第22話 続・転落の序章


 ―一方、下の喫茶―


 澄子は睡魔と闘っていた。コクリコクリと今にもテーブルに頭を打ち付けそうだ。


 銀縁メガネの好青年が澄子の肩に手を置く。


「ん?」


 すっかり閉じていた目をうっすら開くと、銀縁メガネがポケットから包みを取り出した。


「眠気覚ましのミントだ」


 澄子の掌に2粒のタブレットを置く。


「ありがと」


 澄子は躊躇せずにタブレットを口に放り込み、噛んだ。

 

「ん…」

 

 澄子は知っている。渡されたのはミントではなく、ドラッグだ。

 

 だるくて重い身体がみるみる回復し、宙に浮いているような浮遊感を覚えた。


 この日を境に、二人はギャンブルとドラッグの沼にどっぷり嵌り、転落の一途を辿る……というのが常套だが、なにせ、この世の快楽より、あの世の安泰を願う二人だ。この程度の誘惑に易々と乗る筈もない。


(とはいえ、十分すぎる善行を続けて来たのも事実、バカンスでの失態が少しくらいあったところで、あの世の安泰は揺らぐまい)

 




 三十三年ぶりのスロットマシンを前にすると、前世で散々世話になったアドレナリンが良一の背中を押した。


「バカンスの一環だもの、明後日には帰国だし、最後にストレス発散と行きますか」


 ズボンのポケットから財布を取り出し、流れるような動作で、紙幣を現金投入口に滑らせ、コイン貸出しボタンを押す。手馴れたものだ。ドゥルン、タン、タン、タン。レバーを叩き、リール停止ボタンを押す。スロット愛好者は、この単純作業を、なぜ半日以上続けられるのだろう。言い訳まがいに、嫌なことを忘れられるとか、何も考えなくていいから落ち着くとか言う人もいるが、実際は、一回転五秒ほどの間に、頭の中も、心の中もフル稼働だ。出目をカウントしたり、演出に一喜一憂したり実に忙しいのだ。

 

 日本円にして、わずか3千円ほど溶かしたところで、スロットマシンの液晶が消灯した。


 停電でもなければ、故障でもない。


 消灯して二秒後、三つのレーンのリールが逆回転を始め、聞き覚えのある賛美歌が流れる。超絶、熱い演出だ。リールは自動的にセブンを三つ揃えた。


 この時ばかりは、さすがにアドレナリンがぶっ飛んだ。激しい光の点滅とサイレン音に鼓動が共鳴している。


 背後には、数人が立ち止まり、『すげえな、兄ちゃん』『やったな。こりゃ、2万枚確定だぞ』と賞賛している。


(あぁ、この感覚。この刺激。やっぱり、最高の気分だな)

 

 しかし、大当り演出が終われば、後は再び単純作業の繰り返し、コインはドル箱に溢れるように盛られていくが、1枚が1銭だろうが100円だろうが良一にとっては大差ない。

 

「やっべ、澄ちゃんほったらかしだ」


 アドレナリンの放出が治まり、ようやく、脳内に別のことを考える余地ができた。


 良一は、レバーを叩く手を止め、1階の喫茶店へ戻った。だが、そこには澄子の姿はなかった。


「まずい。澄子はどこだ?」


 良一は、カウンターの内側でタバコをくゆらせている白髪、白髭の店主に詰め寄った。


「なぁ、あいつらは澄子をどこに連れて行ったんだ!」


 顔に血筋を浮かせて、精一杯、ドスを利かせたつもりだったが、店主は正反対に穏やかな声で答えた。


「心配無用だよ。今頃、お楽しみだろうよ」


 良一の顔色が失せていく。


(お楽しみって、まさか、あいつらに無理やり…)


「案内しよう」


 店主が、階段の上り口で手招いている。動揺と不安を抑えることができぬまま、重い足取りで再び階段を一段一段昇る。


 店主が案内したのは、さっきまで良一もいたカジノだ。店主は奥を指差した。


 その指の先を追うと……




「イッツァ・パーリーナイ~ト」


 そう言って、澄子がお立ち台の上で腰をクネクネ振りながら踊っている。

 

「えーーーーーー!」

 

 良一は目を見開いて、瞬きを忘れた。


「何やってんの、澄ちゃん!」


「あ~ら、良一、一緒に踊りましょ~。今夜は最高の気分なのよ~」


 澄子は良一の腕を掴んで引っ張る。ドラッグの効果か、すごい力だ。 


「だ、だめだって。俺たち目を付けられていたんだよ。身元が知られる前に帰ろう。ねっ、ねっ」


 良一も澄子の腕を掴んで引っ張り返そうとするが、への突っ張り。澄子の興奮は冷めやらず、踊り続けている。その踊りが、何故か古い。澄子の周りだけ、昭和時代のバーレスクと化していた。 

 


(はぁ。見てられない。こりゃ、暫く終わりそうもないな)


 良一は、すっかり忘れていた大当り中のスロットマシンに戻り、遊戯を再開するために、レバーを『トン』と叩いた。


 と、同時に防音の分厚い鉄製扉が開き、十人程の屈強な男達が、一気に流れ込んだ。


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