5周目6話高枠6話「人は人続ける。君は君続ける。高みは高み続ける。」
「……さてと、こっちに来い。話をしようぜ」
私は信じられない気持ちでいた。久しぶりに生きている人に会って、低く震える生きた声を聞いたからだ。
「早く来い。『飛び』はしないからよ」
私の部屋に荷物を置いて、高枠さんは私の手首を掴んだ。冷たかったが、生きている冷たさだ!
「その、これっていったい……」
「それも含めて話す」
私は高枠さんに引っ張られて部屋の外に出た。ひんやりとした空気が流れる廊下。自分の家だから知っているはずなのに新鮮だ。
「な、俺の話は続いているからな。じゃあこっちだ」
高枠さんがニッコリと笑った。そして手首を放して薄暗い階段を下っていった。
「待ってください!」
私も一段ずつ足裏の感覚を確かめながら下りた。階段を下りるのも久々だ。
一階に下りると、まるで家に帰ってきた気分になった。今まで家に居たはずなのに。
「こっちだ。外がいい」
高枠さんは玄関に立っていた。
「その、ちょっと待ってください!」
私はリビングを見た。誰もいない。いないけど、誰かいたような匂いというか温もりが感じられた。
「あいつらはもう帰ったぞ」
玄関から声がする。
「その……。どこに行くんですか?」
「ただの散歩さ。すぐに帰ってくるから何も必要ない」
私たちは家の外に出た。
(うわあ!)
夜空には星が輝いていた。空気は冷たく流れて心地よかった。
「……感動しているところすまんが、お前には時間制限がある。『日の出まで』だ。今は……零時十分。日の出は『六時三十分』だからな」
「はっ、はい!」
外に出られたのは嬉しい。だけどモタモタしていられないらしい。
「まあ、俺が話したいことは少ないからな。終わったら好きなことをしてもいい……」
高枠さんが家から離れるように歩き出した。私も慌ててついていく。車が一台も見当たらない横断歩道を渡る。信号は赤だ。
「『形本灯道(カタモトトモミチ)』だったな。何回も飛んだから、自分の名前も忘れていたんじゃないか? 俺は灯本でもいいけどな」
「形本……」
忘れかけていた。さっきまで自分を『灯本継一』だと思っていた。灯本はゲームの中だけの名前だ。
「なんでこうなったか、お前にわかるか?」
いつものように、いや、会うのは初めてなはずなのに、なぜだかいつもの調子で話を始めてくれるような気分になっている。
まあ、わかるわけないよな……。ただ、何から話そうかって……。色々とこんがらがっているからな。
そうだな、いくつか確認するぞ……。
形本、俺たちが今歩いているこの町は『仮想市』だと思うか?
「えっ、ここは仮想市……」
本当に仮想市なのだろうか? 私には私の帰るべき場所があったような気がする。だけど思い出せない。ここはゲームの中かもしれないし、現実……なのかもしれない。
ふん。わからないみたいだな。
まあいいだろう。ここは現実じゃあない。『現実を複製した世界』だ。そしてこの世界はいくつも存在する。仮想市が無限に近い数ある。方法については……秘密だが、コピーをつくるのは得意だってことさ……。ちなみに形本、お前もコピーだ。
「えっ! コピーって……」
「イタッ!」
何かにぶつかった。茶色いコートを着た歳の取った男性が、私をぎろりと見下ろした後去っていった。
「今いなかったのに……」
「ふっ。すまんな。俺が出したんだよ、あの男をな」
「はあ……。あれ?」
高枠さんの姿が無かった。振り返ると、ぶつかった男の背中が見える。
「ハハハ! 形本、そんなに驚かなくてもいいぜ、俺は近くにいる」
声が頭に響く。
「高枠さん! その、さっきのは!」
「続きが聞きたいか? いいぜ。だが、やってもらいたいことがあるなあ」
「形本、一分後に事故がある。暴走した自動車が交差点に突っ込んで、ちょうど渡っていた五人はひかれて死ぬ。しかし、さっきぶつかった男がいるよな? そいつを暴走した自動車にぶつければ、車は交差点に突っ込まない。ただしその男が死ぬ。もう来るぞ……」
男の背中は離れていく。遠くで、機械が唸るような音が聞こえてくる。車道は一直線。先には交差点が見える。
(選べって! そんなのっ……)
「あと十秒!」
私は男の背中に走った。男は私に気がついていない。道の向こうで車の光が姿を現す。
かなり速い!
(押していいのかっ!?)
……ゥゥゥゥゥヴヴヴヴ!!
(来たっ!)
私は背中に向けて両手を出した。
......。
しかしその手は触れる寸前で止まってしまった。
(できない! 無理だ!)
ヴヴゥゥンンンン……!
ものすごい風が私の横を通り過ぎた。そして、背後で叫び声が聞こえた。
「うわああああ!!」
「キャアアアア!!」
真っ暗だ。私は男の背中を見たまま動けなかった。男は何も聞こえなかったのか、振り返らず歩いたままだ。遠くで助けを呼ぶ声が聞こえる。
(……私のせいじゃない……。私が……殺したんじゃない……)
「形本。お前は直接手を出さないタイプなんだな」
(……)
「……心配するな。全員スワンプマンだ。まあ生きていないってわけじゃあないんだけどな」
「高枠さん……。なんでこんなこと……」
僕の震えた声と対照に、高枠の声はあまりに平然としていた。
「実験だ。頭の中じゃ正論とか理性で行動できる。だけど実際にその状況になったらそのとおりにするのか? お前も『五人助かるなら、一人が犠牲になってもいい』って思っていたんじゃないのか?」
(……)
「形本。お前は自分では手を出さない。『五人が死ぬことになっても、一人を殺すことはしない』だな。さて、状況を変えてもう一回だ」
「えっ!」
私の肩に何かぶつかった。目の前にいたはずの男がいない。振り返ると、あの男が私を見下ろして、通り過ぎていった。
遠くであの車の音がする。
「高枠さん! もうやめてください!」
「いいや、駄目だ」
男の茶色い背中が離れていく。私は手を握りしめ……。
(あれ?)
握りしめた手に収まる鉄の棒があった。先端が赤い。ボタンのようだ。
「形本、さっきと違うところはその『ボタン』だ。それを押すと自動車のハンドルが切られる。その先にはあの男だがな。もちろんボタンを押さないと交差点の五人が死ぬ」
(さっきと同じだ! だけど……)
私の手にはボタンがあった。振り返って交差点を見ると、五人いる。こんな夜中に親子やお年寄りがいる。
後ろから音とライトの光。
(一人を助けるか、五人を助けるか……)
私は両手でボタンを握りしめ額まで掲げた。目を閉じて、親指で押し込んだ。
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……)
……ゥゥゥゥゥヴヴヴヴ!!
「うわああああッ!!」
悲鳴と同時に、爆発したような衝撃と音が背中に走った。
耳が聞こえない。真っ暗だ。交差点の五人はいない。
「ふうん。さっきと違うんだな」
高枠の声がする。私は祈るように手を掲げた格好で動けないままだった。
「ボタンだと五人を助けるわけだ。だけどさっきは五人を助けなかったな。この違いはボタンにあるのか? 人を押すより、ボタンを押すほうが楽なのか?」
「……もう、嫌です……」
「だめだ。状況を変えてもう一回」
ふっ、と目の前が真っ暗になった。瞬きをしたみたいに。見回すと、私は交差点に立っている。
「ここは……」
「ああ。今度はお前が交差点側だ。ボタンもある。これを押したら歩道にいる五人が死ぬ。押さなかったらお前が死ぬ」
「うそ……」
遠くであの聞きたくない音がする。手にはさっきと同じボタンがある。信号は赤でぼんやりと照らされる。
ゥゥゥゥゥゥゥゥ
(光で眩しい! 速い! 速すぎる!)
私は両手でボタンを握り、胸の前で構えた。そして親指で押し込んだ。
眩しい光はぐいっと曲がり、悲鳴が響いた。
(……偽物なんだろ)
「やっぱりそうなるな……。じゃあもう一回」
「もうっ……いいでしょっ!」
私の声が暗闇に響いた。
今度は誰かと交差点で向き合っていた。さっきまでの五人だ。
「今度は五人の中にお前がいる。ボタンを押せば一人が死ぬ。押さなければお前含めた五人が死ぬ」
(もういやだ……)
私は目を閉じて、ボタンをすぐに押した。周りの人は何か話しているが、よくわからない。
遠くの方で死んだ音がした。
「ふむ。わかってきたな。じゃあ最後だ」
(最後!)
目の前が突然眩しくなる。そして後ろに叩きつけられるように引っ張られた。耳が壊れそうなほどの爆音。
「ここはっ!」
「ああ。今度は運転手になってもらう。ハンドルを切れば一人死ぬ。何もしなければ五人死ぬ。さっきと同じだ」
ゥゥヴヴヴヴヴヴヴ!!
視界が開ける。遠くに交差点が見える。赤だ。足元のブレーキを押し込んでも反応はない。
(いやだ……いやだ……)
頭の中では決まっていた。だけど、それをしていいのか。
……。
いいわけがない。
私はドアを開けた。
鉄のドアは押さえつけられているように重い。隙間から風が切り込んでくる。
「うおおおおおお!!」
全身で力の限り押した。
バッ
(開いっったっあああ!!)
ドアが不思議なくらいに軽くなった。
私は外に放り出された。
暗闇の中ゆっくりと落ちる。
「うわああああああ!!」
「はっ!」
私は歩道にいた。さっきまで高枠といたところだ。
脚に力が入らない。その場にしゃがみ込む。耳鳴りも吐き気もする。
「形本いいじゃないか、さっきの。『他のお前』じゃあしなかったことだ」
「うっ……はぁ……はぁ……」
「いいか。俺はそういう『人間らしい』部分が見たいんだ。二者択一のときに、第三の選択肢を探すやつをよ……」
「やっぱり、コピーと言えど完璧じゃあない。何か違うんだな。心なのか意識なのか何か足りない……。まあこれは俺らの課題だから忘れてくれ」
「はぁ……もう、何の話ですか……」
高枠さんの声が頭に響く。気分が悪いのにはっきり聞こえる。
「いいか、こことは別の仮想市、コピーの仮想市の灯本も同じことをやっている。その結果、どういう選択を取るのか実験している……」
「集計すると、九十四パーセントの灯本が男を押さなかった。次、九十八パーセントがボタンを押して男に突っ込ませた。次では、おお! 九十九パーセントが自分を助けるために五人を死なせた! 次も同じ九十九パーセント!」
「そして最後の運転手のときでは……。一人を殺すほうに七十五パーセント。だが……、お前以外どちらかを選んだ。『「選ばなかった」のはお前だけ』だ。そして何がしたかったのもよくわからんしな」
息が整ってきた。静かに落ち着いてきた。さっきまで何回も事故にあったんだ。人が何人も死んだ。偽物だとしても気持ちが悪い。
「形本、理由を聞かせてもらおうか。なぜ最初男を押さなかった?」
「それは……怖かったからです……」
「怖かった、か。じゃあ次、なぜボタンを押して一人を殺した?」
「……」
「どうしてなんだ?」
「五人を……助けたかったからです……」
「なるほど。次に、自分が助かるために五人を死なせたのは?」
「……死にたくなかったからです」
「ふん。次では五人の中に自分がいて一人を死なせたのも……」
「死にたくなかったからです!」
「……。そして最後、お前は車から飛び降りた。自殺か? 選択したくなかったのか? 何か考えがあったのか?」
「……わかりません」
「わからない?」
「わかりません! もう……何がいいのか……」
「そうか。まあそういうもんなのかもな……」
「……形本。どちらも正しいとき、どちらも間違っているとき、そんなとき俺らはどうする? どちらかが正しくて、どちらかが間違っているって思うよな? それで納得するならそれでいい……」
「だが、どちらかの選択をすることによって俺らは『その選択を続ける』ことになる。努力する奴は努力し続ける。怠ける奴は怠け続ける。人を生かす奴は生かし続けて、殺す奴は殺し続ける……。本当か? 人間ってそんな単純な生き物なのか?」
「……形本。俺らは矛盾した生き物なんだ。あるときは人を生かして、あるときは人を殺している。『矛盾し続ける』んだ」
「だからな、俺は矛盾を越えた存在になりたい。正しいものと反対の同じく正しいものを合わせて、俺は『高み続けたい』。矛盾を越えて高み続ける姿が人間らしさなんじゃあないかって俺は思う……」
肩を誰かが叩いた。
振り返ると高枠さんがいた。
「形本、俺はゆっくりお前を観察することにする。お前がコピーとは違うってことを見せてもらうためにな」
「私は……どうすればいいんですか……」
「そうだな……。お前はある『約束』をしてここに来た。その『約束』を果たすことで、お前は元の世界に戻れる。だからな元の世界に戻りたかったら『約束を果たす』ことだな」
「その……『約束』ってなんですか?」
高枠さんの顔が暗闇でもわかるくらいニヤリとしている。
「教えるわけないだろ。それに教えたって、今のお前じゃあたぶん無理だ。自分で思い出せ……頑張れよ」
高枠さんが暗闇に歩き出した。慌てて追いかける。
「ちょっと待ってください!」
「いいや、待たない」
「私はどうしたらいいんですか!」
「ふん。そうだな……。ヒントとしては『全員から話を聞く』ことだな」
「そして、高み続けろ……」
高枠さんの姿が薄くなったかと思うと、暗闇に消えてしまった。
(高み続けろ……)
振り返ると、そこは二階の廊下だった。
「帰ってきた……」
私は椅子に深く腰掛けた。目を閉じると、今すぐ眠ってしまいそうなほど疲れている。
(高み続けろ……)
私は『約束を果たす』ことで元の世界に戻れる。そしてヒントが『全員から話を聞く』……。全員とは、あの人たちでいいのだろうか。じゃああと四人か……。
深く息を吐いた。
人が死ぬところを何回も見てしまった。そして何人も殺してしまった。
私は矛盾しているのか?
目を覚まさないといけない。十八時十八分に立ち向かわないといけない。ただ、今は目を閉じ続けていたい。開けなけ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます