3周目3話高枠3話「ビタミンCの決闘」

「俺の名前は高枠だ。仮想市に住んでいる。ここにいる中でコレを見たことがある人はいるか?」

 高枠さんが机の上に白い筒を置いた。フィルムケースのようだ。うっすら見える中身には何か粒のようなものが入っている。

 「いないようだな。まあ、それがいい。これから話すことはコレにまつわる話だ」


 あれはまあ今年の夏くらいの話だな。

 俺の友達に『缶 健次』ってやつがいる。そいつとは高校で知り合ったんだが、初対面での印象は「今にも倒れそうなやつ」って感じだったな。肌は白いしいかにもインドア派って感じで。

 知池っていう俺の他の友だちがきっかけで健次と知り合ったんだがな。知池が言うには「健次は昔事故でしばらく病院にいたけど、なんとか治って今は元気な感じ」だってさ。

 どんな事故だったかは詳しく聞いていないが、今でも激しい運動はできないらしいってな。だけどスポーツを観るのは好きらしいから、話してみたら意外と話が合ったんだな。


 だがな。そんな病弱な健次がある日、ものすごい速さで俺の横を通り抜けたんだ。ちょうど登校中だったんだが、その道で健次と会うはずがなかった。

「イツキ! ビビったっしょ!」

 俺は驚いたね。あんなに元気な健次を見たことがなかった。

「身体は大丈夫なのか」

「ああ! むしろみなぎってきて仕方がねえな!」

 雰囲気も変わったようだったな。おとなしい感じだったんだが、その日は落ち着かないって感じでいつもより口数が多かったな。

「ちょっと走ってきたんだ! もう一走り行ってくる!」

「走った?」

 俺は後ろを振り返ったんだが、車は一台も無かった。てっきり親とかに送ってきてもらったのかと思ったんだがな。

 なぜかは知らないが健次が元気になったんならよかった。ただ「元気になり過ぎている」っていう思いもあったな。なんか怪しいと思わないか?


 その日から健次は変わったな。走っても息切れ一つしていなかった。前は少しでも走ったら真っ青になって話せないくらいだったのに。頭も良くなっている感じだったな。前から頭はいいほうだったんだがな、書くスピードが三倍くらいになって目つきも変わっていた。

 それが一週間くらい続いたな。そのときに俺は違和感を持っていたことがあった。


 健次がいつも飲んでいる薬の中に見慣れないものがあったんだ。白いケースの中に入ったやつだった。

 健次は健康オタクなところがあってな、身体のこともあってサプリメントとか薬を飲むのは不思議なことじゃなかった。俺もそういうのは好きだから聞いてみた。

「健次、それって……」

「ああ! 『ビタミンC』さ! ただ特別なもので、飲むと一日は疲れ知らずって感じで、これに出会ったときはまさに運命って感じで、それで……」

「わかった! わかったからもう話すな」

 健次の目が大きく開いていて怖かったな。止めないとずっと話していそうだったし。

「そうか。まあ元気ならそれがいいよな」

「ああ! もう元気っていうより止まらないって感じだよ!」


 俺はそのときぐらいから、嫌な考えが頭に浮かんでいた。「もしかしたら健次は何かヤバいものを使っているんじゃないか」ってな。あの白いフィルムケースの中は絶対にただの『ビタミンC』なんかじゃあない。健次が変わったのはあの薬を持ち出してからだったからな。

 それで、その考えは当たっていた。


 「健次が通学中に吐血した」ってクラスメイトのやつが言ったんだ。吐血したあと健次は走って近くにあった公園のトイレに入った。驚いたそのクラスメイトはすぐに動けなかった。心配になってトイレにいる健次に向かって「大丈夫か!」と叫んだ。そしたら、

「大丈夫。ごめんごめん」

 って何事もない様子で出てきたらしい。


 学校で健次の話をしていたときだ。

「いやーたまにそうなるんだよねー」

 健次が俺とクラスメイトの話に入ってきた。廊下から来たのに聞こえていたらしい。耳まで良くなっているのか?

「おい、ちょっと健次いいか」

「なんだい?」

「あの『ビタミンC』ってやつ、俺も欲しいと思ってな……」

「ほんと! じゃあ次の休みに買いに行こう!」


 俺はそのとき健次を問い詰めたかった。絶対に『ビタミンC』がヤバいって確信したからな。ただ中毒者みたいに扱って問い詰めても逆効果だ。まずは共感して話を聞き出すのが結果的に早くなるんだな。


 俺は健康のために薬を飲んだり運動するのはいいと思っている。だけどドーピングみたいなのは嫌いだ。フェアじゃないし命が削れて残るのは何もない。薬のおかげで得られたものじゃダメなんだ。

 どうやって健次が『ビタミンC』を知ったのかわからないが、こういうのはすぐに広まる。仮想市中に広まって、道端で倒れる人、犯罪の温床とかになる。考えすぎかもしれないな。ただ俺はそういうことを想像しちまうんだ。健次の死んだ姿とか、色々見たくないものをな……。


 そして買いに行く日になった。夏の日差しが嫌な感じの日だった。

「どれくらいの値段なんだ?」

「それがお金はいらないって言うんだよー」

 真っクロだな。最初は無料で、取り返しがつかなくなってから奪い取るタイプのやつだ。

 俺たちは仮想市の砂潟(サガタ)にある『砂潟の洞窟』に歩いて向かっていた。そこで昼の十二時に待ち合わせということだった。

 知っていると思うが砂潟の洞窟は仮想市の七不思議の一つでな、市の端の海沿いにある。行ったことがあればわかると思うが、島と陸が細い道でつながっているような地形なんだよな。そんな細い道路を歩いて、島の海岸を歩いていけば洞窟がある。住民は普段行かないような場所だから、怪しさもあるな。


「前もここで会ったのか?」

「うん! きっかけはネットだったんだけど、この洞窟に住んでるって!」

「住んでる?」

「なんでもワケありで、薬剤関係の組織から抜けて、洞窟に隠れ家をつくって暮らしているらしいよ! 『ビタミンC』も自分がつくったって!」

「そうか……」

 洞窟がある島に着いた。ここからは不安定な道が続く。

「きみ、友達かい?」


 背中から低い声がした。俺はすぐに振り向いた。男がいた。

「あっ、シンバシさん」

 健次は知っているようだった。背は俺より高い。百九十メートルはある。若すぎない三十歳くらいで白衣を着ていた。笑っているようだが、胡散臭さを感じた。

 後から健次に聞いたんだが『新橋』って書くらしい。


「きみ、名前は?」

 新橋は胸のポケットから紙とペンを取り出して渡してきたな。俺はそこに『高和久 伊月』と書いて、

「タカワクイツキです」

 と言って渡した。怪しいやつに本当の名前は教えないほうがいい。


「タカワクくんね。君も『ビタミンC』が欲しいのかい?」

「まあ。健次から話を聞いてそれで、です」

「そう! じゃあついてきて……」

 新橋はニッコリと笑うと俺たちの間を抜けて海岸を進んでいった。俺たちはそれについていく。俺は道を覚えるように注意して周りを見ながらついていった。

「じゃあ入って」


 砂潟の洞窟よりも島を奥に進んだところに、岩でできたトンネルがあった。新橋は岩壁の一つの石を掴んで引っ張った。すると穴が開いたように岩のドアがすんなりと開いた。隠し扉だったんだな。新橋が中に入っていく。

 入ってすぐに階段があった。これを自分で掘ったのだろうか? 壁は外と同じ岩だったが、電灯があったから暗くはなかったな。

 階段を下りていくと広い部屋に出た。テーブルや冷蔵庫、テレビがあったな。他にも二つドアがあった。

 「じゃあ座って」


 俺たちはテーブルに座った。黒い木のテーブルで、何か焦げた跡とか変色した跡があった。新橋が白いフィルムケースを置いて向かい合った席に座った。

「いつもありがとうございます!」

 健次はケースをすぐに手に取った。俺の分であろうケースもある。

「すみません。『ビタミンC』っていうのは何ですか?」

「えっ?」


 新橋は呆気に取られたような顔をした。

「きみ『ビタミンC』を知らないのかい? いまどき小学生でも知っているんじゃあないかなあ」

「そうですね。ただ、健次がこんなに元気になったのは、何か別のものが入っているからじゃないんですか」

 俺はまっすぐ新橋を見て言った。


「うーん。入っているっちゃ入っているけど、入っていないとも言えるしなあ」

「入っているんだなぁっ!」


「おいおい。急にどうしたの。欲しいんじゃなかったの?」

「イツキ、失礼だよ」

 俺は落ち着こうと椅子に深く腰掛けた。

「正直言うが俺はあんたが怪しいと思っている。何が入っているのか知らないが、飲んだだけで健次がこんなに元気になるはずがない」

「そして、健次が血を吐いたって言うじゃねえか。何が入っているのか知るまで、俺は受け取らない。そして場合によっちゃあ警察を呼ぶ」

「ふーむ。用心深いんだねえ、きみ。だけど無駄だよ。それは本当にビタミンCさ。誰が調べても同じさ」

 新橋が椅子にもたれかかる。

「ただねえ。取り調べとか面倒だし正直に言うと、それには『時間』が入っているのさ。正真正銘『時間』がね」

(時間?)

「どうやって入れているかっていうのは秘密。知ったところできみたちにはマネできないだろうけどね。時間を前借りしているって感じかな」

「そうなんだよ! この一粒に一年が入っているって! 飲むと一日中エネルギーが止まらないんだよ! この中に僕の三十年が入ってるって!」

 健次が俺を向いて言う。


「健次知ってたのか」

「まあね! 秘密って言われてたから言わなかったけど」

 新橋がニッコリと笑う。

「そう、健次くんは『一粒を一年』で契約している。前までは一粒一週間だったんだけど、次は一年にしたいってね。おかげで元気そうじゃないかあ。健次くんは弱い身体で細く長く生きるより、強い身体で太く生きるほうが幸せってことなんだろうねえ」


 俺はゾッとしたね。健次や新橋がウソをついているようには見えなかったからだ。『ビタミンC』には比喩じゃなく『時間』が詰められているってな。


「それで、きみはどうするんだい? 一週間なら今すぐにできるよ。ただ量は十粒からね」

「俺はいらない。俺は俺の命をまっとうする。そして健次の分も返してもらえないか」

「そう。きみはいらないってことね。それはいいよお別に。だけど健次くんのは健次くんが決めないとねえ」

 健次はケースを上にかかげて、中の粒に見とれているようだった。俺らの話を聞いていなかった。その見とれる目が真っ暗だったのを今でも覚えているぜ。


「健次くんには必要みたいだねえ。彼には彼の人生がある。どう生きようが勝手じゃないのかな」

 新橋がニッコリと笑う。売人というより、死神みたいに見えた。

「時間を……。ケースの中の時間を元に戻す方法はないのか?」

「返品ってことかい? できるよ。だけど手数料としてもらった時間は戻せないよ。具体的には二割だね」

 新橋が手元のケースを持って手の上で転がす。

「今回の健次くんは一年かける三十個だから三十年と手数料の二割で六年。合計三十六年支払ったことになるね。三十年は戻せるけど、手数料の六年は戻せないよ」

 ケースを握り俺のほうに差し出してくる。

「それで、気が変わったかな?」

「いや、いらない。むしろそれを聞いて絶対にいらないって思ったね」


 健次はまだケースを眺めていた。

「おい、健次。聞いてたか?」

「今ならまだ間に合う。三十年は取り返せる。三十年っていうのは、俺たちまだ、そこまでたどりついてないよな? もし寿命が八十歳だったとして、それが五十歳になるんだぞ」

 健次の肩を掴んだ。

「それで得るのは何だ。一日が一年になっても、お前はお前のままだ。お前だけが歳を取るんだ。よく健康に気を使ってたよな? 長く生きたいからだよな?」

 健次が俺を見る。ただその目は冷たかった。


「わかるわけないよ、イツキには」

 今まで聞いたことがないような声だった。

「過去の僕は本当に嫌なことだらけだった。身体のせいでやりたいこともできなかった。イツキがうらやましいよ、僕もそう生まれたかった……」

 健次は頭を抱えてテーブルに突っ伏した。

「ああ。俺には昔の健次はわからない。だけど『ビタミンC』がなくても回復できたんだよな? その話も知池から聞いてたぜ。健次、俺はその話を聞いて尊敬していたんだ。俺にはできない。お前は十分強い。それに頼らなくてもいいほどにな」

 健次が机に伏せながら俺の顔を見る。手にはケースが握られている。

「ふうん。タカワクくんはとっても友達思いなんだねえ。……いいよ。手数料も、健次くんの取引も無しにするよ。ただしあるゲームをしてもらってだけどね」

 新橋は立ち上がって奥の扉に入った。

「健次。これが最後のチャンスだ。二人でチャラにして帰ろうぜ。三十年を取り戻すんだ」

 健次は「うん」とだけ力なく言った。


 新橋がトランプの箱を持って出てきた。

「カードなら負ける気がしない」

「いやあ、勝ち負けじゃないよ。これはただの道具。きみたち二人が本当に『ビタミンC』をいらないって言うなら、それを示してもらおうかなあ、と思ってね」

 俺と健次の前にジョーカーとエースのペアが配られた。

「やることは『囚人のジレンマ』ってやつさ。ジョーカーが『ビタミンCがいる』で、エースが『ビタミンCがいらない』だ。二人ともエース、つまり『二人共いらない』だった場合、さっき言ったとおり今までの分を返してあげるよ。だけど二度と『ビタミンC』はつくってあげないよ」

「もし『どちらか一人がジョーカーを出した』場合、『エースの人から十年取ってもう一人にあげる』ことになる。今までの分も返さないし、何度でもつくってあげるよ」

「そして『二人共ジョーカー』の場合、『二人共五年ずつ取ってつくってあげる』よ。返さないけど、また来たらつくってあげよう。まあ、この選択肢はないだろうけどねえ」

「理解できたかな?」

 新橋がニヤニヤ笑う。


「健次、わかってるな」

「エースを出せば今までの三十年と五年が帰ってくるんだ。俺は必ずエースを出す。俺に『ビタミンC』はいらないからな」

 健次が二枚のカードを見ている。片方の手が『ビタミンC』にのびる。

「健次っ! そいつは悪魔だ! 弱いのはお前の身体じゃない、心に入り込んでいる悪魔からだっ!」


「イツキ……」

 健次がカード二枚を机に伏せた。そしてその中から一枚を前に出した。俺も一枚伏せて机に出した。

「じゃあオープン!」

 俺が出したのはエース。健次が出したのは……。



「ハハッ! やっぱりそうだと思っていたよ! 健次くんの心は変わらなかったみたいだねえ!」


 健次が出したのはジョーカーだった。俺はそのとき思いっきり歯を食いしばった。

「ごめん。ごめん。ごめん……」

 健次が両手で目を隠しながらつぶやく。

「じゃあ約束通りもらおうかな」

 いつの間にか新橋の手が俺の左手首を掴んでいた。

(なっ)


 声が出なかったな。全身が細かく振動して、手首から熱が抜き取られていく感覚だった。

「んんう? 安心しなよ。きみは長生きだから十年くらいどうってことないさ。いや、正しくは十二年か。ハハッ」

 新橋が手を放す。握られていた部分の肌が赤黒くなっていた。

「じゃあこれ」

 新橋が健次の前に白いケースを置いた。健次は片手で目を隠しながら、ゆっくりそれをポケットにしまった。見える口元は固く閉ざされていた。

「じゃあまたね」

 新橋がニッコリと笑って手を振った。健次がゆっくりと立ち上がった。

「待て。健次」



 俺はキレていた。健次じゃなくて新橋にだ。

「ごめん……」

 そう言って帰ろうとする健次の手を俺は掴んだ。

「もういい。謝らなくていい……。もうすこしここにいてくれ。俺がこいつと話終わるまで、ここにいるだけでいい」

 健次は立ったままだったが、帰ろうとはしなかったな。俺は新橋のほうを向いた。

「新橋さん。あなた約束は守るんですよね」

「うん。どうしたの。さっきのは返さないよ」

「俺とゲームをしませんか。俺がそれに勝ったら時間を全て戻す。そしてあんたは仮想市から出ていく。負けたらまた十年取ってもいい」

「ふうん。ゲームは好きだからいいけど、何をするか聞いてからかなあ」

 俺はその場にあったカードを三枚集めた。エース二枚とジョーカー一枚だ。

「『ババ抜き』ですよ。あんたがこの中からジョーカーを引けば俺の負け。エースなら俺の勝ち。ジョーカーは一枚だけで、一回だけの勝負です」


「うーん。三分の一かい? それはちょっとなあ……。見合ってないなあ」

「それなら……。『きみの時間全部もらう』ってくらいじゃないと割に合わないかなあ」

 新橋がニヤニヤ笑う。

「ああ、いいぜ。それでいい。エースを引けば全部返してもらう。ジョーカーなら好きにすればいい」

 俺は三枚のカードを構えた。真ん中にジョーカー、左右にエースだ。


「ちょっと! イツキそれはヤバいって!」

 健次が立ちながら俺の肩を触る。

「健次は祈っていてくれ。目を閉じてゆっくりな。絶対に『ビタミンC』は飲むなよ」

「これは俺の勝負だ。こいつはそのうち逃げる。取り返しがつかなくなってからな。だから俺は今こいつと決着をつけなきゃいけない」

「ハハッ。じゃあこっちも手を抜かずにね……」

 そう言うと新橋は白衣から白いケースを取り出して、中の黄色いカプセルを口に入れた。

 「ゴクン」と喉が鳴り、新橋の身体が小刻みに震えた。


「っふう。じゃあジョーカーを引かせてもらおうかな」

 新橋の目は大きく開いて、血走っていた。張り付いたような笑い顔で、俺は正直目を逸らしたかったね。

「ど、れ、に。し、よ、う、か、な」

 新橋が三枚のカードの上で指を滑らせる。

俺の反応を見ているのか。健次は手を合わせて立っている。


「これかな? これかな?」


「これに決ーめたっ」


 新橋の手が止まったのは左のエースだった。


 俺の心臓は飛び出しそうなくらい脈打っていたな。そのまま引けば俺の勝ちだ。だけど平静を装って口から息を吐いた。


 新橋がエースを掴んだまま動かない。

「タカワクくんだっけ。やっぱり時間全部は言いすぎたかもなあって思うよ。それに正直ねえ、大事な場面での三分の一なんて、当たる気がしないんだよねえ」

「だから三枚のうち、ハズレのエースを一枚抜いてくれないかな? 二分の一なら当たりそうな気がするんだよねえ。そしたらきみが負けたときの時間を全部っていうのは無しでいい。代わりに時間を『五年残るだけもらう』ってことでいいよ。もちろんきみが勝ったときは全部返そう」


「いいぜ」

 俺はすぐに右端のエースを机に置いた。

「ありがとう」

 新橋は左のエースを掴んだままだ。


「きみってけっこう勝負好きに見えるからねえ。そういう人っていうのは自分の利益になる話に目がないのさ」

 新橋が何か話しだした。俺は姿勢を崩さないので必死だった。

「ギャンブルと言えば確率が大きく関わってくる。それでみんな確率を勉強する。知っていれば損することはないからねえ」

「きみもそういう人だろう? 三分の一から一枚減って二分の一……。じゃあないってことも知っている。モンティ・ホール問題とか三囚人問題とか……。そう考えると、今掴んでいるカードが三分の一でジョーカー。そしてもう一枚が三分の二でジョーカーになる」

 たしかに俺はその話を知っていた。

「だから確率的に考えるとこの最初に選んだカードではないもう一枚を引くべきなんだが……」


 新橋の顔は相変わらず笑ったままだ。

「今掴んでいるのはジョーカーだね。きみがこの話を知っていたなら、すぐにエースを一枚捨てるなんてしなかったはずだ」

「だけど捨てた。自分の不利になるのにね」

「つまり『カードを変えてほしかった』ってことだよなあ! これはジョーカー!

 五万年もらったあああああ!」

 勢いよくカードが引かれた。



「ぐァッ!?」

 俺は一気に楽になったね。ジョーカーが俺の手にあった。新橋がエースを引いたんだ。


「どうして……。どうして……」

 新橋が両手でカードを握りつぶした。まさに苦悶って感じの表情だったな。

「俺はどっちでもよかったんだ。五年あればお前を追えるからな。何度でも挑むつもりでな」


「さあ、約束通り返してもらおうか」

 机に突っ伏す新橋の前に俺は手を出した。新橋は伏せていた顔をすぐに上げた。顔は元通りになっていた。

「ふん! しょうがないね。確率を信じられなかったから負けたってことかな」

 ニッコリとしたが、目は笑っていなかった。

 新橋が俺の手首を握ると、熱が流れてくるような感じでな。不思議と身体に力が湧くようだったな。

 そのあと、健次も同じように手首を掴まれて時間を返してもらった。


「約束通り返したよ。じゃあさっさと帰ってくれないか」

「仮想市から出ていけよ。すべてを持ってな」

「わかってるよ」

 新橋が手を払う。


 俺と健次は階段を上って外に出た。外はもう夕方だったな。

「イツキ……ごめん」

「いいよ、もう謝るなよ。しょうがないことだったんだ」

「いいや、僕が弱かったから……」

「だから、もういいって。帰ろう」

 俺と健次は寒くなっていく海岸を歩き出した。

「もし俺が健次だったら、同じようになっていたはずだぜ。俺はああいう弱みにつけこんで、自分が得するように仕組むやつが大っ嫌いだ。健次があのとき『ビタミンC』をやめられなかったのも、すべてクスリのせいなのさ」

「ありがとう。優しいんだね」

「優しくない。俺は自分のために動いているのさ。町が壊されるのは見たくないからな。みんな壊れると、俺も壊れる」

 そうしてその日は帰ったな。

 健次は元通りになった。身体は健康ってほどじゃあないが、色々スポーツとかもして性格も前より明るくなった気がするな。

 新橋はいなくなっていた。あの隠し扉も無くなっていたな。そのとき健次もいたんだが、岩壁を触りながらどこか安心した感じだったな。


「と、長くなったがこんな感じで俺の話は終わりだ。この白いケースはさっき言った『ビタミンC』だ。中身は『本物のビタミンC』だがな」

「いいか。心っていうのは身体と同じで弱るもんだ。誰かの行動や性格は、周りの影響が大きい。周りの人にはやさしくしておけよ。自分もその関係の中に生きているんだからな」


「ありがとうございました」

 僕は頭を下げた。ただ、一つ疑問に思ったことがあった。

「その、さっきの話で新橋が『五万年もらった』って言ってましたよね? それって本当なんですかね?」

 高枠がニヤッと笑った。

「さあ。本当ならどれだけいいんだろうなあ」

 何か知っているような雰囲気だったけど、何を聞いてもニヤニヤしたままはぐらかされてしまった。

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