第38話 2(終)

 ほんの数分、長くても十分程度、のはずだった。が、目覚めた時には外は薄暗く、そして晴香の身体はソファの上で、頭は葛城の太股といういっそ夢であってほしい状況。

 葛城はタブレットを手にしてなにやら真剣な顔をしている。


「すみませんなんか爆睡してました」


 ノロノロと起き上がり晴香は目を擦る。おう、とだけ答えて葛城は少し乱れた晴香の髪を撫でた。


「爆睡っても二時か三時間くらいだし、昨日はまあ疲れただろうからな」


 その疲労の元凶は間違いなく葛城なのだが。しれっとしたその態度に腹が立つが、突っ込むと自分に返ってくるだけなので晴香は別の話題を振る。


「先輩タブレットでなに見てたんですか?」

「んー、通販サイト」

「先輩もネット通販とかするんですね」

「だからお前は俺をなんだと思ってんだよ」


 それには答えず晴香は「なに買うんですか?」と気軽に尋ねた。それがまさかの大失敗。


「ゴム」

「ゴム」

「輪ゴムじゃねえ方」

「わっ……かってます、よ!」


 なんて物をネットで買おうとしているのか。それとも普通はそうなのか。真っ赤になって狼狽える晴香に、葛城は開いていた画面を見せて平然と問うてくる。


「お前どれがいい?」

「知りませんよそんなの!」

「味とか色々あるぞ」

「味? ……え、味!? なんで味が?」


 本気で分からず問い返すと、葛城は一瞬真顔になった後に「まあ追々」とだけ呟いて画面を閉じた。


「食べられるのもあるんです?」

「今度な、今度」

「こ、んど、って」

「昨日がゴールってわけじゃねえからな? あれがやっとのスタートだぞ、お前分かってる?」

「わかっ、てますよ」

「ここ何年かは俺もご無沙汰だったし、ゴムなんて先週買ったのしかねえからなあ……纏めて買うならネットのが便利かなと思ってさ」


 そうなんですね、としか答える事ができない。しかし気になる単語に晴香は恐る恐る口を開く。


「まとめて……?」

「いるだろ」

「そんなに? って、え、あれって普通いくつくらい入ってるものなんですか!?」

「たまには自力で調べろ」

「やですよそんなの!」

「お前に使う物なのにな」

「わたしに、ってええええええ」


 使うってどう言うことですか? などと浮かんだ疑問は即解決、で一人ソファの上で身悶える。が、その内違う疑問がポンと浮かび晴香はいつもの如くで動揺したまま投げ付けた。


「先輩って毎回ちゃんとゴム着けますよね?」


 いつもの剛速球での暴投に、しかし葛城はドン引きした顔を見せる。


「なんだよ、お前の友達ゴム着けねえクズと付き合ってんのか!? いや結婚する気があるとかならいいんだが、そうじゃないならそいつマジもんのクズだぞ? 大丈夫か?」


 両肩を掴んで揺すられる勢いに晴香は慌てて訂正する。


「ちがっ、います! 大丈夫ですわたしの友達の話じゃないです! なんかゴム着けたがらない男の人が一定数いるって、前にテレビとか雑誌であったなあって思って!」


 職場で他の女子社員と話をしている時にもチラホラ聞いた事があり、それまでそういった話と無縁であった晴香はなるほど男性とはそういう物なのか、とついそんな認識を持ってしまった。


「だから先輩はそういう所もちゃんとしてるんだなあと」

「そりゃ……色々あるからな……」

「病気とかです?」

「まあそれもあるけど、一番は避妊しないとだからだよ。お前相手ならなおさらだ」


 わたし相手なら、と、言うことは――?


 先輩はわたしとの間に子供ができたら困るという事で、それはつまりは結婚とかそういうのじゃなくて、この関係性は一過性のものであって早い話が


「遊びだ!」

「違う!!」


 ご、と重く鈍い音が晴香の頭頂部から起きる。わりと容赦ない手刀を叩き込まれ、晴香は頭を抱えて蹲った。痛い、本気で痛い、涙が出てくる。

 痛い、と起きて叫ぼうとするが、その前に葛城に後頭部を押さえ込まれた。自らの膝の上に晴香の頭を乗せ、顔を見せないようにする。


「遊び相手に同じ職場の、しかも直の後輩を選ぶか! この馬鹿! 本気じゃなきゃお前を選ばねえし、こんな一週間も我慢しねえよ!!」


 昔のブリザードの時の様な冷たい怒りではなく、逆の、そして同等の勢いでの熱い怒りの空気に晴香は即座に謝った。


「先輩ごめんなさい」

「お前は遊びでいいわけか」

「それはいやですけど、お付き合いが終わったとしても先輩後輩として続けられるならそれでいいんじゃ……って思ってた気がしましたけどやっぱりいやですごめんなさい」

「すげえ自己完結したな」

「でもそしたらなんでわたし相手なら特になんですか?」


 葛城は黙り込む。晴香は顔を上げようとするが、頭を抑え付ける力が強まり阻止される。


「先輩?」

「お前今二十二だろ?」

「そうですけど?」

「二十歳になったばかりだ」

「二年過ぎてます」

「たった二年だ二年。社会に出てきたのもそれと同じで、自由に好き勝手一番できる年」

「……ですね?」


 話の先が見えない。しかしいつものように茶々を入れられる雰囲気でもないので、晴香は続きを待つ。


「そんな相手と付き合って、ヤることヤって、子供ができましたっつってそれを奪うわけにはいかないだろうが」

「ええと……先輩、あの」

「ゴム着けてるからって妊娠の可能性がゼロってわけじゃねえから、もし子供ができたら当然責任は取るし、そこに関しちゃ俺は別に今すぐでも構わないんだが」

「わーッ!? 先輩ちょっとこれはとても恥ずかしい話になってる気がします!」

「おうよだからお前しばらくそのままでいろ」

「だからこの体勢!?」

「でもお前はまだそこまで考えてなんていないだろ? やっと俺を好きだって自覚したくらいの遅さだし」

「そこを蒸し返されるのとてもつらいんですけど」

「仕事にしても遊びにしてもこれから楽しいって時期だから、子供とか、結婚とかでお前を縛りたくはないんだよ」


 葛城の想いの強さと深さに嬉しさが込み上がる。しかし、それを上回る勢いの羞恥の嵐に晴香はどうしたらいいのかが分からない。


「だからって俺から逃げようとしたらその場で子供ができるまで何度も中に出すからな」

「先輩発言が若干どころかドン引きですが!」

「それと! 避妊は今後も気をつけるけが、今も言ったとおり可能性はゼロじゃねえから、もし子供ができたら即俺に言え! 絶対一人で抱え込むな! 日吉、返事!!」

「はい!」


 条件反射で即答すれば、少し落ち着いたのか葛城の腕の力が僅かに緩んだ。それでも顔を見るのは叶わず、晴香はジタバタと暴れる。


 きっと、間違いなく、今なら先輩の赤くなった顔を見られるはずなのに!


「……お前なに考えてる?」


 晴香の不穏な気配を察したのか、葛城の声に冷たさが宿る。晴香は誤魔化すのも兼ねて、この会話の間に思った事を素直に伝えた。


「先輩、わたしのことを好きすぎるのではないかなって……」

「……ほう」

「――あーっっ!! 嘘ですごめんなさい調子のりました!!」


 頭を抑え込んでいたはずの手が晴香の腕を掴み、そのままグイと引き上げる。もう片方の腕は腰に回して逃走経路を完全に塞ぐ。


「いやあ悪かったな、俺のお前への気持ちが伝わってなかったみたいで」

「大丈夫ですばっちりです完全完璧に伝わってますこわい!! 先輩かつてのブリザードの時よりこわいいいいい!!」

「そうだよな昨日のじゃ足りなかったよな、途中から俺も自分がイクのに夢中だったからなあ」

「わーっ!! 足りてますからね!? なんならここ数ヶ月分くらい供給されてますから!」

「俺の需要に対して足りてねえ」

「先輩の需要ってどれくら……あ、待ってください聞きたくない! こわい! 先輩の歩く十八禁な笑顔がこわすぎるんですけどーっ!」


 全力で怯える晴香を慣れた手付きで肩に担ぎ、葛城はベッドへ殊更ゆっくり歩いて行く。晴香にとっては処刑台へ向かう一歩と同じだ。


「てか先輩!? わたし昨日がはじめて!」

「何事も慣れが必要だろ」

「体的に無理では!? あの、ほんと、まだなんていうか」

「痛みがあるだろうから挿れはしねえよ。俺だってそこまで鬼じゃない」

「先輩以上の鬼なんていないのでは?」

「悪態吐く余裕があるなら」

「ないです全くこれっぽっちもそんな余裕はないです!」

「挿れなくてもヤれる方法はあるし、お前はもう経験済みだからソッチでたっぷり教えてやるよ」


 ベッドの上に放り投げられ、逃げる間も無く組み敷かれる。


「先輩ステイーっ!!」


 これまでであれば止まってくれていた叫びも、相手に従う意思がなければ何の意味もなさない。

 せめて月曜に無事会社に行けますようにと、与えられる快楽に意識を引きずり込まれながら晴香はそう祈らずにはいられなかった。

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