第21話 3




 ひとしきり空腹を満たせば程よい時間となった。流石に今日は帰りますからね、と晴香はパンケーキ屋を出てそう葛城に宣言する。


「今日は、な」

「なんですかそれ。今日は、って、明日も明後日も帰りますよ!」

「お前今度の土日はなんか用事あるのか?」

「ないです」


 素直に返事をしてしまい、慌てて被りを振るが勿論相手にされない。


「じゃあ続きは土日だな」

「続きって」

「お前の処」

「わーっ!!」


 人通りの多い場所で口にする中身ではない。当然葛城だって分かりきっているのだから、今のはただ晴香をからかうだけの物だ。


「土曜……ってかもう金曜の夜に持ち帰るから。なんかいるなら準備しておくけどどうする?」

「なんでそんな決定事項で話進めるんですか!」

「持ち帰らせろよ」

「い……い、です、けど……」


 駄目なのか? と首を傾げる葛城を不覚にも可愛いと思ってしまったのが悪かった。つい承諾してしまえば途端に悪い笑みが浮かぶ。この人わざと……! と狙ってやられたのを理解した晴香は顔を顰めた。我ながら掌で転がされすぎだと、悔しさを隠す様に歩く速度を上げ葛城を置いて行く。しかし簡単に追いつかれる。足の長さが違いすぎるのだから当然である。それがまた悔しい。


 スルリと葛城の掌が晴香の手から荷物を奪う。指先が触れた一瞬、ゾクリとした物がそこから全身に伝わり晴香は小さく息を飲んだ。今の感覚は、昨夜散々与えられた物と同じ系統だった。


 こんな所で、ときつく葛城を睨み付けてみるが赤く蒸気させた顔では逆効果でしかない。 素知らぬ振りの葛城から荷物を奪い返そうとしてみたが、いいから黙って持たれてろ、と流される。


「あ、でも金曜日は飲み会がありました」

「お前が?」


 諦めて荷物を任せ気を落ち着かせると、元々の予定を思い出す。危うく忘れる所だった。

晴香の予定に葛城は不思議そうにしている。珍しい、と見やる姿に晴香は違いますよと説明する。


「会社関係の人とじゃなくて、友達とです。学生の頃の友達と久々に飲もうかって」

「それ遅くまで飲むのか?」

「あー……多分そこまでは。土日仕事の子もいますし、いつもそんなに遅くはならないから」

「じゃあ終わった頃に迎えに行く」

「え!」

「お前が嫌なら止めとくけど」

「いや……とかでは、ないですけど」


 そこまでして土日を確保したいのかとか、そんなにまで自分に対してだとか、口にすれば即死しそうな案件が頭を埋め尽くす。そんな中、恥ずかしいけれどそれと同じくらい嬉しい気持ちがポロリと零れ出た。


「飲み会後にお迎えとか彼氏みたいだなって」

「彼氏だからなあ」


 口にしてすぐにしまった、と思ったがそれに返す葛城の声に棘はない。あっぶな、と晴香はそっと安堵の息を吐く。また昨日の様に、と蘇りかけた記憶に慌てて蓋をする。あれはとてもじゃないがこんな場所で思い出して良い記憶ではない。とんだ羞恥プレイもいいところだ。

 その元凶たる相手を見れば、モール出口付近のショップに置かれてあるマネキンをじっと見ている。

 膝丈スカートの、ふわりとしたワンピース。水色を基調としており、白い大きめの襟が可愛らしさを出している。


「先輩?」

「お前こういうヒラヒラしたの着ないのか?」

「ヒラヒラって」


 こういうワンピースをですか? と服と葛城に交互に目を向けると「そう」と頷かれる。


「あー、あんまり持ってない、かも?」 


 自分のクローゼットの中身を考えてみる。スカートは何着かありはするが、特にこれといった特徴があるわけでもないし、このテのワンピースは持っていなかったかもしれない。


「先輩こう言う感じの服が好みなんですか?」

「好み……かどうかは知らねえけど、単にこんな格好したお前が見てえなって」


 ゲハ、と堪らず咽せる晴香に構わず葛城は「てことはやっぱ好みなのか?」と一人首を傾げる。

 本当にこの先輩の無自覚唐突デレといったら威力が半端なものではない。無自覚だから余計にタチが悪く、これはお付き合いと言う物を続けていく限り何度だって喰らう羽目になるのかと思うと、晴香の気は彼方遠くに飛びそうになった。



 そうやって若干気を飛ばしていたわけでもないけれど、気付けばいつの間にか自宅のマンション、しかも部屋の前に立っていた。後ろでは葛城が鍵を開けて中に入るのを待っている。どうやら最後まで見届けてくれるつもりらしいが、待って本当に待ってと晴香は焦る。モールを出てからの記憶が無い。あそこから電車に乗ってここまで来るまでそれなりに距離がある。その間何を話していたのかが全く思い出せない。また迂闊な事を口走ってはいないだろうか。不安が焦りとなり、結果鞄の中から鍵が見つからずに葛城を待たせてしまう。


「落ち着け」


 ペシリと後頭部が叩かれる。


「まだ寝ぼけてんのか?」


 電車に乗った途端葛城の肩を枕に爆睡してしまったらしい。まかり間違っても相手は職場の先輩である。すみません、とすっかり恐縮してしまう晴香に対し、なにを今更と葛城は苦笑する。


「貸した肩の分は今度返して貰うから気にするな」

「……不穏な気配を察知したので深くは訊きませんからね……!」

「まあだいたい当たりだろうな」


 なんとか鍵を見つけて急ぎ扉を開ける。これ以上外にいては危険な気がしてならない。


「ええと、先輩どうもありがとうござ、い……まし、た」

「そんな面で礼を言われてもなあ」

「だってこう、なんて言うかですよ」

「半分拉致られてたようなもんだしな」

「ソウデスネ」

「悪かったって」


 くつくつと笑いながら葛城は晴香の頭を軽く撫でる。


「急いては事をし損じる、とは言えお前の場合は速攻で捕まえないとマズいなと思ったんだよ」


 あと俺が我慢できなかった、と晴香の頭からゆっくりと手を滑らせ、髪の毛を一房取るとその毛先に口付ける。


「本当は唇がいいんだけど、お前そしたら叫びそうだからな」


 ハクハクと口を戦慄かせる晴香に対し、髪を手にしたまま葛城は緩く口の端を上げて笑う。余裕綽々でありながら、しかしその目に宿る欲に射貫かれ晴香の心臓はうるさいくらいに鼓動を鳴らす。深呼吸を繰り返し、どうにかそれを落ち着かせると咽の奥から声を絞り出した。


「――今でも叫びそうなんですけど……!」

「今度は週末まで猶予があるから、それまでせいぜい覚悟を決めておけよ」


 晴香が必死に抵抗してもそれを上回る速度で葛城が追い込んでくる。

 どう聞いたって悪役の台詞じゃないですか! そう叫びかけた言葉は葛城の口に飲み込まれた。


 結局掠める様にとはいえ玄関口でキスをされ、晴香は扉を閉めた直後その場に膝から崩れ落ちた。

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