第8話 4
しばらく無言が続く。照れと羞恥で固く瞳を閉じていた晴香であるが、あまりにも葛城からの反応が無いのでおそるおそる瞳を開いた。
ぎゅ、と鼻を摘ままれたのはまさにその時で。
ぐわ、と一向に可愛らしい悲鳴が出てこない。一瞬とはいえわりと本気で摘ままれたものだから、そんな可愛く「きゃ」だなんて言えるわけがない。痛む鼻先を撫でながら恨めし気に葛城を睨み付けると、呆れ半分楽しさ半分といった態で晴香を見ている。
「……なんですか」
「まあ、今のお前にしちゃ上出来だなと」
それでも「たぶん」が付いた分葛城としては面白くない。そのための腹いせくらいは甘んじて受けてほしいところだ。
今度は塞ぐなよ、と前置きされて葛城の顔が近付いてくる。ひえ、と漏れそうな声をどうにか喉の奥に止めて晴香はもう一度固く瞳を閉じた。そこに柔らかく温かい感触が一つ、二つ、と増えていく。
瞼の上、額、鼻先、頬、と啄むような動きに体が揺れるがどうにもできない。逐一反応してしまうのが、あまりにも初心者すぎる。いや初心者なんだけど、一人言い訳大会を開いていれば、瞳と同じく固く結ばれた唇にトン、と軽い衝撃が伝わり肩が大きく跳ねた。
「日吉、少し力抜け」
下手をすれば呼吸さえも止まっている。ぶは、と晴香は大きく息を吐いた。瞬時にして上り詰めた緊張からも解放され、大きく呼吸を繰り返す。
「そんなガチガチにならなくても、今日は最後までしねえから安心しろ」
その言葉に晴香は瞳を開いた。え、と漏れる声に葛城はおう、と短く返す。
「――それはつまりはやっぱり処女はめんど」
「そうじゃねえよ」
胸の前でまるで祈るように両手を合わせている晴香の手を取ると、葛城は自分の首の後ろに回させる。意図が分からずも、晴香はされるがままにそこで両手を組んだ。
ん、と満足したのかまたしても短く答えながら葛城は晴香の前髪を掻き上げ、額にゆっくりと唇を落とす。そのまままた同じ様に、けれどもゆったりとした動きで口付けが続き、最後にまた晴香の唇へと触れる。今度は晴香の肩は揺れなかった。
ちゅ、ちゅ、と乾いた音が何度か続いた後、唇にこれまでに感じなかったぬるりとしたものが触れ、晴香は驚いて声をあげる。が、その前に唇を塞がれた。
ぬめりを感じた物が晴香の舌に絡みつく。今度こそ大きく声をあげたが、ぴっちりと唇を塞がれているのでくぐもった声が微かに聞こえるだけだ。
未知の物が口の中を好き勝手に動いている。驚愕に全身襲われるが、しかし不思議な事に恐怖や嫌悪感は無い。だってこの人が自分に酷い事をするはずがないからと、晴香は回した腕に力を篭めた。
緊張と驚愕が徐々に溶けていけば、それに伴い不思議な感覚が晴香の中に満ちていく。ぞわぞわとしたものが背筋をかけあがり、体の奥底では熱が燻り出す。そしてようやく晴香は気付いた。自分の舌に絡みついてくる物が何であるのかを。
これ、先輩の、と気付いたと同時に羞恥が全身に襲いかかる。葛城の舌が自分の舌に絡みつき、上顎を舐め、歯列をなぞっている。あまりの事に葛城の背中をバシバシと叩くが相手にされない。
もう無理、と晴香は先程よりも強めに叩く、というか拳で殴った。それによりようやく唇を解放され、ドッと酸素が体に入ってくる。ゴホゴホとむせ返ると涙が浮かぶ。大丈夫か、と気遣いつつも軽い声に、誰のせいだと横目で睨んだが即座に後悔する。唾液で濡れた唇を手の甲で拭う葛城の姿が、とにもかくにも刺激が強い。晴香は上半身を横に向け、シーツに顔を埋める。
「あー……悪かった」
「先輩の動く成人指定……」
「悪態つく余裕はあるのな」
「しぬかとおもいました」
葛城の舌に良いように口の中を蹂躙されたという恥ずかしさもさることながら、口を塞がれて呼吸が出来ないという物理的な苦しさ。あと少し解放されるのが遅かったら、晴香は酸欠で意識を失っていたかもしれない。
「徐々に慣らしていこうと思ってたんだけどな」
「アレで!? いきなりトップスピードじゃないです!?」
「お前の口の中が気持ちよくて夢中になった」
さらりと放たれる言葉の威力たるや。なんだこれ、起きてから一体何回先輩にこんな、と晴香はベッドの上で悶絶する。
「悪かったって、今からはちゃんとお前に合わせるからこっち向け」
「今から!?」
「今から。お前コレで終わりとか思うなよ?」
思ってはいない。けれどもできればもう今日はこれでお開きにしませんか、と言いたい気持ちはとてもある。かなりある。すこぶるある。
必死の形相をしすぎていたのか、またしても鼻先を摘ままれた。
「だから痛いんですってば!」
「そこまで怯えられるとさすがに傷付くぞ」
あ、と思うもすぐさま「嘘だけどな」と続けられたので晴香は遠慮無く枕で葛城を殴る。これはきっと自分は悪くない。
「はいはい暴れんな」
「子供扱い!」
「子供相手にこんなことしねえよ」
葛城の掌が晴香の体のラインを辿る。脇腹から太股までをつ、と撫でるとそのまま軽く脚を持ち上げた。そうしてできた脚の間に葛城が体を割り込ませると、晴香はもう両脚を閉じる事はできない。その体勢はあまりにも行為と直結すぎて、晴香は手にしていた枕に顔を埋めた。
「先輩が手慣れすぎぃ……!」
「お前よりはな」
枕を抱えている晴香の腕に葛城の口付けが降ってくる。両腕を広げながらそれぞれに唇を落とし、舐め、そして強く吸い付いた。突然腕の内側に走った痛みに晴香は枕を落とす。え、とその痛みのあった場所を見れば赤い印がそこにあった。左腕の内側、服で隠れる場所ではあるけれども、それにしたってまさかこんな場所にと言うか、先輩がこんな事をと晴香は混乱する。
「先輩ってこんな!?」
「どんなだよ」
「え!? や、あの、こ、こんなことするタイプでしたっけ!?」
「宗旨替えしたんだ」
「先輩適当に言ってませんか!?」
「大正解」
「この先輩がひどい」
「それよりお前さ」
枕を取り上げベッドの下に落とし、葛城は晴香の逃げ場を一つ奪う。
「こんな時でもまだ先輩なのな」
大事な逃げ場、と晴香はベッド下に手を伸ばそうとして動きが止まる。葛城の声が怪しい。これは下手を打つととてもヤバい事になるヤツだ。
「……先輩だってわたしのことお前って」
「逃げんな、晴香」
無駄な足掻きと思いつつも枕に手を伸ばし、あともう少し、の所でその手を掴まれあげく耳元で囁かれる。まんまと葛城にしてやられた。晴香は死に態で「ああああああ」とか細い悲鳴をあげる。
「せんぱいのひきょうもの……!」
枕を味方にする事はできず、我が身一つで挑むしか無い。晴香は両手で顔を覆って悶えながらも、なんとかそれだけは口にした。
「その状態でも俺に対する口の悪さ」
クツクツと喉の奥で低く笑うその声すらも艶めかしい。この人は本当に何かしら指定をかけた方がいいのではなかろうかと、晴香は心の底からそう思った。
「晴香」
「ギブ! 先輩ギブです生言ってすみませんでした!!」
名字から名前に呼び方が変わっただけでこんなにも違うものなのか。晴香、と呼ばれるだけで全身から力が抜けてしまう。きっと立っていたら腰が砕けてその場に崩れ落ちていたかもしれない。なんならベッドに寝ている今でさえ腰から下に力が入らないような、そんな気がしてくる。
「なんだよ好きな女の名前すら呼ばせてくれねえの?」
「ああああああもう! そうやって!! 人の反応見て遊ぶのよくないですよ!」
「やーお前の反応が面白すぎて」
「鬼ーっ!! 先輩の鬼! 鬼畜!!」
「つか慣れろ」
「無理ですよ!」
「俺に名前呼ばれんのと、もう一つに慣れるのが今日の目標な」
「人の話をき……もう一つ?」
あと、今日、とは?
指の隙間から葛城を見ようとした途端、晴香は鋭く息を飲んだ。
素肌に、葛城の掌が触れている。
鳩尾の辺りから脇腹にかけて掌全体で撫でられる。ん、と晴香は唇を噛んだ。くすぐったい。ゾワゾワする。声が飛び出そうになるが、それだけはどうしても避けたい。だって多分これは声を上げると羞恥で死ぬ、絶対に死ぬ。ただでさえ何度も死にかけているけれども、それを超えて死ぬヤツだと、晴香は顔を真っ赤に染めながら懸命に耐える。
それが一番葛城を煽っているとは当然気付かない。
「俺に触られて気持ちいいって感じるのに慣れろ、晴香」
耳元で囁かれ、晴香の口から短くも甘い声が零れた。
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