第11話 あの子が水着に着替えたら その9

「でも、いきなり自分を好きになれって言われても……困るって言うか、無理って思った」


「そう、なのか?」


 綾乃あやのの言葉に素直に頷けなかった。

 大樹たいじゅは自分のことが好きとか嫌いとか真剣に考えたことがなかったから。

 アドバイスをするにしても『別に無理して自分を好きにならなくてもいいんじゃね?』くらいが精々といったところ。

『肩の力抜けって』とか付け加えそうだったが……それはきっと、彼女が求める答えではなかった。


「うん。私は自分の何もかもが嫌だったから、自分を好きになりたいなら変わらないといけないって思ったの」


「それで、グラビアアイドル?」


「……て言うか、見た目から始めようって話。あと、これまでの自分が歩いてきたのとは全然違う世界に飛び込んでみたかったっていうのもあったかな。ま、振り返って考えてみれば麻里まりさんは私をスカウトしたかったわけで、最初からそっちの方に流れを持っていこうって意思はあったんだろうけど」


 むき出しになった肩を竦めて苦笑い。

 でも、間違ってはいなかった。

 綾乃はそう続けた。


「人間の心なんて目には見えないし、変わったかどうかなんて実感できない。でも……」


「見た目を変えるのは簡単ってことか?」


「何言ってるの大樹。見た目を変えるのって物凄く大変なんですけど」


「お、おう。すまん」


 話の流れと関係なく綾乃は憤慨した。

 とんだところに地雷が埋まっていたらしい。

 そこまで深刻でも致命的でもなくて幸いだった……はずだ。

 現に綾乃は鼻を鳴らしてはいたものの、さほど怒っている様子でもなかった。

 

「麻里さんが褒めてくれた胸や顔はいいとして、お腹とか脚とかは全然だったし」


「そうか?」


 当時の綾乃を思い出そうとして、上手く行かなかった。

 性的な目で彼女を見ることを控えていたし……基本的な話として、女子のお腹なんて見る機会がない。

 無理矢理見ようとしたら完璧に犯罪だし、その時点で綾乃の信頼を失ったに違いない。

 ふたりの関係は木っ端みじんに破砕されていただろうことは想像に難くない。


「見たい? 私のお腹と脚。割と自慢なんだけど」


「この状況でガン見したら、俺はただの変態なんだが」


「そうかな? 見たいって言ってくれれば……」


「綾乃……話が逸れてるぞ」


「あ、うん。えっとね、変わるためにすっごい努力したって話。私って勉強ばっかりしてたから体力なかったのに、毎日ジムに通ってメチャクチャ身体動かしたし。お腹が空いても食べたいものでも栄養学的にダメなものは食べないようにしてたし」


 巨乳と美貌は天性のものが与えられていたとしても、この業界では自分程度の人間はどこにでもいると綾乃は笑った。

 それこそ掃いて捨てられるほどに、棒を投げれば当たるほどに。


――綾乃……お前さぁ。


 よくよく考えてみれば恐ろしい世界だ。

まゆずみ あやの』は今を時めくグラビアアイドルで、『黛 綾乃』は間違いなく学校一の美少女だけど、それでも決して突出した存在ではないと言う。

 自嘲するでもなく、謙遜するでもない。

 ただの事実として認め、綾乃は現実を受け入れている。


――どんだけ頑張ってんだよ、お前。


 まったく辛い素振りなんて見せなかったくせに。

 水臭いって言いたかったけれど、状況を赤裸々に語られても協力できそうなことは思い当たらなかった。

 だからこそ、綾乃はことさらに仕事のことを口にしなかったのだろう。

 きっと、大樹に無力さを味合わせたくなかったから。


「俺は……愚痴を聞くぐらいしかできそうにないな」


「私、愚痴ってあんまり好きじゃないの」


「あ、ああ、そうだな。それで?」


「見た目を、身体を変えるのは決して簡単じゃない。でも、変わればすぐにわかる。特に私たちの仕事は基本的に水着が多いしね」


 綾乃はそっと自分の肌に指を這わせた。

 鎖骨のあたりからたわわに実った胸の谷間を通って、自慢のお腹を下へ下へと際どい水着が辛うじて隠す下腹部まで。

 大樹は綾乃の肢体を直に目にしたわけではなかった。

 視界の端を掠める手の動きを追うだけで、生唾を飲み込まされる。

 徹底的に磨き上げられた白い肌は、完璧な曲線を描いていた。

 

 グラビアアイドルは、身体の大半を人目に晒す仕事だ。

 努力も怠惰も隠すことなんてできるはずもない。

 しかも、写真が撮られてデータが残る。

 並べてみれば一目瞭然すぎる。


「なんかネットとかで画像弄ってるって噂が」


「私は一切弄ってないから」


「あ、はい」


「ゴホン。自分がきれいになっているって自覚できると……それも自分の意思で、自分の力できれいに作ってるって自覚できるようになると自信が生まれた。何もしないままの、ありのままの自分は好きになれなくても、自分の力で作り上げた自分は好きになれた」


「そっか……」


 そう言えるのは隣に座っているのが『黛 綾乃』だからだ。

 努力を積み重ねることを倦厭せずに、何より怠惰を嫌う。

 どんな業種であっても、彼女の気質は美点なのだろう。

 さらに生まれ持った顔も身体も元クイーンが認めるほどの特級品ときた。

 ひとつひとつ条件をピックアップしていけば、この仕事は綾乃にとって天職なのかもしれないとさえ思えてしまう。


「あと、私って物凄くチョロいから」


「チョロい?」


 また変な言葉が出てきた。

 思わず問い返したし、眉を顰めてしまった。

 大樹の知る綾乃は気難しくて、言葉を飾らないならばめんどくさい性格をしていた。

『チョロい』なんて表現とは対極にいる人物だったはずなのだが……


「チョロいよ。私ってチョロい。褒められたことがほとんどないから、ちょっと褒めてもらうとすぐ有頂天になっちゃう。『頑張ったね。きれいになったね』って言われたら、調子に乗ってもっと頑張っちゃう。だから、物凄くチョロいの」


「……」


「初めてのグラビア撮影の時、カメラマンさんにメチャクチャ褒められて泣いちゃった。あとから思い返してみれば、新人だから単におだてられてただけなのにね。『何で泣いてるの?』って言われても、自分でもよくわかんなかった。絶対変に思われてるって言うか、今でも会うたびにネタにされるの」


 またクスリと笑った。

 軽くて明るい言葉の裏には『どれだけ頑張っても褒められたことがなかった』ことが仄めかされていた。綾乃を褒めなかった人間の中には、親をはじめとする家族だけじゃなく大樹も含まれていると気づかされた。

 非難されているようには聞こえなかったが、あまりにも情けなかった。

 思わず項垂れて頭を抱えてしまう。


「すまん……その、言い訳にしかなんねーけど、俺、お前って前から見た目のことをアレコレ言われるのを嫌がってるんじゃないかって思ってて、それで……」


「『かわいい』とか『きれい』って言われて嫌な気分になる子はいないと思うけど……でも、うん、嫌だったと思う」


「どっちだよ」


「どっちもだよ。嬉しいけど嫌。中学生の頃に大樹に『かわいい』とか言われたら……まぁ、心の中では大喜びしたと思うけど、表立っては嫌な顔してたかな。せっかく褒めたのにそんな顔されたら大樹だって嫌な気分になるよね。だから、褒めてもらわなくてよかった」


「なんだよ、それは……わけわかんねぇ。別に俺はそんなことでお前のこと嫌になったりしねぇよ」


 その程度で嫌いになるなら、最初に提案を拒否られた時点で離れていた。

 綾乃への好意を自覚できるようになった頃には、めんどくさい性格にも慣れていた。

 ……なんてことを今ここで口にすると色々台無しになりそうなので、それは黙っていた。


「それはそう。大樹はそういう人だって私も思ってたけど……乙女心は複雑なのです」


 訳知りな口ぶりに突っ込もうとして、突っ込めなかった。

 確かに綾乃は乙女だ。年頃の少女だ。それは間違いない。


「まぁ、それはともかくとして。デビューしてグラビアが載って、大樹に聞いたら『いいんじゃね』って褒めてもらえて」


 自信を持った。

 撮影に前向きになった。

 そして綾乃はさらに変わった。

 自然と背筋が伸びて、胸を張った。

 ハリボテだった笑顔が本物の笑顔になった。

 苦手だった対人コミュニケーションも克服した。


「……そっか」


 ずっと傍で見ていたつもりだったのに、まるで気付かなかった。

 綾乃の変化は一瞬ですべてがひっくり返ったわけではなかった。

 少しずつ、段階を踏んで変化――否、成長を遂げてきたのだ。

 高校デビューも芸能界デビューも、切っ掛けに過ぎなかった。

 綾乃は自分の意思で自分を磨き上げて、自分の力で変わった。

 望むべき方向を自ら見定めて、ひとつひとつ積み上げ続けた。

 それは魔法でも何でもなくて、ただ彼女の努力の結晶だった。


「全然気づいてやれなくて、ごめん。もっと気の利いたことが言えなくて……その、悪かった」


 今さら言っても遅かろうが、言わずにはいられなかった。

 言わないままでいるよりは、ずっとマシだと思ったから。

 高校に入ってからの『黛 綾乃』は可愛い。日に日に可愛さが増している。

 グラビアアイドル『黛 あやの』は眩しさすら覚えるほどにエロ可愛い。

 照れくさくて、ぞんざいな口調で素っ気なく褒めることしかできなかった自分がカッコ悪すぎた。

 もっと手放しで絶賛してやればよかった。

 だって、それは嘘ではなかったから。

 現に大樹は綾乃に夢中だったから。


「ううん、嬉しかったよ。口下手な大樹が精いっぱい褒めてくれてるって思ってたから。でも……だからかな。私、勘違いしちゃったみたいだね」


「勘違い?」


 クスクスな笑い声から一転、声は不穏な響きを纏っていた。

 思わず頭を上げて横を見てしまう。勇気もクソもなかった。

 当然のごとく綾乃と目が合って――その漆黒は揺れていた。


「うん。大樹は私のことをちゃんと褒めてくれるようになったから……大樹は私のことを、私の仕事を理解してくれているって勘違いしちゃった」

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