(後輩が)酔っぱらい




 その日葛城が飲み会の席に現れたのは始まってから一時間が過ぎた辺りだった。すでに出来上がっている面子もいる中、手招く女子社員を軽く躱して三課が集まっている席へ向かう。


「ごめんね葛城君」

「いや大丈夫ですよ、帰りのルートだったんで」


 課長が詫びと共にグラスを手渡す。それを受け取れば、早速冷たいビールが注がれた。


「あれ? 中条は?」

「中条君は事故渋滞で遅れるって」


 営業先から戻る途中、急遽別の店舗へ行かされた葛城と違い、中条は遠方ながらも退社時間には間に合う予定であったのだが。帰り道で事故渋滞とかあいつもツイてねえな、と葛城は心の中でひとまず労いつつ手元のグラスを傾けた。

 今更一気飲みなんてする年でもなければそもそもそんなつもりは毛頭無いけれど、いまだ蒸し暑い中では冷えたビールを飲む勢いは止まらない。それでもなんとか一気にならないよう中断し、半分以下になったグラスをテーブルに置く。手近にあった枝豆に手を伸ばすと、向かいの席にいた同僚から揚げ出し豆腐の入った皿が回ってきた。


「葛城なんか食いたいのあるか?」

「あーなんでもいい。つか先にこの辺りの食うぜ?」


 おー、と軽く返して同僚が適当に料理を注文してくれるのを見つつ、もう一人不在であることに気が付いた。


「日吉は?」

「日吉さんならあっち。総務課の女の子達に呼ばれて行っちゃったまま戻ってこないんだよ」


 やっぱりおじさんばっかりの席は楽しくないもんねえ、と課長はどこか寂しげだ。すっかり娘、もしくは孫扱いの晴香であるが、晴香にとってはなにかとおやつをくれる優しい課長、という認識なので多分楽しくないとかそういうのではなく、単に捕まったまま戻ってこられないのだろう。なにしろ葛城以上に職場での飲み会やらなにやらを嫌っている。三課の面子、というよりももう葛城がいるかいないかで参加を決めている昨今だ。今日だって営業部合同の飲み会で、そして葛城と中条がいるからと渋々「行きます」と答えていたのだが。


「葛城君も中条君もいなくて寂しそうだったよー」

「はは、それはないでしょ」


 課長の言葉に葛城は乾いた笑いを浮かべる。寂しい、だなんてそんな可愛らしい態度など取ってくれたなら大喜びだ。けれど、晴香はそんなタイプではない。


「先輩達に裏切られた、ってすっげえ眉間に皺寄せてたよ」

「なんかあれだったなー、無理矢理病院に連れてかれた猫みたいな顔してた」

「目に浮かびすぎるなそれ」


 すこぶるご機嫌斜めだったらしい姿に今度は純粋に笑いが出る。


「ヘンなのが絡む前に日吉さん迎えに行ってあげろよ」

「だな、日吉が絡む前に回収してくる」


 葛城は立ち上がると少し離れた場所に固まっている総務課の元へ向かう。と、それに気付いた橋口と遠藤が二人して手を上げて葛城を呼んだ。


 あ、これ面倒なやつだろ、と葛城はそれで察してしまう。


 思わずクルリと背を向けて元の席に戻りたくなったが、一応先輩であるし最近は飼育員であるしそれ以上にアレだから、と仕方なしにそのまま足を進める。


「葛城さんごめんなさい! ちょっと飲ませすぎちゃって」

「日吉さん、ほら、葛城さん来たよ!」


 遠藤が申し訳なさそうに葛城に告げる横で、橋口が晴香の肩をポンポンと叩く。その晴香はぼんやりとした顔をしており、珍しく酔っ払っていた。


「そんなに量飲んでたのか?」

「そこまでは飲んでないはずなんですけど」

「酔ってないってば。ちょっとこう……ふわふわ? してるくらいで意識はちゃんとしてるもん」

「酔っ払いの常套句じゃねえか」


 無理矢理立たせるのもまずかろうと、ひとまず葛城は晴香の隣り、壁際に腰を下ろした。向かい側に座る遠藤から渡された水の入ったグラスを晴香に握らせる。


「ほら、水飲んで少し大人しくしてろ」

「先輩の裏切り者ー……お疲れ様でした」

「罵るか労うか分けろよ」

「ひとまとめにした方が早いじゃないですか」

「お前珍しく外で飲んでんのに酔ってんのな?」


 葛城や中条といる時でさえ、外ではほぼほぼ酔わない晴香だ。こんな職場の飲み会ではまずもってこうなる事はなかった、のだが。


「先輩と中条先輩がいるからって油断してました」

「酔っ払いの介抱を先輩に押し付ける気だったのかお前は」

「無礼講です!」

「お前が言うな。そしてそんな意味じゃねえだろ」


 ペシリと頭と叩くと「痛い」と恨めしげに睨み付けられる。その視線がふと一カ所で止まった瞬間、葛城の中で嫌な予感が走った。


「先輩」

「よし日吉お前終わるまで寝てろ。ちゃんと起こしてやるから安心していいぞ」

「先輩の腕って手羽先みたいですよね」

「聞けよ俺の話を」

「二の腕? の筋張った所から、ちょっと盛り上がってるとこなんかが特に似てると思うんです美味しそう」

「それになんて返すのが正解なんだよ俺は……!」

「ちょっと囓ってみてもいいですか?」

「ダメに決まってんだろ!」

「じゃあどこの部位ならいいです?」

「部位」

「首?」

「だからダメ……っておいこら! ちょ、待て酔っ払い!」


 なまじっか壁際に座ったのが失敗であった。逃げようにも逃げられない。壁を背にし、逃げ場を失った葛城の膝下に自分の膝を潜り込ませ、晴香が一気に攻め寄る。


「脚ぃ! 脚閉じろ! スカート捲れてんだろ!!」

「だいじょうぶですこの席女子しかいないです!」

「俺がいるだろうが!」

「先輩だからそれもだいじょうぶ!!」

「俺が大丈夫じゃねえっつってんだ……」


 葛城の背中に両手を回して晴香は首筋に狙いを定める。そんな晴香の頭を葛城は必死に抑え込むしかない。


「俺は女に襲われる趣味はない」

「襲ってませんちょっと味見するだけです」

「言い方がすこぶるマズイわ!」


 ぎゃあぎゃあと騒いでいるというのに、橋口も遠藤も、それどころか女子社員誰も助けようとはしない。ただのじゃれ合いとしか見られていない現状にこれほど絶望しようとは。

 葛城が晴香を襲っているのであれば即停止即通報案件なれど、晴香が葛城にじゃれているのだからなんて微笑ましい光景、とでもいうのか。


 いやおかしいだろいくらなんでも成人した男女が二人酒の席でこんな、と思い至った所でようやく葛城は気付いた。周囲にいるのもほどよく酔った者ばかりだ。素面の時ならいざ知らず、酒の入った状態ではたいした問題ではない、と思われているわけだ。

 にしたって、と軽い絶望と疲労に力が緩む。当然その隙を逃がす野生動物ではない。

 ぐわ、と一際大きく口を開け、遠慮など一切なしに晴香は葛城の首筋に噛み付いた。


「――っ……!」


 痛みの波は意外な事にすぐに引く。晴香が本気で噛み付いたのは一瞬だけで、その後はもう軽く歯を立てたまま、どんどんと葛城に身体を預けてくる。


 ああこれはもう間違いなくこの状態でこいつ寝やがった、と葛城は壁に背を預け天を仰いだ。


 全身に伝わる温もりと柔らかさ、そして酒により高くなった体温のせいで普段よりはっきりと分かる晴香の香り。これだけでも劣情を煽るには充分すぎるというのに、首筋に軽く触れたままの歯と唇、ゆっくりと繰り返される呼吸に葛城の精神は昂ぶる一方だ。


「あれ? 日吉さん寝ちゃったんですか?」

「……ああ、遠藤悪いけど膝に掛けるのなんかあるか?」


 ん? と不思議そうに首を傾げた遠藤であるが、晴香の体勢を見てすぐに店員を呼ぶ。すぐにブランケットが貸し出され、それを晴香の膝に掛けてやりながら、身動きの取れない葛城のテーブルの前に飲み物と料理が並べられる。

 気遣いはありがたいが、だったらこいつを回収してくれと思わなくもないけれど。それを口にして本当に回収されてしまうには惜しくもある。



 とにもかくにも覚えてろよ、と肩に顔を乗せたまま気持ちよさそうに眠る彼女の頭に、葛城はコツンと自分の頭をぶつけた。



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