第21話 転落の序章 

 第五章 この世での転落


『コツコツコツ』


 人目から開放され、たらふく酒を呑んで千鳥足で歩く二人の跡を、二人の輩が追っている。


「兄貴、あいつら、持ってますぜ」


 そう言ったのは、水色のカッターシャツにオフホワイトのチノパン姿で、銀縁の眼鏡をかけた、一見、好青年風の優男。


「あぁ、釣れるな」


 そう言ってニヤリと口角を上げたのは、ヨレヨレでダブダブのグレーのスーツを着たサラリーマン風の小太り男。


 輩は、急ぎ足で良一と澄子に近づき、背後から声を掛けた。


「やあ、ジャパニーズ。ご機嫌だね。観光かい?」


 小太りがほろ酔いのフリをして言った。


「この町は最高だろう? しかし、呑みすぎは良くないぜ」


「あははー。ほんっとに酔っ払っちゃたね~」


 上機嫌の澄子が、良一の腕を掴んでヘラヘラ笑っている。


「この先に、旨いコーヒー屋があるんだ。少し酔いを醒ました方がいい。落ち着く

ぜ」


「そうだに~。そうしようか」


 良一も、この冴えない二人を警戒することなく、誘いに乗った。




 ネオン街の一歩脇、寂寞とした路地に足を踏み入れると、いくつかの店構えが目に入る。


 そこは、街灯もなく、通りから漏れる虹色の光が消えれば、存在すら消えてしまいそうな侘しさを醸している。それというのに、どの建物にも窓ひとつなく、一層、不気味な雰囲気を漂わせていた。看板も表札もないのは、観光客を嫌っているからか、一元の客がふらっと立ち寄るにはハードルが高すぎて、相当の肝っ玉の持ち主でなければ扉を開くことはできない。文字通りの隠れ家だ。


 澄子は、背筋に虫が這うような気持ち悪さを肌に感じたが、狭い路地で、挟み撃ちにされて、今更、引き戻せない状況下に陥っている。おまけに、ベロンベロンに酔っ払った良一は、小太りに肩を組まれて暢気に笑っている。


 その澄子の勘を裏切るように、挽きたてのコーヒー豆の芳しい香りが辺りを包んだ。


「ここだ、フレンズ」


 小太りがニヒルな笑みを浮かべて、親指を立てた。 


「おっ、期待できそうだに~」


 良一は重々しく頑丈そうな古い木製扉の前でパチリと指を弾いた。


 

「では、人生の楽園へようこそ」


 銀縁メガネがギャルソン風の挨拶をして、その扉を開けた。


 扉の先は、オレンジ色の灯りがふわりと点る、落ち着いた雰囲気の純喫茶で、店主と思しき白髪に白髭の老人は職人気質のバリスタというイメージにぴったりと合致している。


「ジャパンは好きだぜ。何年か前に、仕事で行ったことがある」


「へぇ、仕事で?」


 意外だなといった口調で良一がオウム返しをする。


「ああ。ジャパンには馬好きや船好きが多いからな」


「ほう、商社勤めか。しかし、最近の日本はすっかり勢いを失っているから、一昔前のように高価なものは売れないんじゃないの?」


「わかっっちゃいないねぇ。不景気こそ、チャンスってもんだぜ」


 そんな世間話を40分ほど続けている。その間、店主は三杯のカフェオレを良一に勧めた。澄子は眠気に襲われていて、カップを口に運ぶのも億劫になっていた。


 4杯目のカフェオレを注ごうとする店主の手を遮り、良一は聞いた。


「トイレットはどちらに? 」


 その言葉を、待っていましたと言わんばかりに、小太りと銀縁メガネと白髭店主が目を合わせて不適な笑みを浮かべた。

 

「僕が案内するよ」


 銀縁メガネが立ち上がり、良一の腕を掴んだ。


「二階なんだ、足元気をつけな」


 手すりに掴まり、一歩一歩上る階段は、快感へと誘う天国へ続く階段か、はたまた…

 


 2階はレトロ調の落ち着いた内装とは違い、コンクリート壁に覆われた無機質な空間だった。


 客用とは思えない狭く汚い便所で用を足して、廊下へ出ると、小太りが階段を塞いでいる。


「さぁ、本当のお楽しみはここからだ」


 小太りが良一の向きを変え、背中を押した。良一は押されるままに便所とは別の鉄

製の扉の前に立たされた。


『スタッフオンリー』と書かれたその扉が内側から開かれる。


 銀縁メガネが良一を招き入れ、すぐさまドアを閉めた。

 



「ここは……」


 侘しい喫茶店とはまるで異世界だった。


 そこにいるのは、仕立ての良い上品な服を見事に着こなしている中年夫婦、ボディコンシャスなワンピースを着て、10センチはありそうなハイヒールを履いたブロンドヘアの美女に、室内でもサングラスを外さないハイブランドに身を包んだ職業不詳の成金男。その他、見たことがあるような顔ぶれが数人。   


 どこかのパーティーで同席したか、ちょっとした俳優やモデルといったところだろう。




 それらが、興じているのは、ポーカー、バカラ、ルーレットにスロットマシン。


「お察しのとおり、セレブ御用達の闇カジノさ」


「ま、まじかぁ~~」


 嵌められたと気付いた良一は踵を返して部屋を出ようとドアノブに手をかけるも、後ろ髪を惹かれている。


(ちょっとくらい遊んだっていいよな~。ずっとくそ真面目に生きてきたんだもの。そもそも、俺が前世で失敗したのは、負けてむしゃくしゃして当たり散らかしたことが悪かったんだし。沼にはまるわけないし。今日だけだし…)

 


『ドゥルン、ドゥルン、ドゥルン、パンパカパッパッパ~ン』



 スロットマシンでセブンが揃う効果音が、良一のスイッチを入れてしまった。

 



 

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