第140話 三つの城(8)坂本城⑦
「上様に万が一にも災難が降り掛からぬよう、
近侍の皆様は目を光らせておられる。
しかし、身中の虫とはよく言ったもの。
明智は口と腹が別のように思われてならん。
好例は坂本城。
坂本を賜った明智は己が家中に触れを出したという。
墨の一滴、米の一粒さえ我が物と思ってはならぬ、
すべて上様の思し召し、賜物である、
大恩を身に刻み、忠勤に励むべしと」
一国の主となった光秀は城を築くと入城早々、
自らの筆で信長への忠孝を説く心構えを触書し、
末端の家来衆にまで回覧させたのだという。
やがて噂は風に乗り信長の知るところとなった。
信長は、
「ほう、皆に読ませたか。
誰もが左様な心構えで忠節を尽くすのであれば、
天下の泰平もいっそう早まるというものだ」
と、機嫌を示した。
一方、目の前の秀吉は仙千代に、
「明智……嫌らしいのう。
訓戒で事足りるものを書き認めて上下に回す。
御耳に届けんとする魂胆がありありじゃ」
と、渋面を作った。
仙千代は傾聴の佇まいでいる他なく、
黙して困惑を押し込めた。
「その実、あの城を見よ。
上様は坂本をお与えになる際、
しかし明智の城、
防備は防備でさりながら豪勢に過ぎるのではないか。
あのように飾られた城、
思い浮かぶのは、
花の御所を真似たという多聞山城ぐらいのもの。
歓んでいただきたい一心で、
斯様な城を建てましたとあ奴は言うであろうが、
例えば忠臣 丹羽殿は、剛健にして質実の城。
上様の御座所こそ端正に整えられたが、
何よりも織田の大軍を支える兵糧庫、武器庫、
火薬庫に金をかけ、
上様が力を入れておられる船造りに携わる大工達の宿舎も、
それはもう、たいそうなものを建てられた。
丹羽殿、まさに臣下の鑑、天晴れな御方じゃ。
片や明智、坂本城は……」
秀吉は唾棄した。
「虚栄が瓦、慢心が柱。
通るたび、顔を背けとうなる」
秀吉の苛立ちをよそに信長は、
落成した坂本城をくまなく見聞し、
純に素直な歓心を見せた。
「攻めに耐え、出撃に易く、
尚、美麗であること甚だしい。
この城をいっそ貰おう」
信長の気分上々の軽口に、
光秀が強張った笑顔に冷や汗を浮かべているのを
若童の仙千代は見た。
「天下の覇者たる上様には、」
光秀は声を張り、続けた。
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