彼女の夜が明けるまで

佐藤悪糖🍉

夜道


「わたし、実は超能力が使えるんだよね」


 夜道を歩きながら、天日音あまひねねねは弾むようにそう言った。

 彼女は茶目っ気たっぷりに片目を閉じる。にこっとしたいたずらっぽい笑み。余人の視線を引き付ける、素敵にチャーミングな笑顔だ。

 きっと、写真を撮れば絵になることだろう。それもこの一瞬だけではない。天日音ねねは、いついかなる瞬間を切り取られようとも、瑕疵一つなく己の魅力を届けることができる。

 それはまさしく超能力めいた異能だったが、彼女が言っているのはそういうことではなかった。


「使えるの?」

「使えちゃうんです」

「使えちゃうんだ」


 もちろん、天日音ねねが言っているのは冗談だ。

 ぼくたちはただの高校生であって超能力者ではない。天日音ねねがいかに魅力を振りまこうと、ぼくがいかに白濁沈殿した青春を送っていようと、その点ばかりは平等だ。

 それを承知で、「きみは嘘を言っている」と指摘するようなやつは高校生に向いていない。高校生どころか人間にも向いていない。そんなやつは最低だ。


「きみは嘘を言っている」

「こらこらこらこら」


 なので、最低なぼくはそう指摘した。天日音ねねは大げさな身振りであわてだした。


高梨たかなしくん、困るよ。そう返されたら会話が終わっちゃうじゃん」

「だめだった?」

「だめだよ。全然だめ。もっとわたしに興味もって?」


 こほんと、かわいく咳払い。そんな所作すらも天日音ねねは絵になった。


「テイクツーです。わたし、超能力が使えます。オーケー?」

「へえ、そうなんだ」

「……興味なさそうだね」

「ううん、ある。天日音さんと話すのは新鮮だから」

「だったらもうちょっと楽しそうにしてくださいよ」


 敬語でダメだしをされてしまう。高校生どころか人間にも向いていないぼくにも、何かを間違えたらしいことは理解できた。

 少し考える。人間っぽいコミュニケーションをするにはどうすればいいのだろう。普段使っていない形で脳みそを動かすのは、それこそ新鮮な体験だった。


「どんな能力が使えるの?」


 考えた末にそう聞くと、彼女はぱっと顔を輝かせた。どうやら正解だったらしい。


「あててみて、あててみて」


 ひとなつっこく彼女はせがむ。表情が忙しい女の子だ。ぼくのようなテンション地底人からすると、彼女はまるで天空人のように見えた。


「そう言われてもな……」

「ヒントあげよっか?」

「いや、自分で考えてみるよ」


 ぼくは立ち止まって、天日音ねねをじっと見た。

 そこにいたのは、やはり完璧な少女だ。夜空を溶かし込んだような、さらりと流れる美しい髪。白く透きとおった人形のような肌。好奇心いっぱいに輝く、ぱっちりとした瞳。ふんわりとしたベビーピンクのパジャマの上に、ぼくが貸したぶかぶかのジャケットをはおっている。

 こうしてみると、天日音ねねは非の打ち所がないほどにかわいい。そしてそれは、ぼくだけが思っていることではない。

 天日音ねねは、学園のアイドルというやつだった。

 誰に対しても分けへだてなく笑みを振りまき、頼み事をされても嫌な顔ひとつみせない。悪いことは決してしないし、良いことは進んでする。いつだって努力を惜しまず、豊かな向上心をきちんと結果に変えることができる。特に歌唱力では抜きんでた才能を持つが、それをひけらかすこともしない。

 容姿端麗で成績優秀。スポーツは万能とまでは言わないが、決して悪いわけではない。そんな超人めいたスペックを持ちながら、性格はまるで子犬のようだ。

 これで人気が出ないはずがない。事実、天日音ねねの周りにはいつだって人だかりができていた。


「あ、あの……。高梨、くん?」

「なに?」

「そんなに見られると……。恥ずかしい、っていうか……」


 上から下まで、ためつすがめつ。じっくりと見回していると、彼女は恥ずかしそうにもじもじとしていた。あまりぶしつけに眺めるのは、どうやら失礼だったらしい。

 視線を外し、歩きはじめる。天日音さんも僕の隣に並んで歩いた。


「それで、何かわかった?」

「かわいいってことくらいかな」

「……きみ、そういうこと、面と向かって言うタイプなんだ」

「天日音さんは言われ慣れてるタイプだよね」

「そう言われることはあるけど……。でも、うれしいよ。ありがとう」


 はにかんだ笑みが向けられる。しかし、その意味はよくわからなかった。

 ぼくはただ見たままに言っただけだ。なのに、どうしてお礼を言われるのだろう。たとえばここにカナブンがいたらぼくはかわいいと言うし、同じように天日音ねねがいたら、やはりぼくはかわいいと言う。そして今、ここにいたのはカナブンではなく天日音ねねだ。それだけのことだった。


「それじゃあ、ヒントなんだけどね」

「――待った。超能力は、PKとESPの二種類に大別される」

「お、おお?」


 天日音さんの言葉を遮って、ぼくは言う。謎解きの途中でヒントをだされることは、あんまり好きじゃなかった。


「PKとはサイコキネシス、つまりは念力だ。超常的な力をもって、物体に直接的に影響を与える能力のことを指す。一方ESPとはエクストラ・センソリィ・パーセプション。日本語にすると、超感覚的知覚と言う」

「わー、すっごい。本格的だぁ」

「PKの実在は疑わしいところだけど、ESPのほうは実を言うとそうでもないんだ。つまるところそれは、五感の延長線にあるものだからね。そして人間の脳みそは、五感をしばしば混同させることがある。文字に色が見えたり、音に形を感じたり、みたいにね」

「あ、それ聞いたことあるかも。共感覚だっけ?」

「そう、共感覚。共感覚能力者はしばしば、普通の人間には感じ取れないものを知覚することができる。裏返せば、人間の五感はもっと拡張できるんだよ」

「なるほど……。そうやって拡張した能力は、もしかすると超能力に届くかもしれないってこと?」


 ぼくは頷いた。天日音さんは理解がはやい。はやいと言うよりも、ある程度知識があったのだろう。

 どんな人とも、どんな話題でも、彼女はコミュニケーションを成立させられる。それは特異な能力というわけではなく、彼女の見識がそれだけ広いということ。つまりはこれも、天日音ねねが積み重ねてきた努力の一つだ。


「つまり、天日音さん。きみが持つ超能力はサイコメトリー。物体を通して、残留思念を読み解くことができる能力だ」


 ぼくは突きつける。彼女は驚いたように手を叩いた。


「すごい、高梨くん。ぜんぜん違うよ」

「じゃあ千里眼か過去視か透視」

「もうあてずっぽうじゃん。さっきまでの理路整然とした話はなんだったの」


 天日音ねねはころころと笑う。何かがツボにはいったらしい。とてもおかしそうに、しばらく鈴が転がるように笑っていた。

 まあ、あてずっぽうというのはそうである。ぼくは天日音さんが持つ超能力なんてぜんぜん知らない。見たことも、聞いたことも、感じたこともなかった。


「はー……。おもしろかった。高梨くんって、たまにすっごく面白いね」

「そうかな」

「あんまり話すことなかったけど、これからは学校でも話しかけていい?」


 ぼくは返事をしなかった。別に、どっちだっていい。ぼくがどうするかはぼくが決めるように、天日音ねねがどうするかは天日音ねねが決めればいい。話しかけられようと、そうでなかろうと、僕にとっては同じことだった。


「それで、ヒントなんだけど……。ううん、もういいや。正解言っちゃおう。実はわたし、人の心が読めるのです」

「そうなんだ」

「だから、高梨くんが考えていることも、手にとるようにわかってしまいます」

「そうなんだね」

「……あわててください」


 ダメだしが入った。天日音ねねは淡白な反応を好まないらしい。ぼくは少し考えて、「たいへんだ」と言った。我ながらたいした棒読み具合だったけれど、天日音ねねは満足したように頷いた。


「高梨くん。きみの考えていることを、ずばり当ててみせましょう」

「どんとこい」

「きみは今、かわいいクラスメイトとお話できて楽しくなっていますね」

「いいや、別に」

「なら、わたしからほんのりただようシャンプーの匂いにどきどきしてる」

「違うけど」

「……わたしのことが、気になって気になって仕方なかったり?」

「そこまででは」

「えっと……。じゃ、じゃあ。えっちなこと、考えてるとか」

「してない」

「……実は、なんにも考えてなかったりして」

「正解」


 それが正しい。ぼくは別に、何かを考えて話しているわけではない。ただ、いつもどおりに、ある程度自動的に受け答えをしているだけだった。


「高梨くん、わたしのことかわいいって言ったじゃんかぁ……。うっわ、はずかしい、完全に自意識過剰ちゃんみたいになったぁ……」

「天日音さんはかわいいよ」

「わー! もういいから! わたしが悪かったからー!」


 天日音さんは涙目でわたわたとする。どうやら彼女は、ぼくをからかおうとして失敗したらしい。それくらいのことはぼくにもわかった。


「……高梨くん。きみは、からかいがいがありません」

「それはごめん」

「でも、そういうとこ、なんか憧れちゃうな」


 天日音ねねは、赤みの残る顔をごまかすように話題をかえた。


「ずっと自然体っていうかさ。すごいよね、高梨くん。誰が話しかけてもそんな感じじゃない。人によって態度をかえないの、立派だと思う」

「人によって態度をかえないのは、天日音さんだってそうでしょ」

「わたしは高梨くんほど自然にはやれないよ。これでも、結構がんばってるんだから」


 ぼくは何も言わなかった。

 言うべきか、言わざるべきか。言ってしまっていいのだろうか。そう考えるくらいの配慮は、ぼくにもできた。


「あーあ。わたしも、そんな風にやれたらなぁ」


 だけど、天日音ねねはそう言ったから。

 結局ぼくは、いつもどおりに、思ったことを思ったままに言うことにした。


「ぼくは超能力は使えないけど、天日音さんの考えてること、少しはわかるよ」

「お、なになに? あててみ、あててみ?」

「疲れてるなら、無理して続けなくていいと思う」

「……なにが?」

「演技」


 天日音ねねは立ち止まる。


「それは……。どういう意味?」


 ぼくも立ち止まり、天日音さんの顔を見る。

 彼女は貼りつけた笑みのままで固まっていた。


「演じることに疲れたなら、今くらいはやめてもいいんじゃないかな」


 ガラスが砕ける音が聞こえた気がした。

 ぴしりと、蜘蛛の巣状にひびが入って、一気にばらばらっと崩れさっていくような。取り返しのつかないものが砕けてしまったような、そんな音。

 その音は、天日音ねねの胸の内から聞こえてきた。


「なら、そうする」


 さっきまでのほがらかさが嘘のように。

 天日音ねねは、無表情で無感情で無感動な、能面のような顔をしていた。



 *****



 ぼくと天日音ねねがであったのは、夜半よりも少し手前のことだ。

 今日ぼくは、寝る前にふと思い立って夜の散歩にでかけた。習慣と呼ぶには不定期に行っている夜歩きだ。ひんやりとした夜風、静寂に染まった人気のない街並み。ぽつぽつと置かれた街灯がたよりなく照らす夜道と、照らしだされずともそこにある深い闇。そんな有象無象を踏みしめて歩く中、ぼくはばったりと天日音ねねとであった。

 そのときの天日音ねねは、いつもとはずいぶんと様子がちがった。

 ふだん教室で発揮しているほがらかさなんてものは欠片もなく、快活さなんてものも微塵もない。活発さも溌剌さも根こそぎ絶滅してしまっている。いや、こんな時間に元気いっぱいでいられても困るのだが、とにかく天日音ねねには決定的に生気というものが欠けていた。

 ぼくがであった天日音ねねは、色のない虚無に満ちていた。

 幽鬼のように抜け落ちた表情。ふらふらとした気まぐれな足取り。目の焦点は定まらず、ちゃんと前を見ているのかどうかも疑わしい。まるで夢遊病患者のような彼女は、前からぼくが来たことにも、最初は気づいていないようだった。

 夜道で出くわしたぼくたちは、しばらく黙って互いのことを見ていた。なんて言っていいものかわからなかったのだ。ぼくはこういう状況を想定していなかったし、天日音ねねは無表情のままぼーっとしている。

 立ち尽くすこと数十秒。このまま黙ってすれ違っても問題ないんじゃないかと、そんなことを考え始めたとき。

 くちっと、彼女はくしゃみをした。

 夜歩きをするにしては、彼女はずいぶんと寒そうな格好をしていた。ベビーピンクのパジャマにサンダルだ。水気をふくんだ髪はしっとりと黒く、シャンプーのあまい香りがほんのりと漂っている。

 その格好では風邪をひくだろう、と。ぼくは着ていたジャケットを差しだした。


「ありがとう」


 抑揚なく彼女は礼を言う。それから二度三度、頬をぺちぺちと張って、すうはあと深呼吸を繰り返す。

 虚無に満ちていた天日音ねねに、色が戻っていく。その様は、人間の進化を早回しで見ているかのようだった。


「ねえ、高梨くん。少し、歩かない?」


 そう提案した天日音ねねは、いつもの天真爛漫な天日音ねねだった。

 そして。

 そして、そして。

 そしてそしてそしてそして。

 超能力がどうのと、人が心が読めるのだと、ついさっきまでそんなことを楽しそうに話していた天日音ねねは。

 今ふたたび、感情のない顔をしていた。


「わたしは高梨くんが羨ましい」


 夜道を歩き、淡々と彼女は言う。


「そんなふうに自然にふるまえたら、いっそどんなに楽だろう。嘘をつかず、人を騙さず、誰も傷つけず。高梨くんの在り方が、わたしにはひどく羨ましい」

「なら、そうしたらいいと思う」

「無理だよ。だってわたし、嘘つきだから」


 天日音ねねは痛々しく微笑む。教室では見たことのない、おそらくは誰にも見せたことのない、苦しそうな笑顔だった。


「わたしだって、本当はだれも傷つけたくない。だけどもう、わたしにはこうするしかないんだ」

「天日音さんが人を傷つけるの?」

「そうだよ。わたしはいつだって加害者だ」


 天日音ねねが人を傷つけるものなのだろうか。教室の彼女は誰にだってやさしい。攻撃的なそぶりを見せるどころか、周囲に安らぎを振りまく癒し系少女こそが天日音ねねというキャラクターだ。


「優等生の仮面は、人を傷つけるよ」


 天日音ねねは寂しそうな顔をしていた。


「やさしい人になりたかった誰かの席を奪い、努力する人と思われたかった誰かの席を奪い、才能を認められたかった誰かの席を奪って生きてきた。望もうと望むまいと、わたしの生き方は誰かの生き方を侵害する。ただわたしが生きているだけで、不幸になる人はたくさんいるんだ」

「そんなことない。天日音さんはいい人だ。天日音さんをねたむ人なんていないんじゃないかな」

「表だってはね。だけど、誰だってそう思ってる」


 確信的な口調。きっと、彼女には思い当たる節があるのだろう。ぼくは何も言わなかった。


「わたしはいい人になるしかなかった。一生懸命にいい人を演じて、わたしは無害なんだって赦しを請うことでしか生きられなかった。その演技がまた人を傷つけるんだから、きっとわたしは救われない」


 静かに語る天日音ねねに、学園のアイドルとしての影はなく。彼女はまるで、判決を待つ罪人のようだった。


「わたしは嘘つきだ。それがわたしの生き方だ。いつか後ろ指をさされて、お前は嘘つきだって告発される日がくると思う。その日まで、わたしは優等生の仮面をかぶりつづけることにした」


 だけどね、と天日音ねねはいう。


「たまに、ひどく疲れるんだ」


 だから彼女は、この夜を歩いていたのだろうか。

 パジャマを着たまま、こっそりと家を抜けだして。どこにも吐きだせなかった思いを抱え、逃げるようにこの夜をさまよった。

 もしかするとそういうことなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。聞いてみようかとも思ったが、ぼくは「ふうん」と相づちを打つにとどめた。


「優等生、やめたら?」


 かわりに聞いてみたのはそれだ。嘘をつくのが疲れるなら、嘘をつく必要をなくせばいいんじゃないかと。思考停止にも似た言葉に、天日音ねねは首をふる。


「そんなことしたら、わたしボコボコにされるよ」

「なんで?」

「わたしに恨みをもつ人、たぶん多いと思うから」


 それはまた、物騒な上に突拍子もない考えだった。

 なんとなく、天日音ねねが抱える問題がわかったような気がした。べつに彼女の悩みにつきあう道理なんてぼくにはないのだけれど、だからといってつきあわない理由もない。それくらいの軽い気持ちで、一定の歩調で夜を踏みながら、ぼくは言った。


「天日音さんは病気だ」

「……ストップ。高梨くん、もうちょっとマイルドに頼める?」

「ごめん」


 傷つけてしまったらしい。悪いことをしたと思ったので、ぼくは素直に謝った。


「天日音さんは人を恐れすぎてる。他人なんて、思ってるほど自分に興味はないものだよ」

「それは高梨くんだからそう言えるんだよ。高梨くんは、他人にこれっぽっちも興味がないんでしょ」

「天日音さんはちがうの?」

「うん。わたし、人の顔色見るのだけは得意だから。いつもいつも、人がなにを考えてるのかばっかり考えちゃう」


 自虐的に彼女はいう。それは本性をさらけ出した天日音ねねなりのジョークだったのかもしれないし、紛れもない本心なのかもしれない。


「だったら、ぼくたちは両極端だ。他人に興味がなさすぎるぼくと、人の顔色を見すぎる天日音さん。その中間値を取るなら、やっぱり普通の人だって、そこそこに、ほどほどにしか、人に興味はないと思う」

「……だとしても、その中間値の人たちは数が多い。ほどほどの興味関心だって、たくさんの耳目を伴えば、人を殺すには十分な悪意になる」

「ボコボコにされるくらいに?」

「ボコボコにされるくらいに」


 本当にそうなるとはやっぱり思えないのだけれども、天日音ねねが言うことも理解はできた。

 彼女はもう、失敗できないのだ。引き返すには耳目を集めすぎて、朽ち果てるには評価を重ねすぎた。だからもう、重ねすぎた嘘をどこまでも貫くしかない。

 はたからはスターダムをのぼっているように見えたとしても、当の本人はそれを絞首台のように思っているのかもしれなかった。


「もしもそうなったとしても」


 だけど結局、他人のことなんてわからないし。本当に天日音ねねがそうなったとき、人々が彼女に何をするのかなんて、確定的なことは言えないし。


「ぼくは、天日音さんに何もしないし、きっとどうとも思わない」


 ぼくは、ただひとつ、決定的にわかることだけを伝えた。


「ドライだね」

「こういう性格なんだ」

「わたしが泣きながら高梨くんをすがっても、きみはそうするの?」

「話くらいは、聞くと思うけど」

「今日みたいに?」

「今日みたいに」


 こんな夜歩きでよければ、ぼくはいくらでも付きあう。たしかにぼくは他人に興味がないけれど、だからといって拒絶するほどの強いモチベーションもないのだ。


「――ふふ」


 天日音ねねは、いつものように元気いっぱいとはいかずとも、ほころぶような笑みをみせた。


「変な話しちゃってごめんね。でも、今日、わたしを見つけたのが高梨くんでよかった」

「ぼくに演技はしなくていいよ」

「ううん、これは本心。高梨くん以外には、こんな話できなかったから」

「なんで?」

「だって高梨くん、友だちいないじゃん。言いふらされる心配ないし」


 ざくっときた。

 本性を見せた天日音ねねは、中々に口が悪かった。悪口陰口のたぐいに鈍感なぼくでも、目の前で言われるとちょっとはムッとする。ちょっとだけだけど。


「失礼な。ぼくにだって友だちはいる」

「え、本当? だれ?」

「……学校には、いない」

「じゃあどこにいるの?」

「水槽の中」

「ペットじゃん」

「名前はかめきち」

「カメじゃん」

「だから天日音さんの秘密は、全部かめきちに言いふらしてやる」

「ごめんごめん。悪かったってば」


 くすくすと、天日音ねねはいたずらっぽくわらう。普段とはまた少し違う、小さな花がひっそりと咲くような、飾らない笑い方だった。


「それにさ。高梨くんは、わたしが優等生の仮面をかぶっても傷つかないでしょ」


 それはそうだ。

 他人がどんなふうに生きていたとしても、それはぼくには関係のないことだ。天日音ねねが優等生であろうと、嘘つきであろうと、聖人であろうと悪人であろうと救世主であろうと虐殺者であろうと、そんなことでぼくは傷つきもしないし、喜びもしない。


「わたしがどんな人間だったとしても、きっと高梨くんは変わらないんだろうね。おかげで、すごく助かってる」

「そうなの?」

「うん。だれも傷つけないでいられるの、楽でいいや」

「それはよかった」


 別に、ぼくが何かをしたわけではなく、むしろぼくは徹底的に何もしていないのだけど。

 それでも、誰かが救われることはきっといいことなのだろう。夜道を歩きながら、そんなことをぼんやりと考えた。


「超能力、あながち嘘じゃないんだよね。わたしは人目ばっかり気にしてるから、人の考えてることもなんとなくわかるの」


 少しだけ軽くなった足取りで、天日音ねねは夜をゆく。


「だけど、高梨くんの心は本当にわからなかった。やさしくしても、ふざけてみても、こうやって弱みをみせても、ずーっと同じ顔色なんだもん。今でもきみが何考えてるのか、さっぱりわかんない」

「何も考えてないだけだよ」

「そうみたいなんだよね。信じがたいことに」


 ぼくの生き方を信じがたいと言われてしまった。そんなにおかしなことだろうか。ぼくはただ、消極性という消極性を消極的に極めてやらんとしているだけなのに。


「ねえ、せっかくなんだから、ちょっとはどきどきしてよ。わたし、見た目はかわいいんでしょ?」


 その言葉には、ちょっとだけ演技が入っていた。

 またぼくをからかってやろうという、いたずら心だ。いたずらが好きなのは、もしかすると天日音ねねの素なのかもしれない。

 だけどまあ、そんなことをされたって、ぼくは思ったことを言うだけだ。


「見た目がかわいいって言った覚えはないよ」

「えー? さっき、そう言ってなかった?」

「かわいいって言ったのは、天日音さんのことだ」

「……うん? それってどう違うの?」

「言葉どおりだけど」


 別にむずかしいことを言ったつもりはない。ぼくはただ、天日音ねねがかわいいと思ったから、かわいいと言った。それだけのことだ。

 だけど、説明が必要だと言うのなら、そうしよう。


「天日音さんはかわいいよ。もちろん容姿もかわいいけれど、とくに振る舞い方が素敵だと思う。たとえ演技だとしても、優等生であり続けるために積み重ねてきた努力は嘘じゃないでしょ。それに、仮面を外した天日音さんも、やっぱりそれはそれでかわいいんだ。誰かを傷つけたくないなんて、それってつまりやさしいってことじゃないか。優等生の天日音さんも、嘘つきの天日音さんも、ぼくはどっちもかわいいと思うけど、どちらかと言えば今のほうが――」

「わー! まってまってまって、お願いストップ! 供給が! 供給が多すぎて処理できないからー!」


 天日音ねねは涙目でわたわたとする。さっきもこんな仕草を見たな、と思ったけれど、今のそれはさっきとは必死さが違った。


「高梨くん、何もしないって言ったくせにぃ……。きみが一番わたしを無茶苦茶にするんだからぁ……」

「ぼく、何かおかしなこと言った?」

「言った! いっぱいいっぱい言ったよ! 全肯定の暴力でぶん殴られました!」


 全肯定の暴力とはなんだろう。彼女が何を言っているのかはよくわからなかったけれど、どうやら悪いことをしたらしいので、ぼくは「ごめん」と謝った。

 天日音ねねは、何度かすうはあと深呼吸を繰り返す。


「そ、それで……ですね。高梨くん」


 落ち着きは取り戻したようだが、まだ顔は赤いし声はあからさまに上ずっていた。


「それって、その。そういう意味だと、思ってもいいのかな」

「そういう意味って?」

「だからその……。好きとか、なんとか、そういうやつ」


 天日音ねねは、ぼくが貸したジャケットをぎゅっと掴んだ。

 彼女の顔は火が出るように赤い。唇をなんともいえない感じにむにむにさせながら、視線をあちこちにさまよわせていた。

 具合でも悪いのだろうか。ぼくはぱちくりと目をまたたいた。


「いや。かわいいとは言ったけど、好きとは言ってないよ」

「……へ?」

「ぼくら、ちゃんと話したの今日がはじめてでしょ。好きもなにも、天日音さんのことをぼくは知らない。ぼくが知っているのは、天日音さんがかわいいってことだけだ」

「あー……。なるほど、そゆこと。はは、は」


 天日音ねねは乾いた笑みをもらす。

 無だった。その時の彼女は、ただただ無だった。さっき見せた虚無とはまた少し違う、やけっぱちな感じの無の表情をしていた。

 無になるのはいいんだけど、歩くならちゃんと前は見たほうがいいと思う。


「あだっ」


 ふらふらと歩く天日音ねねは、電柱に頭からぶつかった。


「いったた……」

「大丈夫?」

「いや……。ちょうどいい。ちょうど今、死にたい気分だった」

「?」


 あわてたり火照ったり死にたくなったり、天日音さんは忙しい人だ。


「高梨くんがどういう人なのか、わかった気がする」

「そう?」

「きみは本当に、ただ思ったままにものを言っているだけで、何も考えてない」

「そうだよ」


 最初から、ずっとそう言っているのだけど。

 天日音ねねは、落ち込んだように深く深いため息をついた。かと思うと、むんと気合を入れて顔をあげる。元気になったようだ。

 見ていてちょっとおもしろかった。


「ねえ、高梨くん」

「なに?」

「また、こうやって話してもいいかな」

「それは学校で?」

「ううん。二人で夜道を歩きながら」


 天日音ねねは落ち着いた足取りをしていた。彼女はもう、わたわたとも、ふらふらともしていない。


「高梨くんのこと、もっと知りたいし。わたしのこと、もっと知ってほしいから」


 そう言って、天日音ねねが見せた微笑みは。

 優等生の仮面をかぶっている時の笑顔とも、また違っていて。

 流れるように自然で、これっぽっちも飾られなくて、その上とても魅力的で。

 それこそ、ぼくがどきどきしてしまうほどに。

 天使のように、かわいかった。


「いいよ」


 だからぼくは、らしくもなくそんなことを言った。

 天日音ねねがそれを求めるなら、ぼくに断る理由はない。かと言って承諾する理由もないのだけれど、ぼくってやつもたまには不条理なことをするらしい。

 まあ、それで彼女のなにかが救われるなら、きっとそれはいいことなのだろう。

 天日音ねねには休める場所が必要だ。優等生の仮面を脱いで、自分のままで息ができる場所が。その場所がここだと言うのなら、やっぱりそれはいいことだ。

 それに。ぼくだって、天日音さんと話すのは嫌いじゃない。

 ぼくは、見たものを見たままに、思ったことを思ったままに、受動的に消極的に自動的に受け流して生きている。その生き方を悔やんだことはないけれど、ぼくのような人間につきあってくれるのも、かめきちを除けば天日音さんくらいのものだった。


「高梨くん」

「なに?」

「月が綺麗だね」

「そうだね」


 この言葉だって、ぼくはただ見たものを見たままに言ったのだけど、もしかすると天日音ねねは違うことを言っているのかもしれない。

 嘘つきの天日音さんと、何も考えていないぼく。

 ぼくたちは、二人ならんで夜を歩く。

 透きとおった黒い夜空には、遠く星々がきらめいている。足りないものが埋められて、擦りきれた心が休まるような、そんなやさしさがこの夜には満ちていた。

 いつか、彼女の夜が明けるまで。

 こうして夜を歩くのも、きっと悪くはないだろう。

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