第19話 日曜日の先輩と・1




 日曜昼過ぎのショッピングモールは人で賑わっていた。そんな中を晴香は葛城と二人で店舗を見て回る。スーツ姿で。


「……なんで俺まで」


 はあ、とため息を横で吐かれるが晴香はそれを華麗に無視する。なんでってそりゃ先輩がわたしを家に帰さないからでしょう、と今朝のやり取りを思い浮かべた。




 とにかく慣れろ、と最早触れられていない所は無いのではないか、という程に葛城に触れられグズグズになるまで蕩けさせられた晴香であるが、最後までしていない。とはいえほぼそれに近い状態までは追い込まれた。矢継ぎ早に快楽を覚え込まされた為に、目覚めた時にはだいぶ陽が高かった。

 一度着替えに戻りたい、と言う晴香に対して葛城は別にそのままでも良いだろうと何故か譲らない。でもスーツですよ、と晴香は食い下がるが、だったら俺が服を買ってやると軽く返され言葉に窮した。


「それはなんていうか違うっていうか」

「なんでだよ?」

「先輩貢ぎ癖があるんですか?」

「別に服くらいで……それにそんな高いヤツを買うってわけじゃねえよ」


 それにしたって、である。一度帰らせてくれさえすれば済む話なのに、とちょっとした疑問と疑念を混ぜて見上げると、お前は一旦帰らせたら出てこなくなりそうだから駄目だとの事で。そんな真似はしませんよ、と言い返したい晴香であったが、体の疲労感と削られまくった精神力を思うと確かにその通りになりそうだなとも思う。帰宅したが最後、今日はもう無理ですと玄関の扉を閉ざしそうだ。


「わたしへの理解度……」


 ポツリと零せばやっぱそうじゃねえか、と額を小突かれた。

 そんなわけで一度帰宅して着替える事もできず、かといって片やスーツ、片や私服でデートと言うのも、と晴香がごねた結果葛城もスーツで出るはめになる。


「今週ずっとスーツしか着てねえ」

「先輩スーツ似合うからいいじゃないですかキャーかっこいー」

「うるせえな」


 ガ、と後頭部を掴まれる。いい年した男女がそうやってモール内を歩いていればどうしたって目に付く。ましてや一人はイケメンだ。葛城さん、と背中に声をかけられ葛城と晴香は振り返る。


「ああやっぱり葛城さんだ」

「横川さんどうも」


 即座に営業の顔を作り葛城がにこやかに笑みを向ける。声を掛けてきた女性も微笑み返し、隣にいる晴香にペコリと頭を下げた。


「もしかして営業部の日吉さんですか?」

「あ、はい、日吉晴香です」


 慌てて晴香は名刺を差し出した。仕事あがりのままの服であるからしてこの辺りの準備は揃っている。相手も名刺を渡してくれたのでその場で交換し、名前を確認すれば昨日の騒ぎの一つであった椿文行堂の営業部長であった。


「昨日は大変だったみたいですね」


 納品ミスの事は当然把握されている。葛城が短く「ご迷惑を」と頭を下げるので、晴香もそれに倣って詫びの姿勢を示す。


「いえいえ、無事片付いたわけですし。大事にならないよう動いてくださってありがとうございました」


 社長はその辺り厳しいですから、と笑う彼女は穏やかそうな雰囲気を醸し出しているが、この人が一番厳しいんだよなと後で葛城から晴香は耳打ちされた。


「今日も見に来られたんですか?」

「まあそんな所です。あとうちの日吉がイベントにお邪魔してみたかったと言うので連れて来ました」


 そんな話だったっけ、と思うが晴香も葛城に引き連れられて顧客巡りはすでに何度もしている。これまた見事な営業スマイルで「そうなんですよ」と大きく頷いた。


「椿さんが出されているオリジナルインクがどうしても見たくって!」

「あら、日吉さんインク沼の方なんです?」

「まだ爪先が入ったばっかりですけど」

「あらあら、それはすぐに両脚どころか全身沼に……」

「ゆっくり! ゆっくりいきます!」

「沼底でお待ちしてますね」


 一際目映い笑みを浮かべながらそう言い残し、それじゃあまた、と横川は去って行った。


「……めっちゃ仕事のできる人感が」

「実際そうだしな。俺よりちょい上くらいだったはずだけど、すでにあの立場と貫禄よ」

「先輩ガラが悪いだけで貫禄ないですもんね」

「お前は口が悪い」

「先輩にだけです」

「なおのこと悪いわ!」


 再度後頭部を掴まれる。さらには髪をぐしゃぐしゃにされるものだから、晴香は葛城の脇腹を渾身の力で突いた。すると新たな人物に遭遇する。


「なんか見たことある二人がいると思ったらー!」


 聞き覚えのある甲高い声は晴香が総務部でほんの一時期同じだった遠藤という女子社員だ。それなりに今も仲が良く、時折ランチを一緒にしたり仕事終わりに飲みに行ったりもしている。


「日吉さんも葛城さんも休日出勤ですか? 三課ってほんと忙しそうで大変ー」


 遠藤の隣りには晴香どころか葛城だって社内で見た覚えのない男性が立っている。そういえば彼氏さんは他の会社の人だって言ってたな、と思い出した晴香は男性に向けて軽く会釈をした後、遠藤には乾いた笑いを見せた。


「休日出勤ってほどでもなくて」

「ええー? だって休みの日に二人揃ってスーツよ? 無理しちゃだめだって! 休みの日はちゃんと休まなきゃ!」

「ちゃんと休んでるよ! 椿のイベントで色々買ってきたし」


 元々文具関係が好きだった晴香にとって、この会社に就職できたのはまさに天職であった。おかげで仕事にかこつけて趣味の文房具集めが捗る。このモールへ来てすぐに椿のイベントスペースを訪れ、あれこれと購入した紙袋を自慢げに掲げる。が、何故か可哀想な子を見るような目を向けられた。


「あ、そうだこれあげるわ。ここのテナントに入ってるパンケーキ屋さんの無料券」

「いいの?」

「私常連だからすぐポイント貯まるから。彼の分もあるし。葛城さんと二人で甘い物でも食べてせめてゆっくりして」


 本気で心配してくれているらしいその姿にほんの少し罪悪感があるものの、せっかくなのでと晴香は受け取った。


「葛城さんもあんまり無理しないでくださいね! うちの営業トップが倒れたら大変なんですから」

「おう、ありがとうな」


 葛城が片手を挙げて礼を口にすれば遠藤は彼氏を連れてその場を後にする。その二人の姿を晴香はどこか遠くを見つめるように眺めている。それに気付いた葛城がどうかしたのか、と問いかける寸前、それより先に晴香が口を開いた。


「先輩、せっかくなのでパンケーキ食べに行きましょう!」


 くう、と小さな腹の虫の音。単に腹が減っただけかよ、と葛城の三度目の後頭部を掴む力は一番強かった。



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