8周目1話柔5話「私の弟が殺したのはあなた」
「……巻紙さん? 本当に申し訳ないんだけど、灯本くんと二人にさせてくれないかしら?」
「えっ?」
「あまり他の人に聞かれたくないから……。家の外で待っていて」
「ええっとお、わたし待つのはいいですけど……。どれくらいかかりそうですか?」
「そうね……。けっこうかかりそう、かも。だから、これで好きなもの買ってきて」
「えっ! 財布ごと!?」
「いいから。そんなに入ってないから」
「いいですよ、そんな!」
「じゃあ……。私たちが外で話す。立って」
「え、ちょ、ちょっと柔さん? それは......」
「いいでしょ? それくらい大事な話だから」
「でも……」
「あー。わたし、外行きますよ」
「よほど大きなことらしいし、三十分くらいしたらまた戻ってくるので……。あっ財布は本当に大丈夫です! 散歩は好きなので」
「そう。ありがとう……」
巻紙さんが家の外に出て行ってしまった。
「さてと」
「やっと……! 二人になれた……」
柔さんの表情がほぐれたように見える。だけど、何か恐ろしい。特に目つきと笑った口元が、不穏な気分にさせる。
「灯本くん……私のこと覚えてる?」
「えっと、すみませ」
「喋らないで」
「今は私が話す番。時間内に話せるかわからないし、あなたに質問しても無駄だってこと知ってるから。いい?」
まず……。そう、結論から話すべきよね。
灯本くん。あなたは『私の弟、柔優に殺された』の。
わかるわ。言いたいことがたくさんあるってことはわかる。なんで今、自分は死んでいるはずなのに話しているのか。なんで私がそのことを知っているのかとか……。
だけど、順を追って話すから。黙って聞いてね、死んでるみたいに……。
あれは……、今年の八月一日。もう夕方って頃に。弟から電話がかかってきたの。
「姉ちゃん。俺……俺……」
切羽詰まった様子だった。
「誰にも言わないで……」
すぐに普通じゃないことが起きているって気づいた。
「……人を殺したんだ」
「……」
「とにかく来て! 砂潟の洞窟!」
なんでそんな場所にいるのか。
「わかった。でも、あまり期待しないで」
自転車で三十分くらい。普段あまり使わないけど、かなりの速度を出してね。
向かっている途中は色々なことで、頭が真っ白になりそうだった。
優が人を殺した? なぜ砂潟の洞窟に? 誰を殺した? どうやって殺した?
砂潟の洞窟の場所も、前に一度行ったことがあるくらいだから……あいまいだったけど、とにかく走った。
近くに着いたときにはもう陽が沈みかけてぼんやり暗くなっていた。自転車から降りると、私を待っていたのか優が駆け寄って来て……。
「ごめん……。ほんとうに……」
私と目があっていなくて、両腕で自分の身体のどこそこを触っていて。追い詰められているってことがわかった。
「いいから、それで?」
優は振り返って近くの岩陰に走った。私もついて行ったの。そしたら……。
「俺がやったんじゃないよ……」
学生服の男が岩場に横たわっていた。私と同じ学校。だけど、死んでいるようには思えなかった。寝ているって言われたら寝ている人。だけど、死んでいる人って言われたら死んでいる人。案外そういうものなのかも。
男の顔や姿を見ても、すぐには誰だかわからなかった。だけど、じっと見ていたらわかった。
(灯本君?)
一つ下の学年の『灯本継一』。特に話すことはなかったけど、学校新聞で名前があったことを覚えていた。
(でもなぜここに? それに灯本君と優はどういう関係なの?)
「……何があったの」
優は両手で顔を抑えて首を横に振った。
「……わからない」
「わからない?」
「……ごめん」
「ごめんはいいから、わからないって?」
「……覚えてない。けど俺じゃない」
今何を聞いても無駄に思えた。とにかく混乱しているように見えてね。それに、震えた声や姿に触れていると、自分までどうにかなりそうで……。
私は灯本君の手首を握った。本当に死んでいるのかわからなかったからと、死んでいるってどういう感じなのかと思って。でも、触ったとき少し後悔したわ。「指紋がついた」とそのとき気づいたから。「もう後戻りはできない」と思った。だけど現場に来たんだからもう関係ないことよね。
でも、触って良かった。
「これは……?」
脈があったの。冷たい皮膚の下から突き上げるように波打つ脈が。
「優! 生きているかも!」
私は優にそう言ったの。でも優は顔を覆ったままだった。
次は鼻と口に手をかざしてみた。すると手のひらに風が流れている感覚がしたの。身体も触って確認したんだけど、呼吸に合わせて動いていた。
やっぱり生きている。
そう確信したわ。
それなら、意識がないってことなのかも。病院に行けば治るかも……。そう考えていたとき。
「姉ちゃん。海に捨てよう」
「えっ?」
「生きているわけないじゃん……。血が出過ぎているし……。骨も折れている……」
耳を疑ったわ。よく調べていないけど、血が出ているようじゃなかったし、腕も脚もどこも折れてはいなかった。
なんというか優は「明らかに死んでいる」ように言っていたのが引っかかったの。
「ちょっと待って。どこもそんなふうに見えないけど……」
「……いいよ」
「姉ちゃんは帰って……あとは俺が……」
目が怖かった。一瞬悪魔だと思ったほど。夕暮れで薄暗くなっていて、それもあったけど。両手の間から見える目が、正気とは思えなかった。
「それはだめ。まだ生きているの。……それこそ殺人になる」
「……」
「今すぐ病院に行けばまだ」
「駄目だ!」
「病院も警察も駄目だよ……。誰も信じない……。誰も……誰も……」
あのときの優はまさに「絶望」って感じだった。何もかも嫌になって、崖から身を投げ出しそうな感じ。何がきっかけになるかわからない感じね。
「わかった。わかったから……」
何もわかってなかったけど、そう言うしかなかった。どうすればいいか必死に考えたわ。
それで、まず弟を落ち着かせることが第一と思った。
「優。家に帰りましょう」
「じゃあ……」
「いいえ。『この人も一緒』に、ね」
「えぇ……なんで……」
「もし……。優に迷いがなかったなら、私に連絡なんてしなかったでしょう?」
「それは……」
「もうここに来てしまった以上、私も共犯。だから、いい? 海とかそこらへんに捨てるのは焦ってやることなの……」
「……」
「大丈夫。きっとうまくいく方法があるの……。だから帰りましょう?」
「……」
無言だったけど、ゆっくり頷いた。
「きっとうまくいく」なんて、ねえ。そんなもの無かったんだけどね。私は勢いでそんなことを言ったけど、少しだけ優が落ち着いたから良かったのかも。
話しているうちにもう星が見えそうなくらいになってしまっていた。それがちょうどよかった。灯本君を運ぶときに何としても避けたかったのは『誰かに見られる』ことだったから。
でも、念には念を入れたかった。
「優。私の部屋から寝袋と……それにタオルとか布を詰めて持ってきて。あと丈夫な糸も。……自転車はダメ。なるべく誰にも見られないように歩きで戻ってきて」
「……わかった」
優が帰ってくるまで、灯本君の隣に座って待った。こんな時間に、こんな場所。誰も来ないはずなのに、道の先から人が向かってきそうで……。波の音や木々の音が迫ってくるようだった。
「姉ちゃん」
辺りは真っ暗になっていた。
「ここ」
優が持ってきたものを手に持って確認した。暗くてよく見えないけど、明かりをつけて誰かに見られるのは避けたかった。
「よし。全部ある」
「……本当にやるの?」
「手伝って」
優と一緒に灯本君を寝袋に入れた。そして寝袋の中にタオルと布を詰めて、呼吸ができるだけの隙間を開けて、紐で縛って……。やってることはほとんど殺人よね。
そうして、灯本君が入った大きな寝袋ができた。
「何も落としてない?」
「……たぶん」
「たぶんじゃあダメ。タオルも紐も何もかも……。いい?」
「……大丈夫」
「人が来たら……言ったとおりね」
「……いける」
「じゃあ……」
寝袋に縛った紐を持った。色々考えて、二人でとにかく早く運ぶことにした。辺りは暗くなったけど、まだ補導されるような時間じゃなかったから、声をかけられることはない。この時間に帰る学生もいるから、人に見られても堂々としていればいい。
手のひらに紐が食い込む。人間って重いのね。二人でじゃないと運べなかった。
幸運にも人も車もほとんどいなかった。街灯とか家々の明かりが怖かった。『見られる』んじゃないかって。
そして家にたどり着いたの。
話してなかったかもしれないけど、私の親は夏になると家にいないの。職業柄なのか、それとも家にいるのが嫌なのか知らないけど……。私と優が大きくなるまでは親戚の人とかが来ていたんだけど、それもなくなった。家が一番安全だと思ったの。
すぐに寝袋を開いた。灯本君の姿がはっきりと見えた。それでも血を流しているところなんてなかったし、呼吸もしていた。
「姉ちゃん……」
優も灯本君を見ていた。だけど優の目はぼうっとしていて、何も見えていないみたいだった。
あの目は怖かったわ。まだ「どこかに捨てる」っていう考えがあるような。
優の目につかない場所で『灯本君と優どちらも助かる方法』が見つかるまでどこに隠しておくか。
「優。いつもどおりにしてたら大丈夫……。私の部屋に置いておくから」
優は私の部屋には入らない……はず。もし親が突然帰ってきても、理由がない限り私の部屋には入らない。あと灯本君をなるべく近くに置いておきたかった。私の部屋が一番安全だったの。
「うん……」
優と私の部屋まで灯本君を運んだ。
「優。今は無理かもしれないけど、絶対に今日何があったか教えて。それが……みんな助かると思うから」
優は何も言わなかった。
「……明日考えましょう」
私は寝袋を引きずって、部屋に入った。
ドアを閉めた途端、身体がどっと重くなった。ベッドに横になって、目を閉じた。まぶたの裏に差し込む、眩しい照明にも疲れて、腕で目を覆って寝てしまった。
目が覚めるとまだ外は真っ暗。寝袋は動いていなかった。
寝袋を開く。やっぱり目を閉じたまま。起きてもいいはずなのに。
灯本君が暑いかもと思って、寝袋から出そうと思ったけどやめた。顔だけ出しておいて、部屋の端に引きずった。
寝る支度を整えて、長かった一日が終わったの。
「姉ちゃん……起きた?」
部屋の外から優の声がする。
朝になった。灯本君は起きていなかった。
「なに?」
「ポストに……」
ドアを開けると、優が白い封筒を両手で持っていた。
「姉ちゃんに来てた……」
『柔 瑞希 様へ』と手書きで書かれていた。切手は貼られていないから、直接ポストに入れられたってことよね。
「中は見てないよ……」
優は普段こんなことはしない。普段なら、私宛の物なんてリビングに置いておくくらい。だけどわざわざ持ってくるってことは……。この手紙に何か心当たりがあるってことよね。
「ありがとう」
「うん……」
「……灯本君はまだ寝たまま。だけど……大丈夫」
私は自分の部屋に戻った。優が部屋の中を一瞬見た気がする。
『柔 瑞希 様へ』
封筒を開ける。一枚の手紙が入っていた。
『柔 瑞希 様へ』
私はあなたが『灯本継一』をあなたの家まで連れて行ったことを知っています。
私は『新橋』という者です。あなたの弟が昨日、砂潟の洞窟近くに居たことも知っています。なぜ知っているのか、この手紙では詳しく言えません。
しかし、私は味方です。決して警察やその他に通報することはありません。
すぐに『砂潟の洞窟』に来てください。昨日のことについてお話します。
急な出来事で混乱しているかもしれませんが、これ以上悪いことにはなりません。
みんなが助かる方法のために。
「私はあなたが『灯本継一』をあなたの家まで連れて行ったことを知っています……」
何度も読み返した。
昨日優と灯本君に何があったのか、『新橋』は知っている。それも、かなり詳しく知っている。私たちが家に灯本君を運んだことさえ……。
背筋が凍った。ずっと「見られていた」ってことに。暗闇の中、気をつけていたはずなのに。
時計を見た。八時だった。
『私は味方です。』
この言葉を信じるにしろ信じないにしろ、行かない選択肢はなかった。
急いで砂潟の洞窟に向かう支度をした。
「……姉ちゃん?」
家を出ようとする直前に優が話しかけてきた。不安そうな顔で黙ったままだったけど、手紙の内容のことだと思った。
「今から……砂潟の洞窟に行ってくる」
「……どうして?」
「さっきの手紙、新橋って人からだったの。それで、その人が昨日のことを知っているって」
「俺も」
「優は家で待っていて。灯本君を誰にも知られないように……。あとわかってると思うけど……」
「……うん」
「……絶対に戻ってくるから」
優は小さくうなずいた。
そして家を出た。
砂潟の洞窟まで、また自転車で向かった。たまにすれ違う人が、私を見ているんじゃないかって。気にしないように、なるべく速く走った。
砂潟の洞窟に着いても誰もいなかった。昨日優と灯本君がいた場所にも何もない。
「ありがとう」
背中から声がした。男の声だった。振り向くと、この場所には似合わない白衣の男が立っていた。
「……新橋さん?」
「ははっ。来てくれてよかった。……まあ来ないはずがないんだけどね」
妙に馴れ馴れしい感じで、まるで前にあったことがあるような話し方だった。
「おいおい。そんなに怖い顔しないでよ」
「昨日……見てたんですか?」
「ああ。優くんと灯本くん、だろ?」
「なんで二人を知ってるかっていうと、実は知り合いなんだ。優くんとね。『揚羽町』について知りたがっていたから、それで会ったんだよねえ」
『揚羽町』って。優が新橋と会っていたのは間違いないと思った。
「……ここじゃあなんだし、家で話さないかい?」
新橋は島の奥へ歩き出した。私も距離をとってついていった。
新橋はここに住んでいたみたい。島の奥に岩のトンネルがあるんだけど、そこの岩壁をドアみたいに開けたの。
「足元気をつけてね」
入ってすぐに階段があった。
「……ここに住んでいるの?」
「ああ。最近だけどね」
中は割と広かった。ちょっと湿った感じがしたけど。普通の家の中って感じで。
「じゃあ座って」
「まず……何から話そうか。色々あってまとめきれないんだけど……」
「昨日何があったんですか」
「そうだね。昨日のことが一番だねえ」
まず……ボクは困っている子を見かけると、助けたいって思う優しい性格なんだ。
それであるとき、君の弟さん、優くんがボクに相談に来たんだ。友達からボクのことを聞いたってねえ。
優くんは「異世界に行く方法」について知りたがっていた。「異世界に行きたい」なんて言っていたけど、まあ話を聞くと、本当は「今の生活で嫌なことがあって、異世界に行きたい」っていう感じだったけど。
ボクは異世界に行く手助けをしようと思ってねえ。色々調べると仮想市の『揚羽町』にあたったんだ。それと、仮想市の新七不思議で特集を組むっていう子がいるって知ってねえ。その子に話を聞くことを優くんに勧めたんだ。
その子っていうのが灯本くん。
優くんは昨日、灯本くんを砂潟の洞窟に呼び出したんだ。ボクも遠くからそれを見ていた。
でも……ああ、なんということか!
『魚人』が! 灯本くんの生気を奪ってしまったんだ!
ボクが駆けつけると、魚人は逃げていった。『揚羽町』について調べることは、想像以上にヤバイことだったらしい。
優くんは混乱していてね、自分のせいだと思っていた。
ボクは灯本くんの手当をした。すぐにボクが調合した薬を飲ませた。すると息を吹き返したんだ。
その間、優くんは電話をかけていた。姉ちゃん......君にね。
ボクはその場から去った。どうしてもややこしくなると思ったからねえ。
君が来てからも、ボクは遠目から見ていた。どうすれば誤解なく説明できるか、そればかり考えていた。
君たちが家に持って帰ったときはビックリしたよ。そこらへんに捨てると思ってたからねえ。
それで……。手紙を書いたんだ。な? ややこしいだろう?
「……そう」
新橋の話は信じられなかった。特に『魚人』ってところが。
「わかるよ。信じられないんだろう? でも事実はそうなのさ。起こったことの『なぜ』なんて、誰にもわからないことのほうが多い」
「まあ……見てわかると思うけど、ボクは普通じゃあない。こんなところに住んでいるしね。ははっ。黒魔術とかオカルトについて研究している。魚人についても研究している。仮想市には本物がいるらしいからねえ」
「えーと。それよりも、これからのことを話したくってねえ。灯本くんのことさ。君はどうしようと思ってた?」
「……正直なにも。なにをしても悪いことになりそうで……」
「わかる。でも大丈夫さ。ボクのところに来たんだ」
「これを灯本くんに飲ませるんだ」
新橋が手のひらに収まるくらいの白いケースをテーブルに置いた。
「灯本くんに飲ませたものがコレなんだ。ボクは『ビタミンC』って呼んでるけど、普通の、じゃあない。おっと。毒じゃないから安心して」
白いケースを手に取る。見た目は普通の飲み薬だった。
「その中に百粒ある。必ず一日一粒水と飲ませて。無くなったらまた渡すから来てね」
「おそらく……灯本くんは仮死状態なんだ。ボクがつくった『ビタミンC』を飲ませ続けることで死ぬことはないけど……。起きる方法は今から調べるしかない。ある程度当たりはついてるんだけどね」
「それまで、灯本くんを隠しておいてくれないかな」
私は白いケースを持って外へ出た。色々考えながら、帰路についた。
新橋の話は信じられないことが多かった。内容もそうだけど、大事な何かを隠そうとしているような……。
これは私の考えだけど。もし私が優の立場だったら、まず「新橋に助けを求める」と思う。近くにいることも知っているのに……。わざわざ私を呼んだのはなぜ?
……たぶん新橋は何か企んでいる。でもそのときの私には新橋以外に頼れないのも、そう。優は……どうかしら。
家へ戻ると優が迎えてくれた。いつもならそんなことしないのに、心配だったのね。
「新橋と会ってきた」
「えっ」
「これ、もらったから。百日は大丈夫」
「新橋さんは何か言ってた?」
「なにも。調べてみるって」
「優は……話せそう?」
優は返事しなかった。頭や顔をしきりに触っていたわ。
「……言えないならいい。とにかく、いつもの生活を取り戻しましょう? それからで……ね?」
私は自分の部屋に入ると、灯本君の寝袋のそばに座った。そしてもらった薬を一つ手に載せた。
(水も必要よね……)
水を取りに部屋を出て、コップに注いで戻った。
「本当に飲むの……?」
灯本君の上唇と、顎をつまんで上下に開いた。意外と柔らかいのね。
そして開いた口に、薬を一つ落とした。薬は舌にくっついて止まったわ。水を少しづつゆっくり流しこむと、喉が動いて薬も口の中に流れていった。
これを毎日することになるのね……。
時計を見ると昼過ぎだった。私も何か食べようと思った。
部屋を出て廊下を通ろうとしたとき、優の部屋が目に入った。あれからほとんど話してないから、かも。
昼ご飯を食べて少し落ち着いた。
これまでの生活に、一つ秘密が増えるだけ。
昨日やり残してた家事もして、いつもの日常を取り戻すよう動いた。学校関係でやることもあったしね。
次の日、寝る前に灯本君に「食事」をさせた。忘れないように習慣にしようとしてね。まあ、どうしても目に入るのだから忘れるわけがないのだけど。
日記に記録もつけることにした。同年代の男の子をこんなに近くで見れる機会なんてないから……。別に変なことはしてない。安心して。
次の日も同じ。その次の日も。次の日も。次の日も……。
そしてあの日から一週間経った八月八日。
部屋を出て廊下を通ろうとしたとき、優の部屋の前に『小さいダンボール』があったのが見えたの。優はよくインターネットを使って買い物をしていたから、それだと思った。だけど、いつもなら自分ですぐに片付けるの。何を買ったとかも知られたくないみたいだったし。まあ何を買ったかなんてどうでもいいのだけれど、優にしては珍しいなと思ったの。
「優……」
呼ぼうとしたけど、やめた。優と話し合うにはまだ……その時じゃないと思って。たぶん、私とも顔を合わせたくないのね。前より部屋から出なくなったから。
次の日。
優の部屋のダンボールが四つに増えていた。
さすがにおかしいと思った。しかも開けていないみたいだったから。
気になって近づいたの。
『懺悔クラブ』
そう書いてあった。
背筋が凍った。懺悔なんてすることないのに。まだしっかり話してすらいないのに。他人にあることないことを言ってしまえば、きっと良くないことが起こる。
けど……開けていないってことは、どういうこと?
「優。いる?」
夏休みの朝だから、部屋にいると思った。中から音はしない。
「開けるわよ」
返事はなかった。寝てるのかしら。それでも不穏に感じていた。
ドアをゆっくりと開ける。ドアがなにかに当たった。中は暗くてよく見えなかったんだけど、廊下からの光でうっすらとその姿が見えた。
「なに……これ……」
部屋はダンボールで埋まっていた。さっきの『懺悔クラブ』と同じものだった。
「優……」
人が住める場所じゃなくなっていた。優がいないのは明らかだった。電話しても出ない。
きっと新橋のところに行ったのだと思った。私はすぐに準備をして、家を出た。
でも、いなかった。
新橋が住んでいるはずの隠し扉がなくなっていたの。いくら岩壁を触っても、ただの岩だった。
信じられなかった。
灯本君の顔が頭によぎった。新橋がいなかったら灯本君は……。
必死に岩壁を調べていると、遠くで男の声が聞こえたの。でも新橋じゃなくて、学生の二人が話している感じだった。
私は声から逃げるようにして、慎重に家に帰った。
優の部屋から一つずつダンボールを取り出した。部屋の空間に隙間なくブロックが詰められているみたいで、出しても出しても壁が見えなかったわ。
取り出したダンボールを他の部屋に移して、家中が箱だらけになって、ようやく壁が見えた。
そして、すべて取り出したのだけど、何も変わったところはなかった。
机の引き出しも開けてみたけど、何もなかった。他の場所もそうだった。
私は自分の部屋に戻って……泣いた。
もう何がなんだかわからなくなってね。他の誰かには言えない。警察には頼れない。新橋もいなくなった。灯本君のこと……。
灯本君……。
私は寝袋のままの灯本君をベッドに寝かした。顔をのぞくと幸せそうに眠ってるのよね。それがとてもかわいくてね。寝袋から身体を出して。
そして……。
ごめんね。
その日はそれでおしまい。
……そろそろあの子、帰ってくるかもしれないわね……急がないと。
次の日。ダンボールは無くなっていた。もう、そんなに驚かなかった。
夏休みでもやらなきゃいけないことはあったから、それをしながら今後を考えた。
私は平静を装って毎日を過ごした。
優は家出をしたことになった。なんでも十二歳の女の子が最後に優を見たらしいの。場所は『黒神石』の近く。その子「他にも誰か一人いた」ようなことを言っていたらしいけど……。きっと新橋よね。
優……。いつか帰ってくると思って過ごした。
優がいなくなったあと、灯本君を病院に連れて行くことも考えた。
だけど、できなかった。
これは……、私のせい。……せめて薬が切れるまで……待ちたかったから。
夏が終わる頃、両親から連絡があって「今年中は戻れない」って。
優が家出しても、それなのねって。私には都合が良かったけど。
夏休みが終わって新学期が始まった。
優は帰ってこないし、灯本君も起きてこない。
九月、十月、そして十一月になった。
百粒あったビタミンCも、もう十粒程度。
「灯本君、今日知池っていう人が……」
灯本君に話しかけるのが日課になっていたわね。何も返事をしないけど、別に聞いてるだけでいいの。
薬を飲ませて、灯本君をベッドに寝かせて、もう寝る頃。
ピンポーン
誰かが来た。こんな夜なのに。
玄関へ行った。鍵は閉めてあったからよかった。
「どなたですか?」
「……。灯本のことで言うことがある」
男の声だった。玄関のドア越しにもはっきり伝わるくらい。
「いいか? 明日は新月だ。クラスメイトに『隙戸』っているだろ。そいつに依頼するんだ。『飼い犬が死んでしまった』ってな」
私は何も言えなかった。
「弟の優がどこにいるかも俺は知っている。灯本を治す方法もな。だから……わかるよな?」
「じゃあな」
私は部屋に戻って、さっきのことを頭の中で繰り返していた。一体誰なのかわからなかったけど、私のことを知っていた。
「灯本君……」
嬉しかったけど、悲しかった。もう、最後だなんてね。
次の日、隙戸という男に依頼した。噂では『何でも捨てる』って言っていたけど、本当はどうなのかしらね。
隙戸が寝袋に入った灯本君を持っていった。誰もいなくなった家に入って、ベッドに横たわった。
もう誰もいなくなった。
ふふっ……。こんなこと言われても困るわよね……。でも本当のことなの。
だから灯本君。今あなたが目の前にいることが不思議なの。
「もし……」
柔さんの顔が固まる。
「灯本君? どこなの?」
立ち上がり、階段を上る。
「信じられない……」
部屋のドアを見た。
コンコン
ドアからノックがする。
ドアを開けた。
「生きてるの……」
『柔瑞希』が目の前にいた。
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