第131話 早舟(9)寝所②

 誰かとは五郎左衛門尉こと、

丹羽長秀だろうと仙千代は察した。

長秀の元来の家格の低さを補う為に、

信長はあらゆる手段を講じて筆頭家臣に押し上げた。

 万千代と呼ばれ、

十代半ばから仕えた長秀もまた、

信長の情けに応え、限りない忠誠を尽くしている。

 信長は庶兄の娘、つまり姪を養女にした上、

長秀の正室として入れ、舅と婿の契りを結んだ。

 今では互いに子を持ち、

壮年となった二人は信長が長秀を、


 「一日も欠くことは出来ぬ、

米のようなものにして我が兄弟」


 とまで公言して憚らぬ寵臣で、

感性鋭く、情の激しい信長が、

真摯にして柔和な長秀を傍に置きたがるのは、

仙千代にも得心できるものが確かにあった。


 「面白うないか。

誰ぞに似ているなどと言われては」


 「御相手が丹羽様なれば光栄にございます」


 信長はまたも笑った。


 「ふむ。ばれておった」


 「上様がかねてから仰せのように、

お二人はまさに兄上と弟君。

左様にお見受け致します。

その末席に仙千代も加えて下さるのですか」


 「そうは言っておらぬがな。そこまでは」


 「そのように聞こえましてございます」


 言い分を押した仙千代に、


 「ぬけぬけと。呆れる奴だ」


 「御機嫌を損ねてしまいました。

やはり、おいとま致しましょうか」


 ならぬとばかりに今度こそ信長がグイッと抱いた。


 「あ!痛い」


 「小憎らしいのが何とも言えぬ。

そこは万千代と違う」


 幾多の戦いを経て今がある長秀は、

実際、激しく厳しいものを秘めた男に違いない。

それでも日頃は温厚を絵にしたような人物で、

菅谷長頼、堀秀政といった切れ味鋭い側近衆と対比して、

春陽のようなうららかさを湛え、

誰でもが寄り添いたくなるような東風の主だった。


 痛がってみせた仙千代は信長の腕の中で、

ふと訊いた。


 「上様と丹羽様はおひとつ違い。

お若い頃は諍いなどもなさったのですか」


 「諍いなどせぬ。

家中の多くの者が儂を理解せぬでも、

万千代は必ず味方であった。

理由は忘れたが、

五郎左が儂に抗弁したのは今まで一度か二度か」


 仙千代の背を信長の手は、

さするでもなく摩っていた。


 「しかし、仙は何じゃ、勘が働くのか。

そういえば今朝、

五郎左が抗弁しくさって、

面白くないという顏を隠しもせず」


 「今朝?丹羽様が?」


 「珍しいことにな。まったく」


 





 


 








 



 


 



 


 

 


 






 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る