第37話 先輩とわたしの一週間・1
目覚めると葛城の顔が目の前だった。叫ばなかったのを全力で褒めたい。
晴香は驚いたまましばし固まる。現状を把握しようにも寝起きの頭は上手く回らない。葛城の裸の腕にしっかりと抱き締められていては尚更だ。うああ、と堪らず漏れた声は掠れており、おかげで寝ている葛城を起こす事はなかったが、それにより次々と身体の異常に気が付き身悶える。
喉が痛い。声が掠れる。全身の倦怠感は凄まじく、正直起きるのが億劫だ。特に腰から下は使い物にならないのではないだろうか。力が入らないので立つ事は元より、ベッドの上で身を起こせるのかと不安になる。脚の間にはまだ異物が入っているかの様だしで、思い出される昨夜の記憶に晴香は一人死にそうだ。
これまでだって似た様な事は何度かしたけれども、襲い来る羞恥心は過去最高に酷い。最後までしたかどうかの差かと思うが、すぐにそれは違うと気付く。
晴香が目を覚ました時に葛城がベッドにいるのは今回が初めてだ。今までは全部晴香より先に起きてなんなら身支度まで済ませていたではないか。なのに今日は、こうして晴香が起きてもまだ寝続けている。
どうしよう、このままだと先輩もそのうち起きてしまう。そうなった時になんと言ったらいいのかが分からない。え、ここは普通に「おはようございます」でいいの? それとも昨日はお盛んでしたねって違う、これは絶対ちがうやつ!! と晴香の思考は迷走する。
ああでもないこうでもない、と考える事しばし。
とりあえず逃げよう、と晴香は萎える身体に力を篭めて起き上がった。葛城に気付かれる前にとにかく一旦逃げるんだと、ベッドの下に足を降ろすがそのまま前のめりに崩れる。床まで短いダイビングを覚悟したが、強い力で腕を掴まれたかと思えばそのまま引き摺り戻された。葛城の腕の中に。
「お前……大丈夫か?」
仰向けに寝ている葛城の上に寝転ぶかの様な体勢に晴香は顔を上げられない。かといって目の前にあるのは裸の胸であるので、どうにもしようがなく晴香は顔が触れる寸前で宙に止まっている。地味に首が痛くなる。
「おはよう」
「……ございます」
「動いて大丈夫なのかお前? 痛みとかは?」
「ちょっと……だ、だるいかな、みたいな……」
そうか、と葛城は晴香の両頬を大きな掌で挟み込むと顔を自分へと向けさせた。
「まあ、顔色悪くはねえな」
「お……おかげさまで?」
「なあ晴香」
「っ、はい」
「お前やっぱり逃げようとしただろ」
「い……っ、たいいたい先輩いたいいいいいい!!」
「この後に及んでお前は! まだ!!」
頬を挟んでいた掌は拳に代わり、晴香のこめかみを両サイドからグリグリと痛めつける。
「逃げてません! これはほらなんていうか一旦落ち着くためにですよ!」
「足腰立たねえくらい抱き潰してやればよかった……!」
「いやほぼその状態ですよ!? おかげで逃げられなかったのに!」
「やっぱ逃げようとしてんじゃねえか」
「あーっ!! ごめんなさい先輩わたしが悪かったですいたい! あたまが! 割れる!!」
文字通り心も体も繋がったはず、の翌朝にどうしてこんな目に遭わなければならないのか。誰かにぶつけたい怒りであるが、その誰かは残念な事に自分自身に他ならない。
「昔話並の自業自得……!」
「本当になぁっ!」
とどめの一撃を食らい、晴香はとてつもなくくだらない理由でベッドに沈んだ。
その後、まさかの一緒にお風呂、と言ういきなりハイレベルの状況に放り込まれ、晴香の羞恥と混乱はさらに跳ね上がる。しかしこれまたまさかで何も起きなかった。
成人した男女で、恋人同士で、初めて体を繋げた翌日に一緒に風呂に入っているのに、何も。
「いつもは俺が先に起きてたから、お前の体は一応拭いてやってたんだけどな」
今日は葛城もゆっくり寝ていたからそれが出来なかった、と聞いた時にも晴香は一度羞恥で死んだ。確かにこれまで起きた時に特に体にべたついた感じなどはなかったが、それがまさかの。
一人でシャワーを浴びるのも無理そうではあったが、だからと言って葛城に体を拭いて貰うなどお願いできるわけがない。一緒に風呂などもってのほか、であったけれど、寝起きに逃げようとしたので軽くキレた葛城に強行されてしまったのだ。
このままここで二戦目が始まるのかとビクビクしていた晴香だったが、体を自分で洗う間に髪を洗われ、背中を向けた状態で共に湯船に浸かり、バスタオルで綺麗に体を拭かれた後の今現在、ソファに腰掛けた葛城の足下に座り込みドライヤーを当てられている。
「……これはなんというか」
「なんだよ」
「……完全に飼育員さんでは?」
「気持ち的には野生動物と保護官だよな」
「野生動物扱いひどくないですか!」
「昨日ちゃんと愛玩してやっただろ」
「い……言い方がおっさんみたいな……!」
「うるせえ。ほら終わったぞ」
晴香の頭をポスンと叩いて葛城は立ち上がる。
「お前腹減ってねえ?」
「空いてます」
「なんか買ってくるから適当にダラダラしててくれ」
「ダラダラ」
「ああ、動けそうならもうすぐ洗濯機止まるから中のシーツ干してもらえるか?」
いつの間に洗濯、っていうかシーツ、と晴香は何気なしに考えるがその原因に思い至るとボフンと顔から火が噴き出した。それを見て葛城がニヤニヤとしている。
「先輩! わたし大変すこぶるお腹が減っているのでさっさと行ってください!」
はいはい、と笑いながら出て行く葛城の背に、晴香は買い物したお釣りが全部小銭で返ってきますように! とくだらなく地味な念をひたすら送り続けた。
汚れなどどこにも見当たらないくらい綺麗に洗濯されたシーツを干し、とりあえずお湯でも沸かすかなとキッチンに立っていれば買い物を終えた葛城が帰ってきた。数種類のパンとカップに入ったサラダ、飲み物はキッチンにあった紅茶を淹れそれで遅めの昼食を摂る。二人で黙々と食べてしまうのはお互い空腹だったからだ。だいぶカロリー使うって言うしな、と聞き囓った知識が浮かび晴香は飲みかけの紅茶を吹く。葛城はチラリと視線だけを寄越すが特に何も言わなかった。多分考えは筒抜けであるだろうが。
お腹が満たされ一息入れると緩やかに眠気が訪れる。我ながら子供かなと思うがどうにも我慢が効かない。葛城が食器を片付けている間だけでも、とソファに頭を乗せて目を閉じた。
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