(先輩)誕生日




 今年も残り後わずかだ。ホワイトボードの日程表をぼんやりと眺めつつ、中条は二十五日の予定表に書かれた名前に背後を振り返った。


「……なんだよ?」


 残業での気怠さ故か、上着を脱いで襟元を緩めた葛城が面倒くさそうに片眉を上げる。


「お前今年も出なの?」

「なにが?」

「二十五」

「ああ」


 見りゃ分かるだろ、と葛城の返事は素っ気ない。マグカップに入った紅茶を飲みつつまた手元の書類へと視線を向ける。


「葛城君今年もごめんね。大丈夫? 無理してない? 本当に予定ないの?」

「大丈夫ですよ課長」

「でも葛城君、入社してからずっと出勤してない? たまには休んでもいいんだよ?」


 人の良い課長があまりにも申し訳なさそうな顔をしている。あ、しまったと中条が反省すると同時、だからお前は余計な事を、と葛城から鋭い視線が飛ぶ。


「先輩入社してからずっとクリスマスも仕事してるんですか? すごいですね!」


 外から戻ってきた途端晴香が会話に飛び込んでくる。鼻の先が若干赤くなっているのは、それだけ外が寒かったからだろう。


「褒められた気がしねえなあ」

「社畜の鑑って褒めてますよ」

「おし日吉ちょいそこ座れ」


 即座に始まる悪態の応酬。葛城は自分の隣の席、すなわち晴香の椅子を引いてここに来いと手招くが、呼ばれた方は平然とそれを流す。


「課長、郵便局無事間に合いました!」

「寒い中急ぎでお願いしてごめんね日吉さん。ありがとう、お疲れ様でした」


 おやつあるよ、という課長の声に呼ばれ晴香はそそくさと課長席へと向かう。誰だって頭を掴まれて締め付けられるよりもおやつを選ぶだろう。


「あんまり日吉に餌をやらないでください課長」

「餌って!」

「葛城君は厳しいよねえ」


 秋頃に待望の初孫が生まれたからか、課長の晴香へ対する態度は甘さを辿る一方だ。葛城の苦言もどこ吹く風で、晴香の掌にチョコレートやら飴玉やらを載せていく。


「日吉さんも二十五日は葛城君と一緒になっているけどいいの?」

「わたしは一年目の時にお休みもらってますし!」


 晴香の入社した年はちょうどクリスマスが土曜日だった。カレンダー通りならば休日だが、繁忙期かつ年末に向けての忙しい日々。てっきり休日出勤だと思っていたが、晴香は普通に休みを貰えた。


「てっきり先輩達も休みだと思っていたので、出勤してたの月曜に知ってびっくりしました」

「いてもたいして役に立たねえからな」

「違うからね日吉ちゃん! そこから先怒濤の忙しさが続くから、せめて最初の年くらいは休んでねっていう元からの社風!」


 慌てて中条がフォローを入れるが、葛城のその程度の口の悪さなど晴香にとってはそよ風にすらならない。なんなら「たしかにそうだよね」と同意までしている。


「あれ? でもそういう社風なのに先輩はずっと出てるんですよね? 社風ガン無視なんですか?」

「中条だって出てんぞ」

「おれはそれでも何回かは休み貰ってる。おれ達の年は病欠が多くてね、人手が足りなかったんだよ」

「中条先輩もわりと社畜ですね」

「日吉ちゃんそこ拾うの?」

「まあ先輩にとっては祝日やイベントのある日は稼ぎ時でしかないから、たとえそれがクリスマスだろうと関係ないですよ!」

「日吉ちゃんおれと会話して?」

「でも葛城君は誕生日でもあるからねえ……一度くらいはお休みしても誰も文句は言わないと思うけど」

「誕生日?」

「そう」

「……誰のですか?」

「葛城君の。葛城君、十二月二十五日が誕生日」


 両手に課長から貰ったおやつを載せたまま、晴香は首だけを動かししばし葛城を見つめる。そしてややあって、心の底からと言わんばかりにポツリと呟いた。


「うわあ……」

「なんだおい、視線反らすなちょっとお前本当にこっち来い! 課長の後ろに隠れるな!」

「言ってませんよ! 別になにも言ってないじゃないですか!」

「お前のその態度が全てを物語ってんだろうが!」

「クリスマスが誕生日とかこの世で一番とまでは言わないけどでも社内に限定したら多分絶対断トツで似合わないなとか、ロマンチックからほど遠い人ほどそういうのに縁があるのかなとか、バレンタインデーじゃないだけマシなのかなとか思ったけど言うのは我慢しました!!」

「淀みなく全部言い切ってくれてんじゃねえか日吉ぃ!!」

「あれ? 日吉さんは葛城君の誕生日って知らなかったの?」

「今初めて知りました」


 これはまだ余裕でいけるやつ、という経験則から晴香は葛城の怒声を流して課長と会話を続ける。え? と課長が目を丸くしているが、それはまあそうだろう。丸二年も補佐として一緒に仕事をしていたのだ。それくらいの世間話などしているものだと思われても仕方がない。


「初めは先輩ブリザードでしたし、それが抜けたらただの社畜ですからねえ……そういう話したことないですね!」


 晴香に他意はなく、ただ事実を笑顔と共に告げただけ。しかし、だからこそ余計に葛城の酷さが際立つ。そこは本人も自覚しているのでひたすら罰の悪そうな顔をしている。

 ただ、中条だけはなんとも言えない顔をして晴香と葛城を交互に眺めた。

 今まではたしかにそうだったのだろうが、しかしながら今年は「そう」ではない二人だ。


「……えええ……」


 付き合い初めてまだ短い期間、とはいえその程度の話はしてもいいのではなかろうか。というか、そもそもそういった意味も含めて中条は葛城に尋ねたのだ、「今年も出なのか」と。久しぶりに、そしておそらく、これまでで一番本気でのめり込んでいるだろう恋人と誕生日を過ごさなくて良いのかと。


 最早その段階ですらなかった。そもそもスタートラインに立っていなかった。


 残念な物を見る目で見てしまう中条と、それを無視してマグカップの中身を飲み干す葛城をよそに、課長と晴香の世間話は続く。


「そういえば日吉さんの誕生日はいつなんだっけ?」

「わたし五月生まれです!」

「ああ、なんだか日吉さんらしいねえ。エネルギッシュな感じがとても似合う」

「無駄にエネルギー余ってそうだよな」

「聞こえてますよ先輩」

「日吉さんも誕生日に休みたかったら申請してみてね? 繁忙期とかじゃなかったら大丈夫だから」

「ありがとうございます……ってでもすごいですね? それも社風なんですか?」

「ううん、これはウチがそうなだけ」


 家族大好き! と日頃から豪語する課長であるからして、自分は元より部下の家族サービスに関する有給申請はほぼほぼ受理される。さすがに繁忙期やら何やらの時は取れない時もあるが、それでも可能な限り調整を掛けてくれる。


「ウチは既婚者率が高いから」

「いいんじゃないですかね? 総務課の子達もいいなって言ってましたよ」

「でもその分独身の、それこそ葛城君に中条君、そして日吉さんに都合つけてもらう事も多いから」

「まあそこはお互い様ってことで!」

「日吉さんは良い子だねえ」


 そしてまた新たに晴香の掌にお菓子が追加される。


「でもだからこそ、本当に休みが取りたい時は遠慮なく言うんだよ? 友達と出掛けるとか、恋人とか……ってこれはセクハラになるねごめんね」

「いえいえ、課長は心配して言ってくださってるだけですし、それに恋人もいないから大丈夫です!!」


 あ、と思ったのは中条が速かった。その五秒遅れで晴香も己の失敗に気付く。課長席から離れたデスクから飛んでくる圧が、凄まじい。


「葛城君もそういう相手ができた時はちゃんと休むんだよ? 本当に今年もいないの? 前みたいに無理してない?」

「大丈夫です。今年も誕生日どころか休みを一緒に過ごしてくれる様な相手はいません」


 課長の「今年もいない」だの「前みたいに」だのと言った話の中身が気になりはするが、今はそれどころではない。晴香はビシバシと飛んでくる圧力に耐えるのに必死である。

 間違えた。つい、うっかり、これまでのノリで口にしてしまっただけなのだ。


「さて、僕はそれそろ帰るけど、葛城君達はどうするの?」

「おれも切り上げて帰ります」

「わたしも!」

「悪い日吉、ちょい資料室にこれ返しに行くの手伝ってくれ」


 葛城の横に積まれたファイルの束。帰宅するのならば元の場所に戻すのは当然の事ではあるが、わざわざ晴香を使う程の量でもない。しかしあえてそんな用件を頼むのだから、葛城の思惑などお察しである。


「ええと……わたし、今日、ちょっと用事が」

「そう時間は掛からねえし。そもそも今やってる書類の修正お前のミスだし」

「それわたしの所に来た時点で間違ってた分じゃないですかー! 発注かける寸前でむしろ気付いたのを褒めてくださいよ!」

「はいはい偉い偉い良くやったよお前は。だからこの書類片付けたらそのご褒美がてらに美味い飯食わせてやるから」


 とにかく行くぞ、と葛城は席を立つ。


「ここの鍵は葛城君にお任せしていいかな?」

「任されました」

「じゃあお先にねー、お疲れ様」


 ニコニコとした笑顔を残して課長が去って行く。それに続こうと中条も荷物を纏めて立ち上がるが、そうすると必死の形相の晴香と目が合った。


「中条先輩!」

「うんお疲れ! 日吉ちゃん頑張って!」

「中条先輩助けてくださいよ!!」

「日吉ぃ!!」

「ほら呼んでるよ日吉ちゃん」

「うわー! もうすでにマックス状態!」

「誰のせいだ」

「自業自得だよね」

「先輩の極悪面ぁっ!!」


 悪態を吐きつつ、それでも葛城の元へと従うのだから葛城による晴香の調教っぷりは見事である。当然、この場合の「調教」という言葉に性的な意味は欠片もない。


「じゃあおれほんと帰るから、お疲れー」

「あ? お前なんか用事でもあるのか?」

「いや、特にはないけど」

「じゃあ飯食って帰ろうぜ。下で待っててくれ」


 え、と中条が固まるほんの一瞬の間に葛城と晴香はファイルを持って外へ出る。

 葛城の事なのでどこぞの映像よろしく会社内で以下省略、的な流れにならないとは思ってはいるけれど。それでもわざわざ二人で人気の無い資料室へ行くわけだから以下省略的な考えも一瞬過ってしまうのだが。


 あ、これ説教しつついちゃつくのが目的ってわけではなく、本当にただの手伝いで呼んだってか説教か……丸っと全部説教だけの呼び出しか……


 だから日吉ちゃんにお前と付き合ってる自覚がないんだよ!! お前だって自業自得じゃないか葛城ぃ!! そんな叫びを心の中であげつつ、中条は一人長く重い息を吐き出した。


 

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