先輩と後輩と秘宝館 1




 繁忙期が続けば残業も続く。それが今回は長引いて、おかげで葛城のストレスは限界だった。


「軽く涅槃が見えたな……」

「わたしは河の向こうにご先祖様が見えました」


 ようやくそれらから解放された週末金曜日。職場の休憩室でグッタリと項垂れる葛城の隣で、晴香も軽く口から魂が抜けている。


「あー……温泉にでも行くか……」


 葛城にとって車で適当に遠くまで出かけるのはストレス発散の一つである。そこに今回は肉体的な疲労回復も求め、無性に温泉に行きたくてたまらない。土日は元からの休みの上、月曜はこの繁忙期を乗り切った褒美にと有給休暇を取得している。近場で探してゆっくりしてもいいし、それかいっそ遠くまで出かけてもいい。そう思っていると横からキラキラとした気配が伝わってきた。

 チラリと視線を動かせば、温泉の二文字に反応を示した野生動物が期待に満ちた眼差しを向けている。


「……お前、明日からの予定は?」

「先輩と温泉に行く予定です!」


 あまりにも思いつきの、予定と呼ぶに差し障りがありすぎて誘う選択肢はなかったが、野生動物、もとい、可愛い彼女が自ら予定を入れてきたのであれば断るなどありえないわけで。こうして葛城と晴香で思いつきによる小旅行が決まった。






 せっかくの休みだし、ということで一泊二日で予定を立てた。行き先は葛城が学生時代から頻繁に行っていた山奥にある個室タイプの貸し切り露天風呂だ。高速と下道を使って二時間と少しかかる。なので昼過ぎ辺りからゆっくりと出かければいいかと思っていたが、行き先を聞いた途端晴香がとんだリクエストをしてきた。


「前に二課長がお薦めしてくれた場所が近くにあるんですよ! そこにも行きましょう先輩!!」


 どこだよ、と詳しく場所を聞こうにもうろ覚え。出かけるまでには調べておきます、という元気な返事を鵜呑みにし、そうして翌朝車で迎えに行っていざ出発、となっても詳しく確認をしなかったことを、当の目的地に着いた時に葛城は盛大に後悔した。


「あ、ここですここ! 先輩よくわたしのぼんやりしたナビでたどり着けましたねすごい!」

「わかってるならもう少し……って、いや、うん、なんだ、ちゃんと確認しなかった俺が悪い……」


 なんですか? と不思議そうにしている晴香はすでに車の外だ。早く行きたくてたまらないらしい。

 あーホントなんで俺はもっと早くに場所の確認、ってかせめて目的地の名称だけでも聞いていれば、と後悔したところでもう遅い。車を走らせている途中にチラリと目に入った看板。せめてあの時点で確認していれば……とそれでも悔やむ思いは無くならない。


「先輩どうしたんですか? 疲れました?」


 おず、と窓から車内を覗き込む晴香に、まあ疲れはした、今この瞬間、と口からぼやきが出そうになる。それをグ、と堪えて葛城は諦めて車のキーを抜く。


「お前さ……ここ、誰にお薦めされたって?」

「二課長です! ほら、前に三課合同での飲み会があったじゃないですか、その時に」


 つまりは酒の席での酔っ払いの戯言だ。あのクソ課長、と罵りたい気持ち半分、そんな酔っ払いの言葉を真に受けたどころか律儀に覚えていた晴香の素直と言うかこの天然が、というか。そんな怒りともなんともつかない感情が、つい葛城の眉間に皺を作る。


「先輩めっちゃ人相悪い」

「うるせえよ」


 丸っと全部お前と二課長のせいだよ、とは流石に口にせず、葛城は軽く晴香の額を小突いた。


「日吉」

「はい」

「お前さ、ここが、どんな所か知ってんのか?」

「大人でも楽しめるゆうえんち、って言ってました」

「字面が違うやつだなあそれは……」


 遊園地、ではなく「遊艶地」とはよく言ったもので。


「あとお宝がたくさん、っても言ってました!」


 秘宝がたくさんあるよって! と無邪気に笑う彼女は可愛らしいのに、その無邪気さがとにもかくにも辛い。

 あーこれ本当に事前に確認しなかった俺が悪い……わけないだろうけどでもやっぱ俺が悪いんだろうなあ、とこれから先の展開を予測し、葛城はガクリと項垂れる。


「先輩?」


 流石に不穏な気配を察知した晴香が気遣わしげに葛城を下から覗き込む。くそ可愛いなお前、と不意に浮かんだ欲望を一旦振り払い、葛城は腹を括る。


「ここまで来たならもう行くしかないだろ」

「そんなに覚悟決めなきゃみたいな場所なんですか?」

「お前がな」


 そしてその後の晴香を宥め賺さなければならない己の覚悟が。


 行くぞ、と軽く晴香の肩を押して葛城は足を向ける。その先にあるのは白亜の塔、ではないけれど、真っ白な壁に空色の屋根、軒先に大きく飾られた人魚の像と、そして大きく飾られた【秘宝館】という三文字の建物。


 実年齢はともかく中身はコイツ高校生みたいなもんだろいっそ精神年齢の規制とかで引っかからねえかなあ――


 そんなくだらない、しかしそれだけに葛城は本気でそう祈る。

 しかし残念ながら神も悪魔もその祈りを拾ってくれる事はなく、二人はあっさり館内への入場を許可された。

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