第20話 ひと時の休息

 二人の心は飽和状態だった。


 良一は、前世の母親を老人ホームに入所させ、職員として介護にも携わり、課題だった「親孝行」を果たした。澄子も目標であった「美鈴の後頭部」を拝むことができた。


 善ポイントの貯蓄からして、極楽浄土の永住ビザは確実だろう。


 死を身近にすると、人は『死ぬまでにしたい100のこと』とか、『人生で遣り残したこと』を意識するらしいが、二人は既にそれを満タンにしていた。二人はパートナーではあったものの、子供を作らなかった。世間はそれを二人の最後、かつ最大の任務だと騒いだが、極楽浄土を知った二人には、この世は修行の場でしかない。修行に脱落すればまた転生が待っている。その無常をまた自分の子供に背負わせるのは酷なことだと感じていたからだ。


 無論、和夫と芙美子は焦り、ありとあらゆる手を使っては後継者を産ませようとし

た。 


 親戚連中は二人に子供が出来ないことをいいことに、自分達の子息を後継者争いの渦中に放り込む。




 二人は心底疲れ果てた。人徳者として持て囃され、常に世間の目に晒され、馬鹿な女共は良一の子を産むという野望を持って近づいてくるし、馬鹿な男共は澄子の財産分与を狙って近づいてくる。


 良一と澄子は、日本を脱出した。それは、ほんの休養で、疲弊した心を癒して、すぐに戻るつもりだった。


 雄大な自然。ゆっくりと流れる時間。久々のジャンクフード。誰かと会う約束もないし、スウェットにサンダルで出歩いたって人目も気にならない。


 良一は、ベッドの上でスナック菓子を食い散らかしては、一日に3回昼寝する毎日。


 澄子は、ビーチで大海原の潮風に吹かれて生まれの島に思いを馳せた。


 まるでロボットのように定型の笑顔しか作れなかった二人も、本来の表情を取り戻し、些細なことで腹の底から笑えるようになった。




「それでさ、そのおじさんが言うんだよ。俺は善財グループの大株主で、あいつらは俺を先生と呼んでいるってさ」 


「アホだろ~」


「すごいね、なんでそんな思考回路になるんやろ。幸せやわ~」


「でしょ? そんで俺言ったんだ」


「なんて?」


「ここの飯おごってくれないかって。そしたらOKって言ったきり戻ってこなかった

よ」


「いじわる~」


「だって、聞いてる方も辛いぜ、マイケルをスターにしたのは俺だとか、トランプタワーの最上階に別宅があるとかさ。出るわ出るわ」


「ま、そういう人ってどこにでもいるってことやね。にしても、話盛りすぎやけど」

 




 ―極楽浄土―


 この日、三度目の澄子の監視。菩薩は寝る前にITパッドをチャックしている。

 

「ほ~、あの二人、やっと人間の心を取り戻したようじゃ、いい顔をしとる。暫くは安心じゃな」


 ふわりと羽衣を揺らしながら、菩薩の背後で浮いている天女も、満足げだ。 


「自由って大事ですわね」


「そう、それじゃ。わし、これ続けてる限り自由がなくってな~」


「代わりません」


「だよね~」


「でも、暫くは必要ないかも知れませんね。少なくとも、ここに居る間は。あんな、幸せそうな顔して、ずる賢いことは思わないでしょう」


「うっひょひょ~い」


 菩薩はITパッドを放り投げて万歳し。リズム感ゼロの小躍りで喜びを表現した。

 

 日本を離れて二週間。この何もない自由にも飽きてきたが、なかなか帰国する気にはなれない。暇を持て余した二人は、歓楽街に繰り出すようになった。


 その先に、危険な坂道が続くとは知らずに……

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