雪の日
コンビニの駐車場の端に車を停め、ハンドルに身を預けたまま葛城は正面をぼんやりと見つめる。脳内には冬になると良く耳にする童謡を彷彿とさせる光景が広がっていた。
前日の天気予報で確かに雪のマークは付いていた。だからそれなりに早めに帰路に着いたはずだったのだが。チラつきだしたと思った雪はどんどんとその勢いを増し、県境に差し掛かる頃には見事に道路は真っ白。新雪のおかげでなんとかタイヤがスリップする事は免れてはいるが、それでも早いところこのエリアから抜け出したい。しかしながらまさかのリクエストが助手席に座る可愛い彼女から飛び出した。
「先輩ちょっとコンビニかどこかに寄りましょうよ!」
買い物をしたいとか、トイレに、などと言う理由ではないのはその輝く瞳から明らかだ。「雪遊びがしたい」と爛々と輝いている。マジか、と思わず声を漏らしてしまったが、晴香は気付いていないのかそれとも気付かないフリをしているのか「あ、看板見えましたよ」と前方を指さす。マジか、ともう一度呟きながらも葛城は仕方なしにそのコンビニに車を停めた。
「うわー! 雪! 雪だー!!」
きゃっほー! とはしゃぎながら晴香は外へ飛び出した。雪が降る深夜のコンビニの駐車場はガラガラで、轍どころか足跡すら付いていない。ふわふわとしたまま積もった雪を踏みならし、素手で掴んでは宙に投げて遊ぶ姿は完全に子供だ。なんなら幼児かもしれない。さらには駆け回るものだから、だんだんと童謡よろしく犬に見えてくる。
長くても五分程度で戻ってくるだろうと思っていたが、すでに十分以上過ぎている。今も雪は降り続けており、これから先どれ程積もるかも分からない。葛城はドアを半分だけ開けると晴香に声をかけた。
「日吉、そろそろ戻ってこい」
「先輩もうちょっと!」
「いくらお前が馬鹿でも風邪引くぞ!」
「深夜に先輩が巨大に失礼ーっ!」
晴香は言い返しはすれど戻っては来ない。駐車場のフェンスの奥、おそらくは田んぼでもあるのだろう、その方向へ向けて雪玉を投げて遊んでいる。
「この雪道運転して帰んの俺なんだけどなぁ!」
「わたしが変わりましょうか!?」
「うるせえそんな恐ろしい事できるか!」
晴香のテンションが幼児のままから戻らない。葛城は盛大に溜め息を吐くと諦めて外へ出た。念のためにロックを掛けてコンビニの中へと入る。ホットドリンクのコーナーで紅茶とコーヒーのペットボトルを取り、会計を済ませるといまだはしゃぎ回っている晴香の元へと向かった。
「帰るぞ野生動物」
「言い方ぁっ!」
文句を言いつつも直接迎えに来られては晴香も素直に従う。助手席に戻りシートベルトを締める晴香に葛城はほれ、と買ってきた紅茶を手渡した。ありがとうございます、と受け取って両手で握る晴香の指先は真っ赤だ。素手で雪遊びしてりゃな、と葛城が呆れていると、その真っ赤な手が葛城に伸びる。両手で左手を掴んできた、と思った瞬間。
「っ!!」
晴香の細い指がするりと葛城の服の袖から入り込む。手首どころかその先にまで入り、しっかりと指を回して掴んだ。目的は勿論、葛城の体温を奪うために他ならない。
「お、ま、え!」
「先輩あったかい! さすが心の冷たい男!」
「引き剥がさずにいてやる俺に対して随分な言い草だなあオイ! つか雪降ってん中素手で遊び回ってる奴に比べたら誰だって体温高いわ!」
「先輩右手ください」
「平然と両手の体温奪おうとしてんじゃねえ」
葛城は自分のコーヒーのペットボトルで晴香の額を小突く。
「だいたいそのためにそれ買ってやってんだろ。そっちで暖取れよ」
はあい、と晴香は返事をするとようやく葛城の左手から手を離した。フンフンと鼻歌交じりなのからして、今の行動はただの悪戯目的だったのだろう。可愛い彼女の可愛い悪戯、と流してやる分には構わないけれども、それはそれとしてやられっぱなしなのは葛城の性に合わない。
「日吉」
「はい?」
「膝のところ汚れてねえか?」
え、と晴香が下を向く。そこにできた首の後ろの隙間に葛城は容赦なく左手を突っ込んだ。
「あーっっっ!!」
狭い車内に晴香の叫びが響く。膝の上にあったペットボトルが足元に落ちるが拾う余裕すらなく、首筋から奪われる体温に身を震わせている。
「ちょーっ! 先輩! なにして!! てか、手ぇっ! 抜いてええええ!!」
晴香は身を捩って逃げようとするが、先に着けたシートベルトが身動きを封じる。反射的に肩も竦めているものだから、結果的に葛城の手をより一層肌にくっつけてしまいどうしたって逃げられない。
「ぅ……んッ!」
晴香は目をきつく閉じ、唇を噛み締めて必死に冷たさに耐えている。その様子を葛城はニヤニヤと眺めていたが、堪えきれずに漏れ出た声にピクリと眉を動かした。瞬間的に蘇る記憶と、それにより己の中で爆発的に膨れ上がる欲。我ながら、と苦笑さえ浮かんでしまう。
「……先輩?」
流石の野生動物である。不穏な空気を察知したのか晴香がおずおずとこちらの様子を伺う。葛城はゆっくりと左手を上へと動かす。服から抜け出る寸前に首筋をつ、と撫でると晴香の肩が大きく揺れた。
キッ、と睨み付けてくるが怒りよりも羞恥の色が強いのはまあそう言う事であり、葛城は軽く口の端を上げるだけでそれを流す。エンジンをかけゆっくりとコンビニの駐車場から車道へと出た。
「この先にたしかラブホがあったろ? そこに泊まるぞ」
「え……って、あー……すみません」
ワイパーが雪を払うが視界はどんどんと悪くなる。コンビニで遊んでいる間にも積もった雪でタイヤの動きもより一層注意が必要だ。ここから先、葛城のマンションまで距離はまだある。ノーマルタイヤでどこまで走る事が出来るかも分からない。状況がここまで悪化した原因は一重に晴香の雪遊びであるからして、シュンと項垂れてしまう。そんな晴香に対し葛城は気にするなと頭を軽く叩いた。
「もうすぐ県も越えるから、そしたら雪もここまでは酷くないんだろうけどな」
「でも無理は禁物ですもんね」
「それもあるけど」
「え、雪で危ないから泊まるんじゃないんですか?」
「いや、単にさっきのお前の反応見て俺がヤりたくなっただけ」
「は?」
「俺もまだまだ若い」
「はーっっっ!? 先輩なに言って!?」
「だからお前を抱きたいなって話」
「言い直さなくてもわかります! いや意味わかんないですけど!? なんで!?」
「お、意外と近かったな。中でゆっくり教えてやるよ」
「先輩冗だ……ん、じゃないんですか!? 本気!? ハンドル切るの止めてくださいーっ!!」
晴香は葛城の腕を掴んでガクガクと揺さぶるが、無情にも車は目的の場所へと停車する。
葛城は晴香の荷物を素早く手に取ると車を降り、反対側に回って助手席のドアを恭しく開いた。
「行くぞ」
にこやかな顔で、しかし晴香の手首を掴む力は強いままでそう告げる。覚悟を決めたのかはたまた諦めの境地なのか。どちらにせよ晴香はフラフラと立ち上がるとそのまま葛城の胸元に頭を寄せ、「せめて手加減してください」と耳まで赤く染めそう呟いた。
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