2.榧ノ木魔法教導女学院(2)
本校舎から徒歩五分。正門を出て、真っ直ぐ一本道を歩き、左手に見える丘を登ると、そこに巨大な学生寮が
食堂は榧ノ木魔法教導女学院のシンボルでもあり、明治時代に西洋のゴシック様式のチャペルを参考に造られた。全校生徒が一斉に食卓に着くことが出来るよう、三列の川の字に長テーブルが設置されており、学年ごとに指定のテーブルに着席するのが長年の決まりとなっている。
朝晩はこの場所で全校生徒が食事を摂る。特に朝食は必ず全員が揃うため、その食事風景は圧巻だ。
才架は香染との面談を終え、学生寮の自室へと帰って来ていた。二号館の最上階、六階の角部屋。二人部屋のこの部屋が才架の自室だ。同居人は留守にしているらしい。才架は部屋に備え付けられている冷蔵庫から、ミネラルウォーターを取り出すと、それを一気に飲み干した。
「ふぃー」
そのまま自分のベッドへと倒れこんだ才架が空中に人差し指で円をなぞる。指が一周円を描くと、そこに空間を切り取ったように穴が開いた。才架はそこに空になったペットボトルを投げ込んで目を閉じた。
これは、この学校に入学してから才架が考案した魔法だった。円を描き、その円の中を任意の場所に繋ぐ。榧ノ木魔法教導女学院の入り口を始めて通った時に、才架はその仕組みに興味を持ち調べる過程で、人間程大きな質量の物体が通るには膨大な量の魔力が必要になるが、もっと小さな物体に対してならば少ない魔力量、簡単な術式でも転移が可能なのではないかとこの魔法を考案した。
「ぐぬぬ…… 真朱先輩の命令とはいえ、OSなんて」
才架が手を払うような仕草をすると、それに呼応して空中に空いていた穴がすっと消えて行く。
「ううううう、二年次こそはあの高飛車お嬢様、扇ゆかりの鼻を明かしてやる計画だったのにー! OSなんてやってたら、ゆかりに勝つ事に集中できないじゃない……!」
才架が怒りに任せて枕を何度も殴っていると、不意に部屋の扉が開く。
「ただいま、才架。って、どうしたの?」
入室して来たのはこの部屋のもう一人の主、才架のルームメイトであり、唯一無二の親友でもある
蕪栗苗は作業服に身を包み、その頭につばの広い麦藁帽子を被っていた。彼女の専門は魔法植物を調合して様々な効果の薬剤を作り出す調合魔法であり、そのために珍しい植物の栽培に精を出している。人目を引く苛烈な魅力を持つ才架とは反対に、苗は優しげな雰囲気を身に纏う少女で、彼女の近くは常に穏やかで落ち着く空気で満ちている。そんな彼女と才架の相性はすこぶる良い様で、一年で同じクラスになって以来、最も親しい友人同士としてお互いに切磋琢磨してきた。おかげで、二年生からは、トップクラスの成績優秀者たちが集う第一クラスへと二人揃って編入される事となった。
才架がぶすくれながら苗を見るのを、苗は愉快そうに受け止め、クローゼットを開いて自分の制服を取り出し着替えを始める。
「今日のお呼び出しは何だったの?」
苗が聞くと才架は更に顔を顰め、眉間に皺を寄せた。
「二年生OSをやれって」
苗は、ああ、と合点がいったように頷く。
「二年生OSは学年一位がやるって噂じゃなかった? 私はてっきり扇さんだと思っていたけど」
「わたしもそう思っていたのよ」
「それが、なんたって才架に白羽の矢が立ったの?」
「実は…… 真朱先輩が、わたしを推薦したらしいの」
苗は才架の言葉に驚いたように目を丸くした。
「え? 真朱先輩が? 何かの間違いじゃなく、本当に先輩が推薦したの?」
「そうみたい…… というか、真朱先輩の言葉じゃなかったら、あの鉄の女、鉄血女史・香染先生がわたしにOSを、なんて言ってくる訳無いじゃない」
「でも…… 真朱先輩、才架に、次年度中に学年一位を奪取して、全国選抜模擬戦闘大会で優勝しろって言ってたじゃない。その二つだけでもかなり高いハードルなのに、更に試練を与えたって事?」
「三つ目の試練、って事らしいわ」
「先輩、まるで鬼教官だわ…… 入隊してもここまでスパルタな上官居ないんじゃないかしら?」
苗が苦笑すると、才架は小さく溜息を吐いた。
「おかげさまで、兵役なんて怖く無くなってきたわ」
「でも大丈夫なの? 才架、人見知りだし、才架が“お姉さま”なんて想像付かないなあ」
「その言い方やめて。なんか、むず痒くなるから」
「あら、いいじゃない。お姉さま~」
ふざけながら苗が才架に抱きつくと、才架は愉快そうに笑いながらそれを受け止めベッドへと倒れこんだ。二人がふざけ合いながらからからと笑っていると、部屋の扉が開く。
「おーい、お二人さん。楽しそうなところ悪いけどさ、お昼、あと三十分で食堂閉まるってよ」
そう二人にわざわざ教えに来たのは、一年次同じクラスだった同級生、
「すず~! 聞いてよぉ! 真朱先輩にOSにさせられたの~」
「うおっ! ちょ、才架やめろ! 早く食堂行けよ!」
飛び掛られた寿々祢は迷惑そうに才架を引き剥がそうとする。それでも才架は離れず、寿々祢はずっと文句を言っている。そんな二人を見て、苗は溜息を吐いた。
「この光景が、二年生になったら見られなくなるなんて…… なんか寂しくなってきちゃった」
「いや、いいから! もう二人ともとっとと食堂行けよー!」
寿々祢の悲しき咆哮が、学生寮に響き渡る。そうしてやっと才架も寿々祢をからかうのをやめる気になったらしい。
「すずはかわいいなあ。ついついからかっちゃうよね」
「うるせー、早く昼ごはん食べて来い」
寿々祢が頬を膨らませながら言うのを微笑ましく見つめたあと、才架と苗は口々に、はーい、知らせてくれてありがとうね、と言ってエレベータへと向かって行った。
寿々祢はその姿を見送りながら、先程のやり取りの中、引っかかった言葉を反芻する。才架と苗がエレベーターに乗り込みドアが閉まりかけたその時、寿々祢はハッとした。
「才架がOSだとー!?」
寿々祢が驚き叫んだと同時に、エレベータのドアはすっかり閉まり、階下への輸送を始めたのだった。
春休み期間の食堂は、生徒たちの団欒スペースとなっている。朝昼夕の決められた時間内に来れば食事にありつけるし、それ以外の時間も自由に開放されており、生徒たちは他愛も無い話しに花を咲かせたり、カードゲームやらボードゲームやらに興じたりと皆思い思いに過ごしている。
榧ノ木魔法教導女学院では、夏と冬の長期休暇中は原則として生徒は親元へと帰省しなければならないとしているが、春休みに関しては、期間が短い事と、新学期に向けての準備が多い事を理由に、希望する生徒は寮に残る事が許されている。そのため、春休みは全校生徒の約半数が寮に残って生活している。春休み中の寮生活はいつもより緩やかな時間が流れるため、それが気に入っているという生徒も多い。OSになる為の準備や、春休み居残り生活の評判を聞きつけ、新三年生が残っている割合が多くなるのが常だ。
今回、春休みは実家に帰りのんびり過ごそうと決めていた才架を引き止めたのは真朱ユキの言葉だった。
「苗ちゃんも残るのだし、才架も残りなさいよ。春休みの学生寮は楽しいわよ」
その言葉に誘われるがまま、才架は春休み居残り組みとなった。実際、三月末の退寮期限ギリギリまで居た卒業生達と毎日楽しく過ごす事が出来たし、退寮期限最終日なんてお別れパーティーまで開かれての大騒ぎだった。
ユキも自分との別れを惜しんで留まらせたのだ。そう思って才架は涙が込み上げてくる儘に号泣し、真朱との別れを惜しんだ。しかし、その時にはすでに水面下で才架への最後の試練、才架OS就任計画が進められていたとは、才架は夢にも思わなかった。
結果、学園に留まっていたが為に才架は自身のOS就任をいち早く聞き入れる事が出来、明日からは準備に時間を費やせるのだ。これもきっと、ユキの算段に違いなかった。
才架と苗が食堂に入ると、昼食時を過ぎてすでに人はまばらになっていた。榧ノ木魔法教導女学院の食堂は、朝食以外は基本的にはブッフェスタイルをとっている。二人は好きなものを皿に盛り付けていき、席についた。「いただきます」と手を合わせてから、少し遅い昼食を口に運び始める。
「まさかOSとは、そう来るとは思わなかったなぁ」
未だ愚痴をこぼす才架に苗は苦笑する。
「真朱先輩のやる事に、予想なんてつかないわよ。おかげで私達は学生生活を楽しく過ごせたし、先輩のおかげでなんだか未来も悪くないんじゃないかって思えたけどね、私は」
サラダを食べながら苗が言った。才架は言葉を返さずに黙々と食事を口に運んでいる。
「戦場に行かされて戦わなきゃならないって、私達魔法使いは産まれた時から決められてたから、私にとって魔法は攻撃手段であって、楽しいものじゃなかった。それを、真朱先輩は、魔法にはこんな使い方もあるんだって、そんな使い方をたくさん見せてくれて、私達の力は、誰かを殺したり、壊したり、傷つけたりするものじゃなくて、本当は素晴らしい能力なんだって、そう思わせてくれて…… 私、夢を見てもいいんだって、そう思えた」
苗の話しを頷きながら聞いていた才架が食事の手を止め、口を開く。
「わたしも。死にたくない一心でこの学校に入ったけど、魔法は戦場で戦う為だけのものじゃないって先輩から教えてもらった。本当、先輩が偉大すぎて、わたし、あの人の期待に応えられるかなぁ」
「才架なら大丈夫」
苗が笑顔で、力強く言った。が、すぐに困ったように表情を崩す。
「……でも、才架の魔法はちょっと普通とは違うから、後輩に教えるのは難しそうだけどね」
「そんなに変? わたしの魔法?」
才架が困ったように苗に聞く。
「変っていうか…… 回りまわってすごい難しい事をしているというか……」
「どうしよう!? わたしのLSになる子、大丈夫かな?」
「相談してくれれば私も協力するからさ。才架一人で悩んだりしても碌な事にならないんだから、思い詰まったらすぐに私とかすずとか、兎に角誰かに相談するのよ!」
「分かった。そうする」
そう言って才架は小さく溜息を吐くと、目の前の料理を口に詰め込み、素早く咀嚼すると水で流し込む。真顔で繰り返されるその作業を見て、今度は苗があきれたように溜息を吐いた。
「うーん…… 才架って不味そうにごはん食べるよねー」
「え、美味しいけど」
虚を突かれたような顔をしている才架に、苗はがっくりと肩を落とした。
「そういえば」
苗がちらりと食堂の入り口付近の席に座っている人物に目を向ける。視線の先には、女子高には珍しい男性の姿があった。
「
苗の視線の先を追った才架は思わず顔をしかめた。
「げ。浅葱先生」
才架はどうにもこの浅葱という教師が苦手だった。
「なんでそんなに毛嫌いするかなー。生徒にも人気よ? あの野暮ったい眼鏡はいただけないけど、顔はキレイ系だし」
「わたし表情筋が死んでる人嫌いなの」
「そこがクールだって評判なんじゃない。それに」
苗が小悪魔のごとく微笑む。
「第一クラスの担任だしねー」
その言葉を聞いて、才架は立ち上がり叫んだ。
「あー! 浅葱先生が担任なんてー!」
その声は思いのほか食堂に響き渡った。慌てたのは苗だ。
「ちょ、ちょっと才架!!」
苗の焦り様に、食堂中の視線が自分に集まっている事に気がついた才架は真っ青になった。視線を向ける人々の中には当然浅葱本人もいる。
「……う、嬉しくって仕方ないなあー」
視線を泳がせながら浅葱を見れば、いつもの表情筋の死んだままの顔でしばらく才架を見つめた後、食事を再開した。その他の人々も何事も無かったかのように活動を再開し始めた。一瞬冷や水を打ったように静まりかえった食堂は、すぐにいつも通りの喧騒に戻っていく。
「うわぁー、焦った」
「わたしの方が焦ったわよ! 苗のばか!」
才架は顔を真っ赤にして怒っている。
「ごめん、ごめん」
苗は申し訳なさそうに眉根を寄せながら、才架に手を合わせた。
「もう。許さないんだからね」
そう言って、才架は食べ終わった食器を片付けるため席を立つ。
「待ってよ、もう食べ終わったの?」
「待たない!」
才架は苗を一瞥して、食堂を後にした。
その後姿を目で追いながら、苗はやれやれと言った風に首を横にふった。ふと、先ほど意図せず槍玉に上げてしまった教師を見やれば、やはり無感情なままで食事を口に運んでいる。事務的に行われる一連の動きに何だかやるせなさが募る。
「ごはんはもっとおいしそうに食べましょー……」
誰に言うでもなく、苗は小さくつぶやいた。
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