第20話 2




「だって朝は遅かったから軽くしか食べなかったじゃないですか!」


 無料券はまさかの二人分だったので、晴香も葛城も遠慮なく使わせてもらった。晴香は生クリームとブルーベリーソースのかかったパンケーキを、葛城はスイーツよりも食事をという事でハムとチーズ、それに野菜をふんだんに挟んだパンケーキを食べている。


「その割にはそんな甘ったるいのを」

「先輩甘い物嫌いでしたっけ?」

「そうじゃねえけど。腹減ってるってのにそれでいいのかよと」

「まあカロリー的にはオーケーですよ」

「オーバーしすぎだろ」

「気にしたら負けです」


 妙な理屈を捏ね回す晴香を呆れた顔でつい見てしまうが、気が抜ける程幸せそうな顔で食べているのを見るとまあいいか、と葛城も食事を進める。


「それにしてもこれは中々いい結果じゃないです?」

「なにが?」

「先輩とスーツで一緒に出歩いてたらデートってバレないですよ!」


 ゴクリと葛城は今し方口に放り込んだ物を飲み込んだ。今日出会った二人を思うと確かにそうかもしれないが、それはつまりは自分達が他人から見て恋人同士には到底見えないという事ではないのか。

 お前はそれでいいのか、と葛城は口を開きかけたが、それより先に晴香の顔が物語っているのに気付いた。


「……それでいいのか……」


 晴香はとても嬉しそうだ。取引先の横川はまだしも、同じ会社の人間で且つ自分はデート中であった遠藤から見ても、晴香と葛城の関係はあくまで職場の「先輩と後輩」にしか見られなかったと言うのに。


「だってこれで先輩と堂々とデートできるじゃないですか」


 えへへ、と笑う晴香の可愛らしさに一瞬絆されそうになるが、いや待てそもそもだな、と葛城は最後の一口となった皿の中身を頬張ってコーヒーで流し込む。


「俺はいつでも公にして構わないんだけど」

「だから無理ですってば」


 別に隠れて付き合う必要はないと言えば、晴香は即座にノーと答える。


「先輩はもっと自分がイケメンだという自覚を持ってくださいよ! 今日だって通り過ぎてく女の人が何人も先輩見てたじゃないですか」

「知らねえよ」

「だから」

「俺はお前しか興味ねえし」

「だ、か、ら!」


 しれっとデレる葛城に晴香は口の中のパンケーキの甘さが吹き飛ばされる思いだ。


「お前は俺とデートしててもそうは見られない、ってのは気にしないんだ」

「え? なんで気にするんですか?」


 晴香は心底不思議そうに目の前の葛城を見る。


「先輩とデートしてるのは事実なわけですし、それを周りにどう思われても関係なくないです?」


 あなたとさえ分かり合えていれば、周囲の目は気になりませんよ――

 そんな晴香の態度に今度は葛城が口元を抑えた。何かに耐えるようなその姿に晴香はそっと水の入ったグラスを差し出す。そうじゃねえ、と飛び出そうになった言葉を水でどうにか咽奥へと流し、葛城は行儀悪く片肘をテーブルに付く。


「周りの目は気にならねえのか」

「え? 先輩気になる方ですか?」

「俺も別に気にはしねえけど」


 それならよくないですか? と晴香は続けようとしたが、葛城が手元のグラスを意味もなく揺らしているのを見て、もしかしてこれは過去にお付き合いしていた人とでなにかあったのだろうか、と口を噤んだ。これだけの美形と付き合うともなれば、色々と気苦労は多かったのではないか。葛城自身だって例の前任者に纏わり付かれて大変な思いをしていたのだ、下手をすれば「付き合っているから」という事で妬み嫉みで嫌がらせだって受けたりしていた可能性もある。


「……なんだよ?」


 いえ別に、と晴香はフォークに刺したパンケーキを一口で食べる。勝手な憶測でしかない。けれども、そう的外れな考えでもないように思える。なんというか、乙女の勘だ。


「気にしないというか、正直なところどうでもいい、っていうのが一番ですかね」


 なので晴香は自分の話を続ける。

 仲の良い相手から批判的な思いを向けられるのは晴香だって辛くはあるけれども、軽い付き合い程度――職場の人間やそれこそ見ず知らずの他人からの視線などどうでもよいと。


「わたしの人生にそんなに関係ない人の反応をいちいち気にするのも馬鹿らしいなと思うんですよ」

「そこまで強気で流せるのに、なんで付き合ってるのを表に出すのは気にするんだ」


 葛城の疑問はごもっとも、であるがこればかりは晴香も譲れない。公にしたくない理由はただ一つ。


「色々絡まれるのが面倒くさいんですってば」


 いかに面倒ごとを回避するか、が晴香の行動原理の一つである。それがあるからこそ、葛城との交際は勿論の事、その葛城と知り合う発端となった部署異動も拒否するでもなく、葛城からの冷たい態度に文句を言うでもなく、淡々と受け流してきたのだ。


「とにかく面倒ごとに巻き込まれるのがいやなんです!」


 自分でも何故にここまで拒否したがるのか不思議ではある。過去に何事かがあった、というわけではない。ただとにかく、人間関係でゴタゴタするのはご遠慮願いたいのだ。


「俺との付き合いが面倒って思ったら即フラれそうだなあ……」


 しみじみと葛城がそう口にする。そんなことありませんよ、と即答しかけて晴香はいやでもありえるかもしれない、と己を振り返る。

 最初の頃の葛城の態度にだって、自分からでなくとも中条や上司経由で改善を訴える事はできたのだ。実際中条などはそう言ってくれたりもしていた。しかし晴香は断った。我慢できない程でもないし、その頃には葛城の態度も幾分かはマシになっていたし、ここで迂闊に話を振って揉めたりでもしたらそれこそ「面倒くさい」。


 そうやって葛城との付き合いを続けてきたのであるからして、本当にこう、仕事絡み以外での面倒ごとが起きた時に自分はどう思い、どう動くのだろうか。

 しばし考える、が、やはり最終的に胸に浮かんだ答えは一つであり、晴香はじわじわと沸き起こる羞恥心に耐えつつ口を開いた。


「先輩が面倒だなってなっても、それでも一緒にいたいなと思うんじゃないかな、と、思い……ま、す、よ」


 我ながら猛烈に恥ずかしい事を口にしている自覚はある。残されたパンケーキを夢中で食べる振りをしながらチラリと葛城を見れば、途端に額を指で弾かれた。


「痛い!」

「間が空きすぎだ」

「頑張って答えたのに!」

「今更逃がすかよ」


 痛みに額を摩っていた晴香の動きが止まる。葛城の声はけして大きくはなかったが、言葉に込められた想いはその分強い。


「逃げ出す前に捕まえるからな、覚悟しておけよ」


 頬杖を付いたまま笑みを浮かべる葛城の姿に晴香の心臓は簡単に跳ねた。隠す気など微塵もない執着心を突き付けられて、平静を保てる余裕などあるはずもない。体の熱が頬に集まるのを自覚して、そしてそれが悔しくて晴香はどうにか憎まれ口を叩く。


「――先輩の顔が極悪人」


 そう呟けば、人差し指と中指の二本でのデコピンが飛んできた。

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