第15話 善財家の秘密

 ―善財家の秘密―

 

「良一の奴はすっかり騙されておる。あの小娘にすっかりお熱で正常な判断ができていない。」


 ブレイクリー社製の重厚な革張りソファに体を沈ませ、同社製の絢爛なシャンデリアの釣り下がる天井を仰いでいるのは良一の父親で善財家当主、善財和夫。


「まったく。あんな土と磯臭い田舎の娘が善財家の夫人になるだなんて、恥ずかしく社交界にも連れて行けませんわ」


 ブレイクリーブランドのワンピースにブレイクリーブランドのアクセサリーを纏って、ブレイクリーのティーカップで紅茶を啜りながら、美容整形で強張った目元を不自然に吊り上げて憤怒しているのは、良一の母、善財芙美子。


「あの娘の目的はどうせ金だ。少々高額な手切れ金でも払えば、身を引くだろう。貧乏人は目の前に現金を積まれれば、即座にチェックメイト。駆け引きもできん捨て駒だ」


「良一を支社の視察にやって、その隙にあの子を落としましょう」


「うむ。それがいいだろう」


 澄子のアパートの前の狭い公道に、黒光りの高級車が停まった。


「なんて安アパートでしょう。良一に取り入って贅沢な暮らしをしているのかと思っていたけど、どこまでもしたたかな娘なのね」


「まあ、わからんさ。鬼は人間の仮面を被って紛れていると言うからな。仮面を剥ぎ取って本性を暴いてやろうじゃないか」


 和夫と芙美子は、澄子の部屋のチャイムを押した。


 夜分に一人暮しの女の部屋のチャイムが鳴るのは怖い。澄子はドアスコープから外を覗いた。見えたのは、それこそ鬼の形相の中年男女。その身なりから、良一の両親であることは一目瞭然。数々の経済紙で見せた紳士淑女の姿は見る影も無い。


「はい」


 澄子はドアロックを解除して扉を開けた。


「私たちが誰であるかは名乗る必要があるかね?」


「いえ、存じております。ご挨拶にも伺わず申し訳ありません」


「そんなことは良い。今日はあなたに大事な話があって、こうして出向いた」


 澄子は、事態を悟った。良一と縁を切れという話だ。


「どうぞ、狭い所ですが」


 二人は靴を脱がずに玄関に突っ立っている。


「すみません。お客様がいらっしゃることはないのでスリッパはありません」


 和夫は鼻で息を吐いて、眉間に皴を寄せた。


 芙美子はシルクのハンカチで鼻と口を覆って部屋の中をジロリと見回す。


 二人は、澄子に促される前に、合皮の二人用ソファに腰を降ろした。二人用といっ

てもそもそも規格が小さいので、精一杯端と端に寄っていて、それが二人の関係性を物語っている。


「単刀直入に言わせてもらうよ。いくら必要かね?」


「あなた、それは無茶よ。この子なら二千万ってところじゃないかしら?」


(意外とせこいおばはんだな)


 澄子は心の中で笑った。それだけ、澄子を見下してい

るということだろう。


「仰っている意味が分かりません。というのが常套句だとは思いますが、余計なお喋

りは不要ですよね」


「話が分かる子じゃないか。」


「お金は必要ありません。例え、あなた方のご子息でなくても、良一さんとは結婚し

ます」


 和夫と芙美子は二十年振りに、正面から目と目を合わせた。


「何を言っているの? 生意気に。良一から善財家を取ったら、何が残るのよ。良一

自身を愛してますだなんて言い訳に騙されると思って?」


「値上げ交渉とは、見苦しい。はっきり言いなさい、いくらだ」


 澄子は、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを覚えた。





 同時に、心が決まった。



「ル・ジャルダン・スクレ」

 

 澄子は目を伏せて一言呟いた。


「なんだ、ふざけているのか?」


 二人には、訳の解らない言葉だ。


「フランス語です。秘密の花園」


「それが何よ」


「フランスでは、社交パーティーの裏で、あるオモテナシが行われるそうですね。お

二人は20数年前、ニースであった『クオリエ』のパーティーにゲストとしてご参加なさったとか。」


 和夫と芙美子の顔色が一瞬にして青ざめた。


 20数年前、新鋭企業であるフランスの自動車メーカー『クオリエ』に業務提携を持ちかけられ、過剰な接待を受けたことがあった。とても、日本では口にできないようなお楽しみだ。


 「クオリエのCEOピエールという方は、成り上がる為なら、何でもするそうです

よ。それこそ違法行為も」


「あなた! さっきから何を出鱈目言っているの?」


 芙美子は、ヒステリックな金切り声を張り上げた。


「シエルってご存知ですか?要人向けに、モデル並みのホスト、ホステスを派遣する

組織です。重要な商談では重宝されているそうです」


 和夫と芙美子は、ことの重大さを悟った。







澄子は知っている。周りに促されるままに危険な一夜を楽しんだ事実は、和夫と芙美子の当人しか知り得ないはずだった。二人は互いを疑った。

 馬鹿が、酔っ払った拍子に側近にでも喋ったのだろうと。

「お、脅すつもりか? そんな話、誰が信じるものか」

「クオリエのピエールは卑怯者ですよ。商売で優位に立つための材料ですもの。写真でも、録音テープでも残しているに決まっています。週刊誌は飛びつくでしょうね」

「なんという恐ろしい娘だ。貴様、何者だ」

 

澄子は覚えていた。クオリエのドラ息子はブレイクリー美麗のかつてのボーイフレンドの一人。クオリエは海外の有力者を、自国では味わえない甘い蜜で接待し、伸し上がっていた。そのパーティーで善財家と同席していたのだ。

「その話は誰から聞いた?」

「聞いたというより、見ましたから」

 見た?」

 澄子は、思わず口を手で押さえた。転生の話はご法度。危うく地獄に突き落とされるところだ。

「大学時代にフランスの留学生からそういう噂を聞きました。それだけです」

「あなた、どうしますの」

 芙美子は、鋭い眼光で和夫を睨み付ける。

澄子に対する怒りは、和夫に矛先を変えたようだ。

 どうもこうも、そんな噂は事実無根だ。だが、万が一、週刊誌にでも取り上げられたら、善財家の名誉も株価も大下落は間違いない」

「心配いりません。そこにお二人がいらしたことを知っているのはクオリエとパーティーの出席者だけですから。同罪の者が告発はしないでしょう」

 「つまり、君が口を割らなければ…と言いたいのか」

「身内の評判をさげることはしないでしょう」

「身内か……」

 和夫は観念したように鼻で笑った。

 

 ―善財澄子―

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