7周目4話江熊6話「無垢への帰還-Return to Innocence」

「形本灯道です。江熊さんですよね?」


 江熊は戸惑った顔をしている。思ったより小柄で若く見える。中学生には見えない。


「……僕を知っているんですか?」

「え? ずっと見てましたし」

「見ていた? ……僕を?」

「ええ、あそこの画面から」

 私がパソコンを指差すと、不思議そうに部屋を覗き込んでいた。


「はあ……」

「あのー。私のことわかりますか?」

「……わかると言えばわかるのかもしれませんが」


 覗き込みながら、ぼそぼそと何か口にしているがよく聞こえない。


「江熊さん?」

「……はい?」

「私の部屋に何かあるんですか?」

「いえ……すみません……興味があったので」


 江熊はうつむいてしまった。陰気なイメージがあったが、こんなに話さない人だったのか。


「ええと。とりあえず、外に行きませんか?」

「……そうですね」


 私は部屋の外に出ようとした。江熊さんはドアが閉まるまで、私の部屋の中を覗いていた気がする。そんなに気になるのだろうか。


「その、やっぱり気になりますか?」

「いえすみません……。いい部屋だなと思って……いい部屋だ……」

「はあ……」


 うまく話せるか不安になってきた。



 外はやっぱり夜だった。肌寒い気もする。江熊さんは夜空を見上げていた。


「江熊さん。その、私と何か関係があるのでしょうか?」

 単刀直入に聞いてみた。


「……」


「えっ江熊さん……?」


「やはり……聞こえませんでしたか……」

「はい?」

「空間伝達……です」

「あー……」


 そういえばそうだった。何も聞こえなかったけど。


「形本さん? いえ……僕は知っています。いや知っているというか……知ることになるというか……」

「僕らは本来会ってはいけない存在というか。現に会っているんですけども……」

「すみません。高枠さんを信じられなくて……。僕と形本さんが……」


「形本さん……聞きたいですか?」


「えっ。はい。聞きたいです」

 今にも話し出しそうな口ぶりだったのに、なんでこんなに話を引っ張るのだろう。


「ネタバレは……したくないですからね……。でも……そうですね。砦丘公園に行きませんか?」

「その、行けば話してくれるんですか?」

「……はい」



 砦丘公園は歩いて三十分程の場所にある。ただ、夜中に行ったことはなかった。

 黒い学生服を着た江熊さんと並んで暗い道を進む。言ったとおり、公園についてから話すのだろう。互いに何も言わず夜道を歩く。道路は不自然なくらいに自動車が一台も通らない。


 夜はこんなに静かだったのか。ぽつぽつとある街灯や民家の明かりは、私たちの他に人がいることを感じさせてくれる。感じさせてくれるだけで、本当は誰もいないらしいのだけど。


 江熊さんの息の音と靴が地面を踏む音、自分の呼吸の音と地面を踏む音。それ以外の音は入ってこない。


 何も言わないで歩くのもどうかと思う。だけど、江熊さんの息が荒くなっている。あまり運動をしないのだろうか。今は話さないほうがいいのかもしれない。


「小学校が……ありますね……」


 さっき仮想市小学校の前を通り過ぎた。

「ええ、仮想小ですよね?」

「はい……」


 江熊さんの返事が返ってきて、また息と靴音しか聞こえなくなった。

 ……今ので会話が終わり?


「えっ。仮想小がどうかしたんですか?」

「いえその……」


 江熊さんはゆっくりと立ち止まって、大きくゆっくり呼吸をした。自分は振り返り、暗い中じっと江熊の顔を見た。そして息が整ったあと、歩き出した。


「なんというか……嬉しいと思いまして……ただそれだけです」

「嬉しい、ですか」


 そしてまた互いに黙ったまま夜道を進む。さっき薄暗い中見えた江熊さんの穏やかな笑顔と「嬉しい」という言葉が、頭の中で反響していた。


「もうすぐですね」

 もうすぐ砦丘公園だ。砦丘公園は名前のとおり丘の上にある。頂上に行くには、自動車用の曲がりくねったスロープのような道路を登るか、木々の中にまっすぐに伸びた何段もある階段を登るかのどちらかだ。

 江熊さんが階段の方に行ったので階段を使うことにした。


「形本さん知ってますか……」

 階段を登る前で、江熊が聞いてきた。

「この階段は365段あるらしいんですけど……」


「なんと新月の日には『一段減っている』らしいんですよ」


「だから……一緒に数えて登りませんか?」

「いいですよ」

「ありがとうございます。では……」


 暗闇にうっすらと見える石の階段を一段、蹴って確かめてから踏みしめた。


「いち、に、さん、よん……」


 数え間違えないように、並んで一段ずつ確かめながら登る。ぶつぶつと聞こえてくる声は、誰かが聞いたら新たな噂になっているだろう。


 階段の端から外の木々がさわさわと音をたてている。ただ真っ暗で木の姿は見えない。ずっと何も見えない場所を見ていると、なにか出てきそうで不安になりそうだ。江熊さんと、自分の足元に意識を向けて上る。


「さんじゅういち……」


 31段目は小さな踊り場になっている。一歩進めばすぐ次の段が始まる。


「ごじゅうきゅう……」


 次の踊り場は59段目だった。その次は90段目、その次は120段目……。

 この階段が365段あるというのは、どこかで聞いたことがあった。だけど、確かめたことはなかった。

 全部で365段あると言われるだけあって、一年の各月ごとに踊り場があるんだろう。


「ひゃくごじゅうに……。ひゃくごじゅうさん……」


 段々と上るペースが落ちている。自分はまだまだ速く上れるが、一緒に一段ずつ声を出しながら上っていく。友だちや誰かと遊びに行ってこれだったら、イライラしていたかもしれない。

 だけど今はそう思わない。なんでだろう?


「にひゃく……。にひゃくよんじゅうさん!」


「ふう!」


 243段目についた。ここから二十か三十歩程の直線の踊り場がある。向こうには暗くてよく見えないけど、また上に伸びた階段がある。


 小さい頃はなぜこんなスペースが必要なのかと思っていた。だけど今はわかる。階段が急にならないようにだろう。隣で江熊さんが「はぁ……はぁ……」と息を切らしている。


「すみません……ちょっと……」

「いいですよー」

 つかの間の平坦な道をゆっくり進む。

「江熊さんって、運動とか苦手なほうなんですかね?」


「いえ……ふぅ……。苦手というより……。身体がついていかないっていうか……嫌いでは……ないです」

「若い……んですけどね……はは……」


 次の階段についた。前の階段と比べて、段の幅が広くなっている。

 江熊さんが段に片足を置く。息もある程度整っている。


「次は244ですね」

「はい。あと少し……あともう少しですね……」

 そう言った後すぐ上りだすと思っていた。江熊さんは下を向いたまま動かない。

「江熊さん?」


「形本さん……」


「『早く行きたければ一人で行け、遠くまで行きたければみんなで行け』。って聞いたことありますか?」

「これは……僕が好きな言葉なんです……。言葉の意味もそうなんですけど、それ以上に好きなのは『由来』です」

 「アフリカのことわざと言われているのですが、その由来は不明です……。だから好きなんです」

 「なにかこう、人から人に受け継がれていったというか。『一人の言葉ではない』っていうのが、じんとくるんです」


 江熊さんはさっきまで息切れしていたのがウソみたいに、しっかりと話している。


「生まれがどうであれ……」

「……」

「えっ、生まれがどうであれ?」

「いえ……ごめんなさい。長くなりましたね……。244段目、ですね」

 江熊さんが上るのに合わせて、自分も上り始めた。

(生まれがどうであれ……)


「さんびゃくごじゅうご……」


 355段目についた。これで……残るは10段、噂が本当なら9段だ。

「はあ……」

 江熊さんに合わせてゆっくり上っているので、数え間違いは無い。


「今『355段目にいる』ので、『あと10段』ですね」

「はい……。もうすぐ……」


「じゃあ、10から数えませんか?」

「そうですね……」


「では……じゅう」


「「きゅう」」

「「はち」」

「「なな」」

「「ろく」」

「「ごお」」

「「よん」」


「「さん」」


「「にい」」


「「……」」


 目の前には、暗くて遠くは見えないが、広く開けた砦丘公園が見える。


 あと一段で上り切る。

 江熊さんの方を見ると目が合った。

「残り……一段?」

「江熊さん! 噂は本当だったんですよ! 一段減っています!」

「本当に……?」

「ええ! じゃあ、せーので行きましょうよ!」

「ええ……はい……」

「せーの……」

「「いち」!」


 長い長い夜の階段を上り切った。噂通り365段の階段は、一段減っていた。


「江熊さん。試してみてよかったですね!」

「え、ええ……」

 なぜか江熊さんの返事は戸惑った感じだった。


「……江熊さん?」

「……す……すみません……」

「はい?」

「その……ええっと……」

 何回か聞いたことがあるいつもの、言う言葉を選んでいるようだ。


「その本当は……無いんです……よ」


「実は『一段減る』っていう噂はさっき作ったもので……。無いんです、本当は」

「えっ」

「でも! 悪気があったとかじゃなくて……。一緒に上りたかったんです……すみません……」

 江熊さんがいつもより早口になっている。


 「それは、まあ、大丈夫ですよ。一緒に話せてよかったですし。でも、たしかに一段減っていましたよね。あれは……?」

「その……たぶん『残り10段』のところだと思います……」


「さっきは気づかなかったんですけど……。『355段目にいたときに、次の段を10から始めた』のがズレた原因だと思います」

「えっと?」

「その、正しくは『残り9段』で……。僕たちはもう『10段目にいた』んですよね……」


「あー……」

 指を折って数えてみると、たしかにそうだ。365から355を引いて10だから、残り10段と勘違いしてしまった。

「本当だ。ごめん……」

「いえそんな、いいんです……。でも……こういうのから噂って広まるのかもしれないですね……ふふ……」


 夜の砦丘公園はしんと静まり返っている。人がいないのはいつものこととして、緑すらも見えないのは新鮮だ。

「それで、砦丘公園で何を?」

「立ち会ってほしいんです……」

「立ち会う?」

「ええ……。コレ……見えますか?」


 江熊さんの手のひらを見る。薄暗くてよく見えないけど、なにか小さな粒がある気がする。

「触ってみますか?」

 両手の上にその粒が渡される。本当に手の上にあるかわからないくらいの重さの、一つの粒だ。

「これは、石?」

「石ではないですね……」

「これは植物の種です。名前はわからないんですけど……。もともと『僕のものだったらしい』んです」

「ええっと。『ものだったらしい』って?」

「ええ、それが……。僕が生まれたき、手に持っていたそうなんです……。ですがこれは今の両親から聞いたもので……」

「僕が思うにこれは最初の……。もしくはその後の両親から、今の両親に渡されたものだと思います。えっと……僕の両親については話しましたよね? ならいいんですけど……」

「もらったとき……お守りのように小さな袋の中に入っていました。そのときに『中には種が入っているからね』と……。名前は『忘れちゃった』と言っていましたが、本当は知らないんだと思います……」


 種を軽く握ってみる。硬いが弾力があるように感じる。


「それで……この種を砦丘公園に植えたいんです。……こっちです」


 江熊さんが公園の奥へと歩き出す。薄暗いので足元がよく見えないけど、迷うことなく進んでいった。



 どこに行こうとしているのかは、すぐにわかった。砂利と岩の斜面を歩く。砦丘公園の中で一番高い場所。昼なら仮想市を一望できる場所だ。

「ここです」

 丘の上の公園の一番高いところ。ひんやりとした空気が身体の中を通る。


「形本さんは……来たことありますか?」

「はい、だけど今の時間にはないですね」

「……僕もです」


 江熊さんはしゃがんで地面に手をついた。そして両手で地面の砂利や石をどかしている。


「形本さん……種を……」


 落とさないように握っていた種を江熊さんに渡す。


「ありがとうございます……ではここに……」


 江熊さんはふたたび手をつき、丁寧に地面をもとに戻していく。

 まるで何かの儀式のように静かだ。

 土の音だけが星空の下静かに響く。なぜ種を植えたいのかを聞いていなかったが、おそらく本人にとって大きな決心なんだろう。


 土を被せて、静かに江熊さんが立ち上がった。そして空を見上げている。


「僕、どこから来たんでしょうね……」


 空には星が数え切れないほど瞬いている。

「あれじゃないかな。あの一番大きいの」


「あれは……たぶん別の星ですね……」


「違ったかあ。……でも見えなくてもどこかにあると思う」


「……そうですね」


「江熊さんの家ってここから見える?」


「ええ、たぶん。明かりはついていないと思いますけど……」


 江熊さんが手をのばした方には空と町が混ざって、いくつか光があった。ただ時間が時間なので、あの暗闇の中に家があるのだろう。そう思うと、人も数え切れないほどいる。


 しばらく互いに何も言わない状態が続いた。気まずい沈黙ではない、心地よい沈黙だった。


「……形本さん? 僕、前から考えていたことがあるんです」


「もし、宇宙人が地球を侵略するとして……。そのとき『戦争のように無理やり侵略してくるのか?』と」

「でも、たぶんそんなことはしたくないと思うんです……。ただ居場所がほしいだけなんだと思います」

「その場所のことを学んで……少しずつ家を建てたり食べ物を育てたり……。ゆっくりと侵略すると思うんです」

「だから……」


 その後の言葉は聞こえなかった。

 視界が暗闇に包まれた。


 ......。

 僕は家出をした。ただ、両親は家出だとは思っていない。「友達の家に泊まりに行った」と思っているはずだ。

 きっかけは夕食での些細な会話からだった。僕の生まれたときの話。


「マスミが生まれてきたとき必死でねえ。お母さんほんとうに嬉しかったんだから」

「小さいときから静かで……お父さん似ね!」


 前にも同じような話は何度も聞いたことがあった。そのたびに、僕は『ガラス越しの二人の顔』を思い出していた。正しくは『二組の二つの男女の顔』だ。


 僕が「あの人」に会ったのは岩舟の近くだった。彼は僕と同じ学生服を着ていた。

「言っておくが俺はお前と同類だ。だけど、親戚ではなさそうだな」

 月がない暗闇の中でも、あの人の輪郭がわかった。

「お前……自分の過去が知りたいんだろ?」

「えっ……」

「わかるぞ、どこから来てどこへ行くのかもな……。知りたいか?」


「ふん……わかるぞ。声に出さなくても俺にはわかる……頭の中のお喋りが、誰にも聞こえないとおもったか?」

 足先から冷たい液体のようなものが這い上がってくる。


 最期に見たのは星空だった。僕にはこの無数の星のどこかに生まれた場所がある。ただきれいな星空だった。

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