第4話 2







「それ以降誰かと付き合ったりしなかったのか?」

「んー……なんかもういいかなというか、そもそもその人と付き合ったのも試しでいいからとかなんかそんな……理由? だったんで。別れた時からして特に悲しいとかもなかったから、わたしはわたしで本当に彼のことを好きではなかったんだろうなあと」


 そうか、と葛城がグラスに口をつけると「だからまだ処女なんですけどね」と三度目のデッドボールが飛んできて、ついに葛城は吹き出した。


「うわあ先輩大丈夫ですか?」


 誰のせいだ、との言葉を寸前で飲み込んで葛城は晴香から手渡されたおしぼりで濡れた口元を拭う。


「きっとこれから先もずっとこのままなんですよ」


 へらり、と笑う晴香に卑屈さは欠片もない。だからこそその言葉は本気で口にしている上に、それをどうにかしたいという気持ちもないということなのだろう。


「いないのか、今は?」

「なにがですか?」

「好きなヤツ」

「いないですねえ」


 今は先輩と仕事してるのが一番好きですよ、とさらに晴香が笑う。


「先輩は?」

「なにが?」

「好きな人いないんですか?」

「酔っ払い相手に言ってもなあ」

「なんですか人に訊くだけ訊いて自分は言わないとか卑怯じゃないですか?」

「そういう話じゃ」

「なくないですー!!」

「やっぱ酔っ払いじゃねえか!」


 テーブルに額をのせてグリグリと頭を動かす晴香の姿はどう見たって完全な酔っ払いの姿だ。


「酔ってる感じにはなってますけど、でもいつもちゃんとわりと結構話した内容とかは覚えてるので大丈夫です!」

「……この状態での話の中身覚えてるとか地獄じゃねえの?」

「ちょっといつもよりかは危険な気配はひしひしとしてますね!」


 突っ伏したままクスクスと笑いをあげる晴香の頭を葛城は軽く叩く。


「ほらもう起きろ。帰るぞ」

「先輩の家に?」

「お? お持ち帰りしていいのか?」

「先輩ならいいですよー……というかわたしお持ち帰りってされたことないです!」

「そりゃそもそもお前が飲み会とか参加しないからだろ」

「だから出ないといけないのには出てますってば! でもそういう時ってほとんど保護者がいるからなにも起きないんですよ」

「誰だよ保護者って」

「先輩に決まってるじゃないですか」


 一部の間で晴香の保護者呼ばわりされているのはなんとなく知っていたが、実際はっきり言われると葛城としてはなんとも微妙な気持ちになってしまう。


「お前色々迂闊だからな……」

「なんですかそれー」


 むくりと晴香が身を起こす。


「よくぞまあ今の今までほんと無事でいたもんだよ」

「だからなにがですか」

「酒飲んで男と二人でいるのに処女だのお持ち帰りしていいだのなんだのかんだのここでの会話全部だよ」

「そんなの先輩だからですよ」

「あ?」

「先輩が相手だからこんな話もしちゃってるしそもそも先輩じゃないとサシ飲みなんて行きませんよ」

「俺に持ち帰られてもいいのか?」

「だからいいですよって」

「それ意味分かって言ってんだよな?」

「だいじょうぶわかってますおーるおっけーです」


 絶対分かってねえじゃねえか、と葛城はグラスの中身を飲み干した。だからわかってますってば、と目の前の酔っ払いは食い下がる。


「うるせえ俺の理性が効いてるうちに帰るぞ」

「だって少なくとも先輩はわたしにひどいことしないから大丈夫ですもん」

「すげえ信頼だな」

「そうですよわたしの先輩はすごいんですよ自慢の先輩なんです」


 うへへと気の抜けた笑いをあげつつも、そこから向けられる言葉の威力に葛城はまたしても項垂れるほかない。あー、と小さく零しながら頭の後ろをガシガシと掻く。


「なんですか先輩頭かゆいんですか? ノミ?」

「お前シラフに戻った時覚えてろよ」

「ちょっとした軽い冗談じゃないですかキレやすい中高年みたいなのよくないです」

「あーもうラチがあかねえなあこれ!」


 このままではひたすら酔っ払いとの会話が続くだけだ。葛城は肘をテーブルにつくと前に体を動かし、晴香との距離を詰める。


「お前ほんとうに俺に持ち帰りされてもいいんだな?」

「いいですよー」

「持ち帰ったらそのままエロいことするけど?」

「やっぱり先輩処女好き……!」

「ち、げえよ!!」

「そういや先輩処女貰ってやるってすごい上から目線の言葉だと思いませんか?」

「このタイミングでまたお前は……」

「いやだって貰ってやる、ですよ! なにさまって感じじゃないですか?」

「だったらなんだよ、くださいって言えばいいのか」

「それはそれでそこまで必死になるのかなって引きません?」

「処女云々関係なしに今のお前が過去最高に面倒くさい」


 先輩ひどい、と文句を口にする晴香の額に葛城はわりと強めに指を放った。


「さっきの質問だけどな」


 痛い、と額をさすりながら睨み付けてくる晴香を無視して言葉を続ける。


「どれですっけ?」

「俺の好きなヤツ」

「……やっぱりいるんですか?」

「お前だよ」

「え?」

「お前だよ、日吉」


 酔っ払いが相手では中々に意味が通じないのか、晴香の反応は鈍い。それでもしばらくすれば酔いだけではない赤みが増していくのが目に見えて分かり、葛城は「それで」とこれまでの仕返しとばかりに追撃をかける。


「俺は別に処女が好きってわけじゃないし、だからってそれが面倒とも思わないわけだ」

「あ、はい」

「惚れてて抱きたい相手が処女ならそりゃ大事にするし、そうじゃないなら前の相手を忘れさせるくらいのことはしたいなと」

「なんか先輩の赤裸々告白つらいんですけど!?」

「奇遇だな、さっきまでの俺の心境がそれだ」


 少し酔いが覚めてきたのか、晴香の瞳が正気に戻る。が、突如襲ってきた羞恥心に負けたのだろう、手元にあった残り半分のビールを晴香は一気にあおった。


「酒に逃げたな」

「戦略的撤退です」

「まあいいや、ってことでな日吉」


 酒に逃げられてもこの場では逃がすかと、テーブルの上に置かれた晴香の手を葛城は上から押さえ込む。


「お前の処女ごと、お前自身が欲しいんだけど俺にくれるか?」


 真っ直ぐに見つめ合うことしばし。真っ赤な顔をこれ以上はないほど赤くした晴香の首が小さく縦に動いた。




「……いいです、よ」

「そりゃどうも」

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