1章

1.榧ノ木魔法教導女学院(1)

 彗星の破片と共に地球へと舞い降りた地球外生命体、メルムによる戦禍が巻き起こってから六十年余りの時が過ぎた。メルムへの唯一の有効戦力として、魔法使いによって構成された魔法軍が各地の戦場に投入され奮戦していたが、メルムとの長い攻防の末、戦線維持の為に必要な魔法使いの数は今や不足し始めていた。


 魔法軍兵士の不足を補うため、日本では二十年程前から魔法使いに対する徴兵制度が始まっている。義務教育が終了すると同時に魔法使いには軍への入隊が義務付けられるが、高等学校相当の教育機関へ進む場合は、その教育機関で軍事教練を行う事を条件に進学が許されている。大学等の高等教育機関に進学するには、まずは兵役に着き、一年以上の軍隊勤務経験が必要となる。一年勤務した者には特定の高等教育機関の受験資格が与えられ、試験に合格すれば九月の入学にあわせて退役する事が出来るが、入隊から一年で受験資格を得られる学校は優秀な大学機関に限られており、魔法使いにとっては狭き門なのが現状だ。


 魔法使いの兵役が終わる三年目までの生存率は約八割。とはいえ、魔法使いはその大半が十代の若さで大陸の戦場へと送られるのに対し、魔法が使えない人間達は兵役義務も無く、戦場とは一線を画す安全な場所で悠々と生きている、その事に対する不満は溜まり、魔法使いと魔法の使えない人間との対立は年々深まってきている。


 魔法能力検査によって魔法を扱える能力があると判断された者は魔法使いとして登録され赤い個人IDタグを渡され、魔法を扱う能力が無いと判断された者は青い個人IDタグを渡される事にちなみ、お互いがお互いを「赤タグ」、「青タグ」と称し蔑む現状は、長年続く社会問題でありながら、メルムとの戦いを前に、国民の過半数を占める魔法を使えない者達によって目をらされて、かえりみられる事がないまま今日こんにちまで来ていた。


「うそ…… でしょ……」

 小学生としての最後の冬休みを目前に控えたその日、魔法が使えない人間、所謂いわゆる青タグの両親を持つ黒羽才架くろばね さいかは、自身の魔法能力検査の結果報告書を手に愕然とした。

 紙には、

「黒羽才架。魔法能力有り。赤区分。進学先、薄ヶ原すすきがはら魔法中学校」

 の文字が書かれている。

 愕然としている才架に、彼女の名前が刻まれた赤いIDタグが手渡された。才架はまるで夢を見ているかのように、現実感のないふわふわとした意識のままでそれを受け取り席に着いた。

 魔法になぞ、これまで触れた事はなかった。自分が産まれる少し前に死んでしまったらしい父方の祖母はどうやら魔女だったらしいが、それにしたって自分には魔法が使えるような兆候すら今まで無かったのだ。それがいきなり赤タグを渡され、排他的な田舎の魔法学校へと進学を命じられた。クラスには才架以外赤タグを貰う者は居なかったし、大体この時勢、特に排他的な田舎においては、魔法使い同士の間に生まれた子供は魔法界の初等教育学校に進むため、公立の普通小学校に通う魔法使いなど殆ど居ないのだ。

 才架は、急に自身が孤独になったように感じた。同じ学校に進むと信じて疑わなかった友人達が遠い存在になったように思えた。

検査結果が間違えだったら良いのにと祈る毎日を過ごし、迎えた卒業式。結局、才架の検査結果がくつがえる事は無く、友人たちが揃いの紺色のブレザーを着てのぞむ卒業式に、才架は一人セーラー服を着て出席した。

 それから才架は、片道約四十分もかかる距離を自転車で通い、学校内では「青タグ生まれ」とさげすまれ、生徒にいじめられ、教師にまで差別される日々を送り、中学三年生になる頃には家から学校までの走破タイムを三十分にまで縮めるも、魔法の使い方はさっぱり分からないまま、という状況に陥っていた。

 事ここに至って、才架は徴兵制度の事を思い出す。このまま碌に魔法を使えないまま軍に入れられた日には、戦場で真っ先に命を落としかねない。

「このままじゃ、戦場で野垂のたにする」

死にたくないという一心で、才架は高校受験を決意した。

 魔法界では高等学校への進学は一般化しているものではなく、進学率は六割程度の数字に留まる。試験科目にはもちろん魔法の実技もある中、基本の魔法すらままならない才架が合格する高校などありはしないと進路担当の教師に笑われながらも、才架が受験したのは魔法界の名門学校の一つ、女子高としては日本魔法界最古の歴史を持つ、魔女養成では屈指の名門校、榧ノ木魔法教導女学院かやのきまほうきょうどうじょがくいんだった。

 誰もが身の程知らずと笑った。しかし、蓋を開けてみれば薄ヶ原魔法中学校から榧ノ木魔法教導女学院に合格したのは、才架ただ一人だけだったのだ。この結果に、同級生も教師も唖然とし、言葉も出なかった事は言うまでも無い。

 榧ノ木魔法教導女学院は、魔法を持たない人間たちの世界――所謂、非魔法界では高等学校に当たる後期中等教育を施す教育機関である。学園施設は外界と隔絶された場所にあり、全国何箇所かに設置されている、学園と空間を繋げた入り口を通らなければ入る事が出来ず、その入り口は在校生にしか通る事が出来ないよう魔法が掛けられている。全寮制の学校で、生徒は全員、学園敷地内にある学生寮に居住するよう決められている。

 この学校に入学してから才架の魔法の才能は開花し、最下位で入学した彼女の成績は、一学年終了時には学年次席にまで伸し上がった。

 中学時代とは打って変わり、気の置けない仲間も得て学園生活を満喫していた才架は、里帰りをせずに、この学校に入学してから始めての春休みを学生寮で過ごしていた。

 そんな彼女が突然、面談室に呼び出された。才架は落ち着かない様子で面談室の椅子に腰掛ける。才架と向かい合うように机を挟んだ反対側の椅子に腰掛けたのは、学年主任の女教師、香染こうぞめだった。

「単刀直入に言います」

 香染は表情を一切変えずに才架に告げる。普段から厳しい表情のまま一切の感情を表に出さないこの教師は、生徒の間で「鉄の女」やら「鉄血女史てっけつじょし」などとあだ名されていた。

「あなたに、今期のオールドシスター補充要員を務めて頂きたいのです」

「え?」

 才架はぽかんと口を開けたまま動きを止めた。

 榧ノ木魔法教導女学院には、シスターシステムという伝統がある。この伝統のシステムでは、オールドシスター――OSと呼ばれる上級生に、リトルシスター――LSと呼ばれる下級生が、学校での生活の仕方や、勉強、魔法などの教えを請う。こうして作られた二人一組はバディとして軍事教練の場などでも利用されるが、学院内では大正時代に女学校で流行した姉妹の契りになぞらえて、“エス”と呼称されている。

「本来、欠員が出た場合には速やかに再募集をかけて人員補充を行うのですが、今回は急な事でしたので、次期三学年に再募集をかけてもOSとなり得る人物を育成するのは不可能と判断されたのです。その場合は、次期二学年の生徒の中から適切な成績優秀者を選出しOSの欠員を補う事が定められています」

「それは分かっています」

 才架は少しムッとしながら香染に告げた。

「なぜ、わたしが選出されたのですか? 自分で言うのも何ですが、わたしはこの一年で実力を磨き、学年末テストでは学年次席の成績まで伸し上がりました。おかげさまで、新学期からは第1クラスになる事が決まっています。しかし、それは他の生徒から成り上がりだとやっかみを言われても仕方のない、未だ裏打ちされるもののない実力だと痛感しております」

 四月に入って、気候はすっかり春らしく暖かくなった。面談室の開いた窓から吹き込んだ春風が才架の美しく真っ直ぐ伸びた黒髪をさらさらと揺らす。香染の目を強いまなざしで見つめ返す才架に、鉄面皮てつめんぴの女教師はやれやれと溜息を吐いた。

「その通り、あなたより相応しい人物は他にいくらでも居ます。たとえば、入学から一度も学年主席の座を誰にも明け渡さなかったおうぎゆかりさん。もちろん、私は彼女を支持しましたわ。ですが、前生徒会長であり、あなたのオールドシスターでもあった真朱まそおユキさんが、是非あなたにと学院長に掛け合ったのです」

 香染の言葉を聞いた瞬間、才架の表情が僅かに引きつる。

 真朱ユキまそお ゆきは才架のオールドシスターを務めた人物だ。既に卒業したが、その統率力の高さに、歴代最高の生徒会長としての呼び声も高く、多くの生徒に慕われていた。成績優秀で、人望も厚く、スポーツも万能。ミディアムボブの赤みがかった黒髪、柔和な輪郭を描く目の中に、自信に満ちた瞳を常に輝かせ、身長は高くないのに絶大な存在感を放つカリスマ的存在。上級生、下級生問わず人気のあった彼女のLSには一体どんな特別な新入生が選ばれるのか。当時はその事で学校中の話題が持ちきりになった程だったが、とんでもない新入生が真朱ユキのエスの相手に選ばれた事で発表会場となった講堂は阿鼻叫喚の騒ぎになった。その騒ぎの発端である、とんでもない新入生こそ、基礎魔法すら碌に扱えない、入学席次最下位の劣等生、黒羽才架だった。

 それから一年で才架が学年次席にまで伸し上がる事が出来たのは、殆ど真朱ユキの指導の賜物たまものと言っていい。ユキは才架の才能を信じ、時に厳しく、時に熱心に才架の指導に当たった。才架にとって、ユキは最大の敬意を払う敬愛する先輩であり、それと同時に逆らえない恐ろしい鬼教官でもある。

「真朱先輩が……」

「そうです。それで、どうしますか黒羽さん。断りますか?」

 才架は慌てて椅子から立ち上がる。

「そんな! 滅相もございません! 喜んで拝命させていただきます!」

 美しい起立姿勢で、まるで軍隊のように大声で返答を寄越した才架を香染は眼鏡を直す仕草をしながら見た。

「よろしい」

 香染はゆっくりと立ち上がると椅子を直し、退室の準備を始める。

「それでは、詳しい説明はまた後日。今日は帰って良しとします」

「ありがとうございました」

 才架は香染に深くお辞儀をしてから面談室を後にした。

 面談室を出た途端、才架は廊下の窓から青空を見上げ、大きな溜息を吐くのだった。

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