8周目2話柔6話「からまる」
「ここが形本君の……」
柔さんが深呼吸をしている。
私の学校と同じ制服で、思ったより背が高い。
「柔さん、ですよね?」
「ふふっ。これだけで十分なのに……」
「えっ」
「形本君……。一日だけ、家族にならない?」
意外な言葉と、笑みにドキッとした。
「だけど、もう夜なのよね……。形本君が帰ってくるところからでいいかしら?」
「えっ、えっと……」
「大丈夫。形本君は生きているだけでいいから……来て」
柔さんが階段を降りていく。
「これと……。あとこれも……」
柔さんはキッチンの棚や冷蔵庫を、開けては閉めてを繰り返していた。たまにメモに何か書いて、また開け締めを始めた。
「えっと、何か作るんですか?」
「ええ。夕ご飯、まだ食べてないでしょう?」
『夕ご飯』。当たり前の言葉なのに、久々に聞いように感じる。そういえば、最後に食事をしたのは……。思い出せない。
「形本君は先にお風呂に入ってきて」
『お風呂』も懐かしく感じた。
「ゆっくり入っていいわよ。少し時間がかかりそうだから」
柔さんが優しく笑みを浮かべた。
私は言葉通りにお風呂に入ろうと思った。
ドアの向こうで柔さんが料理をしている音がする。
服を脱いで裸になって、自分の顔や身体を見ると、なぜか懐かしい人に会った気分になった。
浴槽にはお湯が張っていた。誰がいれたんだろう。
髪や身体を洗って湯船に入る。
「ふぅぅ……」
思わず声が出た。
お湯が私の身体に染み込むように包む。
もう何日振りだろう。
ひたすら書き続けていた右手が、痛くて気持ちがいい。
目を閉じているとそのまま眠ってしまいそうだ。
……。
さっき柔さんが言っていたことは、実際に私に起こったことなんだよな……。
優という柔さんの弟に……新橋という人物に……。
考えていると本当に眠ってしまいそうだった。もう上がろう。
「ご飯できたよ」
テーブルの上には、どこかで見たことがある料理が並んでいた。ハート形ではなかった。並べられた料理を見ていると、早く食べたい気持ちになった。そういえば、最近何も食べていなかった。
「そんな感じなんだ……」
柔さんが私を眺めていた。
「えーと。ははは……」
身体が熱くなった。風呂上がりで火照っているのか、柔さんの視線に照れているのかわからない。
「ちょうど材料があってよかった」
柔さんと向き合う席が用意されたように空いている。
「失礼します……」
「そんなに固くならなくていいの。今は家族なんだから……食べましょう?」
「えっと、はい。じゃなくて……うん」
柔さんが言う『家族』って、私はどういう関係なんだろう。聞いたほうがいいんだろうけど、この感じはたぶん……『きょうだい』って感じではない。ただ、聞くのもこわい。
「いただきます」
私の好物ばかりだ。
だけど、目の前の柔さんが気になってうまく味わえない。美味しいけど、それ以上に柔さんが私を見てくるのが気になる。
「とても……美味しいです」
「そう、よかった。好きなだけ食べて」
「形本君? 私の名前知ってるよね?」
「えっ、はい。『瑞希』さんですよね?」
「そう。だから名前で呼んでほしいのだけど……いいよね。灯道君も」
「えーと。大丈夫……です。瑞希さん……」
「また固くなってる……。別にそれもいいけどね」
「ははは……」
「ごちそうさまでした」
「全部食べてくれてうれしい」
「それで次なんだけど……」
瑞希さんが壁にかけられた時計を見た。
今は……二時? 深夜二時だ。
「もうこんな時間ね……」
「お風呂入るから……洗い物お願いね」
洗い物をすることになった。ドアの向こうで、瑞希さんがお風呂に入っている。さっきと逆の立場だ。
二人分の食器を片付けて、私は何をしようか迷った。瑞希さんはまだお風呂から上がっていない。
テレビをつけてみた。
何も映らない。
とりあえず自分の部屋に戻った。私がさっきまでいた場所だ。パソコンの前でノートをとっていたのが、遠い昔のように感じる。今までの人たちが持ってきた数々の思い出の物もある。どれも懐かしい……。
……そうだ。歯を磨こう。
一階に降りると、瑞希さんがお風呂から上がっていた。
「借りちゃった」
姿を見てドキッとした。
私の服を着ていた。お風呂上がりで、いい匂いがする。
「ふふっ。灯道君の匂いがするね」
「それは。ええっと……」
「それより、歯を磨いて早く寝ましょう?」
歯を磨くときも瑞希さんが近くにいた。やはり慣れない。
瑞希さんは落ち着いたような雰囲気でいる。いちおう他人の家なのに。
玄関の鍵を確かめて、一階の電気を消して、寝る準備をした。瑞希さんが階段の前で待っていた。
二人で階段を上った。
両親の寝室が空いている。そこに瑞希さんを……。
「……一緒に寝るのよ?」
「えっ」
「当たり前じゃない」
「ええっとそれは……」
「……お願い」
瑞希さんが私を見つめている。
これは……。
私の部屋に瑞希さんもついてきた。二人だと狭く感じる。
「ええっと。床で寝ますよ……」
「……わかってるでしょ?」
私がいつも寝ているベッドを見ている。
「さ、横になって。電気を消すわ」
十一月なのに、変な汗が出ている気がする。ベッドに横になる。
「じゃあ……おやすみ」
真っ暗になった。
私の肩に、瑞希さんの身体が触れる。
優しい匂いがする。
気にせず、寝ようと目を閉じる。
瑞希さんが私の腕に触れている。
吐息が身体をつたっていく。
「……生きてるわ」
「……い?」
「灯道君は生きている……。私は死んでいる……。あのときと逆……」
「私……灯道君と寝たこと何回もあるけど……。今とても……生きていてよかったって思う……」
「……私は偽物だけれど。……本物の私より幸せなのかも……」
「……もっとこっちきて」
「……あなたが生きていたから……私も生きていられたの……」
「……ありがとう」
……。
灯本君が持ち去られた日の夜。またあの男が家に来たの。また、玄関のドア越しにね。
「灯本の件、感謝するぜ。灯本は今治療中だが……明日には治っているはずだ」
この人は何者なの?
「……知りたいか?」
「言わなくてもまあわかる。弟の居場所もだよな」
考えていることを読まれているように感じたわ。
「もし知りたいんだったら……。このドアを開けるんだな」
私は玄関の鍵を開けた。
「ただし……。一生分以上の時間を過ごすかもしれないし、必ずしも弟が帰ってくるとは言えないがな……」
私はドアに手をかけた。
十一月の風と夜空が飛び込んできた。
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