第16話 龍城(10)騒擾④

 「若殿を愚弄する者は許せぬ」


 勝丸の声は一段と低まっていた。

抑えた憤怒は増している。


 「当方は、

我が殿が実に勇敢であられた、

無兜で戦われ、大いに武田を苦しめた、

左様に申したまでのこと。

愚弄も何も、

合戦場でお見掛け致しませんでしたからな、

織田様の若君達を」


 事実としてはそうだった。

信忠、信雄のぶかつが武田兵の前に出ることは、

なかった。

 しかしそれは、

信長が下した下知げちによるものだった。

 名目上、

あくまで家康の戦いである以上、

作戦を俯瞰したなら、

織田家の若い嫡男、二男を合戦場に出して、

二人の部隊を厚く配備すれば連合軍の陣形を乱し、

本末転倒を招く恐れがあった。

 

 また、徳川軍とて、

若い信康には父の家康が共に居て、

石川数正、本多忠勝、榊原康政、

大久保忠世といった忠臣、

猛将が周りを固く取り巻いていた。

 それでも決死の内藤昌豊に、

一度は本陣を破られると、

信長が急遽、

左翼の佐久間信盛を最右翼まで動かし、

援護を投じた。

 

 上様は、若武者の心理を読んで、

万一にも血を滾らせて兵刃にまみれることを慮り、

合戦前夜、

河尻様に兜を下賜した上で、

父と思ってその言に従えと御二人を戒め、

動くことを強く封じられた……

誰とても、

総大将の命に背くことは適わぬが戦の基壇……


 「織田の若君は、

字も読めぬ噂だと……

よくも、よくも……」


 口にするも汚らわしい雑言を、

勝丸が好んで口にするわけもなかった。


 ここに至る流れは容易に想像がついた。

 井戸端で集っていた足軽達は、

大勝に酔い、酒が口を滑らせ、

ぬしたる信康を自慢する心理から、

信忠、信雄のぶかつを見下げて語っていたところ、

仙千代同様、

やはり、風に当たりでもしていたのか、

通った勝丸が誹謗を耳にしてしまった。

 

 気持ちは分かる、

分かるが、勝丸、

聞かぬふりをして立ち去るべきだったのだ、

言う奴は、

今の今でも何処かできっと言っている、

織田の若君二人は弱気、無能だと……


 仙千代もまた、

悔し涙で視界が曇った。

 信忠の陰口は許せなかった。


 同時、


 織田と徳川に亀裂を生じさせてはならん、

この同盟だけは、

守り通さねばならぬはがね紐帯ちゅうたいなのだ!……


 という理性が湧き起こりもして、

溢れそうになる涙を押しとどめた。


 「何も申しておらぬのに、

濡れ衣とは心外」


 勝丸の形相は憎悪に燃えていた。


 「どの口が言う!

この耳が確かに聞いた!」


 バチンッと篝火かがりびが大きな音をたて、

火の粉が飛んだか、

言い合っていた足軽が熱いという態で、

顔をしかめた。

 

 刹那、

勝丸の左手が腰の物に掛かり、

鯉口を切らんとしたのを仙千代は見た。


 


 




 



 


 






 

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