すと、「んふふ」といって胸を張る。
「ロード・オブ・ザ・“リング”」
劇場版貞子 胡楪天地 @narakeibo
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