第16話 善財澄子

 ―善財澄子―

 

 かくして、良一と澄子は晴れて婚約するに至った。


 澄子は贅沢な暮らしも派手な結婚式も望まなかったが、それでは善財家の面目が立たない。五つ星ホテルでの贅を尽くした披露宴の準備が始まった。



 〔ブレイクリー・ジャパン銀座本店〕


「母親がここのウエディングドレスじゃないと箔が着かないってうるさくてさ」


 良一に連れられ、澄子は今世で初めて、高級ブランの店内に足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ。財善様。お待ちしておりました。」


 20名弱のスタッフが両脇に立ち並び、深々とお辞儀をしている。


 洗練された煌びやかな空間。ハイセンスな装飾に宝石、ドレスの数々。


 澄子はブレイクリーの店内に入った瞬間、強烈なフラッシュバックを感じた。


 蘇る、贅沢三昧の前世。プリンセスにひれ伏す大人たち。


「澄子様、お疲れではございませんか」


「澄子様、お飲み物をお持ちしました」


「美麗様、お車が参りました。」


「美麗様、美麗お嬢様」


 澄子は高揚感を抑えることができなかった。


 そうだ。私は特別な存在だった。毎朝、定時に出社して、無能な上司に仕え、方言

を馬鹿にされ、顧客のクレームに頭を下げて。あげく、良一の両親に美しくない、財産目当ての貧乏人だと罵倒された。


「この縫製はハンドメイドではないはね。この飾りもただのクリスタルでは物足りないわ。それに、このペチコート。太ももに張り付いて歩き辛いのよ。見える部分だけ整えれば良いってものじゃないわ。ブレイクリーの名に恥じない仕事をしてちょうだい」


 スタッフたちはドン引きだ。


 澄子はハッとして、取り繕う。


「あ、いえ、冗談です。こんなシーン、ドラマでよくあるなって。すみません。気を

悪くされました?」


「いえいえ。大変失礼致しました。財善様のウエディングですもの。最上級のものを

御作りさせて頂きます」


 そう言うと、女性のスタッフは後ろに控える店長らしき男性に何かを告げた。


 店長らしき黒光りスーツの男性は恭しく澄子の後ろに立ち、手を揉みながら言葉を

掛ける。


「それでは、良一様ご提示のご予算内でということで宜しゅうございますか? もち

ろん、奥様のご意見で再度お見積もりも致しても宜しゅうございますが」


 

(どうせ、せこい母親の裏回しだわ。良一はなんでもお母様の言いなり。オーダメイドに予算の上限を設けるなんて、やはり、財善家はブレイクリーの数段格下のようね)

 

「えぇ。私には、こんな高級ブランドのドレスはもったいないくらいですのに、その上、オーダーなんて恐れ多くて。良一さんにお任せしますわ」


 澄子は島での育ちで培った純朴な良心と、前世で伸びきった宙より高いプライドの

狭間で戦っている。今の澄子はブレイクリーの令嬢ではない、見栄を張る必要も、持ち物の金銭的価値で周囲と張り合う必要もなかったのに、財善家と近しくなることで染み付いたものが浮かび上がって来ている。


 跨ぐハードルはウエディングドレスのみならず。式場から、お色直しのドレス、宝

石類の数々、引き出物に至るまで、全てが贅を極めればキリがなく、それらを無難なクラスで我慢するのは強いストレスを感じる作業だった。特に、『なるべく質素に。心のこもったおもてなしを』という良一の口癖には、耳を塞ぎたくなるほど嫌気が差した。


(だめだ。結婚前からこんな調子じゃ、また繰り返しだ。お金を寄付したって極楽か

らたった二週間で墜とされたんだもん。お金持ち体質じゃだめなの!)


 結婚式の前日。澄子の両親と高齢の祖父母が上京した。


「澄子。大丈夫か」


 真っ黒に日焼けした父の野太い声が、ホテルのロビーに響いた。


「なんで?新婦にかける言葉じゃないやろ」


「そばってん。きつかろ? 痩せてからに。勝手がわからんとこに嫁ぐとは大変やなかとか」


「晴れ舞台やもん。ダイエットくらいするくさ」


「澄子。本当にやっていけるとね? 良一さんの人柄は知っとうけんど、結婚ゆうた

らあちらの両親にも可愛がってもらわないけんとよ」


 母は目に涙を浮かべて澄子の肩を掴んだ。


「なんよ、二人とも。娘が結婚するとに、喜んどらんみたい。ね、じいちゃん、ばあ

ちゃん」


 ソファに腰掛ける祖父母に目を遣ると、二人は既にハンカチで目頭を押さえてい

る。


 久しぶりに触れた、温かい人情。娘が資産家に嫁ぐというのに慶ぶどころか心配で

しかないようだ。金が人を幸せにできない事を承知しているのだろう。島の人たちは、皆、自分より他人を大事にしていた。田植えも稲刈りもご近所総出で手伝う。足の悪い年寄りがいれば、炊事、洗濯、掃除、何でも代わってやる。あの島の人たちは、きっと、永久ビザを手に入れる。私も、あのまま、あの島で家業を継いでいれば、生活は苦しくても、あの世での安泰は保障されていたかもしれない。


 マリッジブルーも相まってか、澄子は今更、金を手に入れることを恐れた。

 

 

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