第139話 三つの城(7)坂本城⑥

 秀吉が小柄な体を半歩、前に進めた。


 「仙殿!」


 「はい!」


 「それが明智の一族なのじゃ。

風雅を取り繕っておるが根は狐。

けして騙されてはなりませぬぞ!

朝倉を捨て、将軍を裏切った。

それが明智なのですぞ!」


 十四才だった仙千代は織田家有数の大武将、

羽柴秀吉に唾を飛ばされる勢いで大声を浴び、

豆鉄砲を食らった鳩の如く、

目を白黒させた。


 しかし、ふと不思議な思いが湧いて、

唾を浴びつつも仙千代は、

思ったままを訊いてしまった。


 「延暦寺征伐、足利義昭追放と、

世を平らかにせんとする上様の勢いは止まることを知らず、

今では各国の大名、武将が列をなし、

どうぞ御家来にして下さいと頼みにくるではありませんか。

上様は昨日の敵を御赦しになり、

時に領地を安堵し、新たにお与えにもなる。

あの年配の明智殿ゆえ、

織田家にお尽くし申し上げようとなるまでに、

苦労を重ねた過去がおありになるのは、それは、」


 「万見殿!」


 「はい!」


 秀吉の眼が射るようだった。

が、眼の矢は一瞬で、

即座に優し気な光に変わった。

 それは仙千代が、

信長の寵童であるという身分のせいに違いなかった。


 「真っ新まっさらな仙殿なればこそ、

言うておるのじゃ。

狐の術にはまってはなりませぬぞ。

万一にも上様が仏敵呼ばわりされてはならぬ、

それは悲しいと言う儂に同調する振りをして、

蓋を開ければ叡山で鬼の振舞。

面従腹背、ああ、恐ろしや」


 柴田勝家、佐久間信盛、

丹羽長秀といった宿老達は明らかに格上の存在で、

織田家中に於いて秀吉が妬心を抱く相手には成り得なかった。

 光秀は秀吉より後に家臣の列に加わって、

先に城を手に入れた。

 激しい焦燥が秀吉の光秀嫌いに拍車をかけたと

仙千代は知った。


 羽柴殿は陽気で楽しい御仁だと思うておったが、

別の御顔があるんじゃの……

それでも明智殿が狐だ何だ、

よもや、左様な……

 明智殿は見識、人脈、ことさら広く、

そのすべてを上様に捧げ、

織田家の躍進に多大な貢献をされている……

 上様が大きな期待を寄せられる気鋭の御二人、

仲良う手を携えるわけにいかんのか……

 


 



 



 

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